古事記を知る(25)

20140209

5.葦原中國平定
5-1 天菩比神と天若日子
天照大御神之命以。豊葦原之千秋長五首秋之水穂國者。我御子正勝吾勝勝早日天忍穂耳命乃所知國。言因賜而。天降也。於是天忍穂耳命。於天浮橋多多志
此三字以音而詔之。豊葦原之千秋長五首秋之水穂國者。伊多久佐夜藝弖此七字以音有祁理此二字以音下効比告而。更還上。請于天照大御神。爾高御産巣日神天照大御神之命以。於天安河之河原。神集八百萬神集而。思金神令思而詔。此葦原中國者。我御子之所知國。言依所賜之國也。故以爲於此國道速振荒振國紳等之多在。是使何神而将言趣。爾思金神及八百寓紳議白之。天菩此神是可遣。故遣天菩此神者。乃媚附大國主神。到于三年不復奏。
是以高御産巣日神天照大御神亦問諸神等。所遣葦原中国之天菩比神。久不復奏。亦使何神之吉。爾思金神答白。可遣天津國玉神之子天若日子。故爾以天之麻迦古弓
自麻下三字以音天之波波此二字以音矢賜天若日子而遣。於是天若日子降到其國。即娶大國主神之女下照比賣。亦慮獲其國。到于八年不復奏。故爾天照大御神高御産巣日神。亦問諸神等。天若日子久不復奏。又遣曷神以。問天若日子之淹留所由。於是諸神及思金神答白。可遣雉名鳴女時。詔之。汝行問天若日子状者。汝所以使葦原中國者。言趣和其國之荒振神等之者也。何到于八年不復奏。
故爾鳴女自天降到。居天若日子之門湯津楓上而。言委曲如天神之詔命。爾天佐具賣
此三字以音聞此鳥言而。語天若日子言。此鳥者其鳴音甚悪。故可射殺云進。郎天若日子持天神所賜天之波士弓天之加久矢。射殺其雉。爾其矢自雉胸通而。逆射上。逮坐天安河之河原天照大御神高木神之御所。是高木神者。高御産巣日神之別名。故高木紳取其矢見者。血著其矢羽。於是高木神。告之此矢者所賜天若日子之矢。即示諸紳等詔者。或天若日子不誤命。為射悪紳之欠乏至者。或天若日子不誤命。爲射悪神之矢之至者。不中天若日子。或有邪心者。天若日子於此矢麻賀禮此三字以音云而。取其矢。自其矢穴衝返下者。中天若日子寝胡床之高胸坂以死。此還矢可恐之本也亦其雉不還。故於今諺曰雉之頓使本是也。

