鎌倉街道「小手指道」など(1)

20140303

2月28日(金)に歴史クラブ行事で歩きました。
西武球場前から歩き始めて、清照寺、天満天神社、藤森稲荷神社、全徳寺、北野天神社、小手指ヶ原古戦場、所沢市埋蔵文化センター、誓詞橋まででした。
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このルートで、鎌倉街道「小手指道」沿いに該当するのは、北野天神社から誓詞橋までです。
テレビ埼玉編「鎌倉街道夢紀行」より
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北野天