(読み)
アマテラスオホミカミノミコトモチチ トヨアシハラノチアキノナガイホアキノミヅホノクニハ アガミコマサカアカツカチハヤビアメノオシホミミノミコトノシラサムルクニト コトヨサシタマヒテ アマクダシタマヒキ ココニアメノオシホミミノミコト アマノウキハシニタタシテノリタマハク トヨアシハラノチアキノナガイホアキノミヅホノクニハ イタクサヤギテアリケリトノリタマヒテ サラニカヘリノボラシテ アマテラスオホミカミニマホシタマヒキ カレタカミムスピノカミアマテラスオホミカミノミコトモチチ アメノヤスノカハノカハラ二  ヤホヨロズノカミヲカムツドヘニツドヘテ   オモヒカネノカミニオモハシメテノリタマハク コノアシハラノナカツクニハ アガミコノシラサムクニト コトヨサシタマヘルクニナリ カレコノクニニチハヤプルアラブルクニツカミドモノサハナルトオモホスハ イヅレノカミヲツカハシテカコトムケマシトノリタマヒキ ココニオモヒカネノカミマタヤホヨロヅノカミタチハカリテ アメノホヒノカミコレツカハシテムトマヲシキ カレアメノホヒノカミヲツカハシツレバ ヤガテオホクニヌシノカミニコビツキテ ミトセニナルマデカヘリコトマヲサザリキ 
ココヲモテタカミムスピノカミアマテラスオホミカミマタマタモロモロノカミタチニトヒタマハク アシハラノナカツクニニツカハセルアメノホヒノカミ ヒサシクカヘリコトマヲサズ マタイヅレノカミヲツカハシテバエケム ココニオモヒカネノカミマヲシケラク アマツクニタマノカミノコアメワカヒコヲツカワシテムトマヲシキ カレココニアメノマカコユミアメノハハヤヲアメノワカヒコニタマヒテツカワシム ココニアメワカヒコカノクニニクダリツキテ スナハチオホクニヌシノカミノミムスメシタテルヒメヲメトシ マタソノクニヲエムトオモヒハカリテ ヤトセニナルマデカエリゴトヲマヲサザリキ カレココニアマテラスオホミカミタカミムスビノカミ マタモロモロノカミタチニトヒタマハク アメノワカヒコヒサシクカヘリコトヲマヲサズ マタイズレノカミヲツカハシテカ アメワカヒコガヒサシクトドマルユエヲトハシメムトトヒタマヒキ ココニモロモロノカミタチマタオモヒカネノカミマヲサク キギシナナキメヲツカハシテムトマヲストキニ ノリタマハク イマシユキテアメワカヒコニトハムサマハ イマシヲアシハラナカツクニニツカハセルユエハ ソノクニノアラブルカミドモヲコトムケヤハセトナリ ナゾヤトセニナルマデカヘリコトヲマヲサザルトトヘトノリタマヒキ
カレココニナナキメアメヨリクダリツキテ アメワカヒコガカドナルユツカツラノウヘニヰテ マツプサニアマツカミノオホミコトノゴトノりキ ココニアマノサグメコノトリノイフコトヲキキテ アメワカヒコニ コノトリハナクコエイトアシ イコロシタマヒネトイヒススムレバ  スナハチアメワカヒコアマツカミノタマヘルアメノハジユミアメノカクヤヲモチテ コノキギシヲイコロシツ ココ二ソノヤキギシシノムネヨりトホりテ サカサマニイアゲラエテ アメノヤスノカハノカハラニマシマスアマテラスオホミカミタカギノカミノミモトニイタリキ コノタカギノカミハ タカミムスピノカミノマタノミナナリ カレタカギノカミソノヤヲトラシテミソナハスレバ ソノヤノハニチツキタリキ ココニタカギノカミ コノヤハ アメタカヒコニタマヘリシヤゾカシトノりタマヒテ モロモロノカミタチニミセテノリタマヘラクハ モシアメワカヒコミコトヲタガヘズ アラブルカミヲイタリシヤノキツルナラバ アメワカヒコニアタラザレ モシキタナキココロシアラバ アメワカヒココノヤニマガレトノリタマヒテ ソノヤヲトラシテ ソノヤノアナヨリツキカヘシタマヒシカバ アメワカヒコガアグラニネタルタカムナサカニアタリテミウセニキ マタソノキギシカヘラズ カレイマニコトワザニキギシノヒタヅカイトイフモトハコレナリ

(現代語訳)
天照大御神の仰せで、豊葦原の干秋長五百秋の水穂国は、わが子の正勝吾勝勝早日天忍穂耳命の統治すべき国である」 と、統治を御委任になって、御子を高天原からお降しになった。そこで天忍穂耳命が、降る途中で天の浮橋に立って仰せられるには、「豊葦原の千秋長五百秋の水穂国は、ひどく騒がしい様子だ」と仰せになって、また高天原に帰り上って、天照大御神に指図を仰がれた。
 そこで高御産巣日神と天照大御神の御命令で、天の安河の河原にあらゆる多くの神々を召集して、思金神に方策を考えさせて仰せられるには、「この葦原中国は、わが子天忍穂耳命の統治する国として委任した国である。ところがこの国には、暴威をふるう乱暴な国つ神どもが大勢いると思われる。どの神を遣わして、これを平定したらよかろうか」と仰せられた。そこで思金神やあらゆる神々が相談して、「天菩比神を遣わすのがよいでしょう」と申し上げた。それで天菩比神を遣わしたところ、この神は大国主神に媚びへつらって、三年たっても復命しなかった。
 そんなわけで、高御産巣日神と天照大御神が、また大勢の神たちに尋ねて、「葦原中国に遣わした天菩比神が、久しい間復命しない。こんどはどの神を遣わしたらよかろうか」とお尋ねになった。そこで思金神が答えて、「天津国玉神の子の天若日子を遣わすのがよいでしょう」と申し上げた。そこで天の真鹿児弓と天の羽羽失を天若日子に授けて遣わされた。ところが天若日子は、葦原中国に降り着くと、ただちに大国主神の娘の下照比売メを娶り、またその国をわがものにしようとたくらんで、八年たっても復命しなかった。
 そこで天照大御神と高御産巣日神が、また大勢の神たちに尋ねて、「天若日子が長い間復命しない。こんどはどの神を遣わして、天若日子が久しく逗留している理由を尋ねようか」と仰せられた。このとき大勢の神々と思金神が、「雉の、名は鳴女というものを遣わすのがよいでしょう」とお答え申しあげた時に、仰せられるには、「おまえが行って、天若日子に尋ねることは、『あなたを葦原中国に遣わした理由は、その国の荒れ狂う神たちを服従させ帰順させよ、というのである。それをどういうわけで、八年になるまで復命しないのか』と尋ねよ」と仰せられた。
 そこで鳴女は、高天原から降り着いて、天若日子の家の門前の神聖な桂の木の上にとまって、くわしく天つ神の仰せのとおりに伝えた。そのとき、アメノサグメがこの鳥の言うことを聞いて、天若日子に語っていうには、「この鳥は、その場く声がたいそう不吉です。だから射殺してしまいなさい」 と勧めた。すると天若日子は、天つ神の下された天の櫨弓と天の鹿児矢を執って、その雉を射殺してしまった。ところがその矢は、雉の胸を貫いて、さかさまに射上げられて、天の安河の河原に掛られる天照大御神と高木神の所に達した。この高木神というのは、高御産巣日神の別名である。それで高木神がその矢を取ってご覧になると、血がその矢の羽についていた。そこで高木神は、「この矢は、天若日子に与えた矢である」 と仰せられて、ただちに大勢の神たちに示して仰せられるには、「もしも天若日子が命令に背かず、悪い神を射た矢がここに飛んで釆たのだったら、天若日子にあたるな。もしも邪心を抱いているのだったら、天若日子はこの矢にあたって死ね」と仰せられて、その矢を取ってその矢の飛んで来た穴から、下に向けて突き返されたところ、天若日子が朝の床に寝ていた、その胸に命中して死んでしまった。これが返し失の起りである。またその雉はついに還らなかった。それで今でも諺に「雉のひた使」というが、その起りはこれである。

(注)
○豊葦原の干秋長五百秋の水穂国 「豊葦原」は穀物の豊かに成育する葦原。「千秋長五百秋」は 「千五百秋」ともいう。いく千年にわたって長久にの意。「水穂国」は稲の盛んに成長する国。
○天の浮橋 天地間をつなぐ梯子。
○高御産巣日神 ここでは天照大御神と並んで、高天原の最高神となっている。この神は、天照大御神が皇祖神とされる以前の皇祖神であったろう、という。(上田正昭氏説)
○天菩比神 誓約の段の「天之菩卑能神」と同神で、出雲国造等の祖神。
○天津国玉神 「宇都志國玉神」に対して、高天原の国魂の神の意。
○天若日子 天降る若い男性の意で、出雲系の神。
○雉 「きぎし」は「きじ」の古名。
○ゆつ楓(かつら) 神聖な楓の木。「かつら」は「かへで」とは別種の落葉喬木。
○天のさぐめ 書記に「天探女」と記す。語義未詳。
○高木神 樹木を依り代とする神の意。
○還(かへし)矢 こちらから射た矢を射返されると、その矢はかならず命中すると考えられた。
○頓使(ひたつかひ) 行ったきり帰らない使の意。

(解説)
「古事記』では高御産巣日神と天照大御神とを高天原の最高神としているが、書紀本文では高皇産霊尊を高天原の主宰神としており、また「皇祖高皇産霊尊」とも記している。タカミムスヒノ神を皇祖神とする書紀本文の伝承の方が古いものと考えられる。また書紀本文では、地上の国土を「葦原中国」と記しているが、『古事記』では「豊葦原の千秋長五百秋の水穂国」と記し、稲の豊饒の国としてたたえている。そして高天原からこの国に遣わされる神々には、アメノホヒノ命・アメノワカヒコ・アメノオシホミミノ命のように、稲穂にちなんだ穀神としての神が多い。
 葦原中国に、ちはやぷる荒ぶる国つ神が多くいるというのは、高天原から見た葦原中国の状態である。葦原中国の観念は、具体的には大和に対する出雲地方を中心として語られており、大国主神の回譲りによって、葦原中国の平定は完了する。当然この物語成立の背後には、大和朝廷の勢力が、出雲を中心とする山陰地方に浸透してゆく歴史が横たわっていると考えてよいであろう。
 天降った天若日子は、葦原中国を支配しようとの野心を抱いたとされ、返し矢にあたって死んだという。天つ神に反逆したために、返し矢にあたって死ぬ物語は、二ムロッドの説話と同型である。『旧約聖書』創世記によれば、神を信じない二ムロッドは、神を狙って天に向って矢を放ち、神の投げ返した矢に胸板を貫かれた、と語られている。この二ムロッドの説話がインドに伝えられ、さらに古代中国や東南アジアにも伝えられて、わが国に伝わったのであろう、といわれている。(金関丈夫博士説)

出雲大社について調べた時に、今でも、出雲大社の宮司は出雲国造(ここで出てくる天菩比神の子孫)の子孫が代々受け継いでいることを知りました。
ここで疑問が生じます。
神官の世襲は明治時代に禁じられたはずです。
なのに、どうして?
神代に天照皇大神の詔により、出雲大社の祭祀を天穂日命(古事記では天菩比神)の直系である、出雲国造が代々引き継ぐ事と定められました。
一方神宮も、神宮が伊勢に創建された所縁により、倭姫命以来、皇族より推挙された斎宮により、平安時代末期まで祭祀が執り行われました。以降、神宮社家が祭祀を行ってきましたが、近代には祭主が皇族、華族より選ばれて、この任を継続しています。
伊勢神宮は、国譲りにより日本を統治する、天皇家の皇祖神を祀る。
出雲大社は、国譲り以前の国津神であり、天照皇大神の詔は時代が変わっても絶えること無く、続けられる。
それで、占領軍たる天津神の御子(天皇制)が続く限り、天照皇大神の詔は継承されるのです。
ということらしいですね。
出雲国造家の称号と出雲大社の祭祀職務は、南北朝時代に入るまで一子相伝であったが、康永年間(1340年頃)以降、千家氏(せんげし)と北島氏(きたじまし)の二氏に分かれ、それぞれが出雲国造を名乗るようになった。
その紛争状態を重く見た守護代の吉田厳覚は両者に働きかけ、年間の神事や所領、役職などを等分するという和与状を結ばせた康永3年(興国4年/1344年)6月5日)。以降、千家氏、北島氏の国造家が並立し、幕末まで出雲大社の祭祀職務を平等に分担していた。
明治時代には千家氏・北島氏ともに男爵として遇されたが、出雲大社自体は神社本庁の傘下となり、千家氏は出雲大社教(いずもおおやしろきょう)、北島氏は出雲教とそれぞれ宗教法人を主宰して分かれ、現在出雲大社の宮司は千家氏が担っています。


スポンサーサイト

コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

文章を読んだだけだと、日本海のどこかに高天原があって、そこから、出雲辺りに、「我に従え」と言う使者を使わしたと言う感じですね。

これから推測すると、高天原は沖ノ島に相当し、当時は「天国(あまくに)」と呼ばれていたと考えるのが妥当だと思いますが、この考えの弱点は沖ノ島みたいな小さな島に大きな権力者がいることができたかが大いに疑問なことで、すると、朝鮮から渡航してきたと考える方が、合っているような気がします。でも、これだと、騎馬民族説になってしまいますが(苦笑)

matsumo さん

コメントありがとうございます。
今日読んでいた本では「天(あま)」と「海人(あま)」が
通じると書かれていましたね。
まだ風土記などを、よく読んでいないので、うまく説明できませんが、
この辺の話は、とても刺激的です。
非公開コメント
プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード

Pagetop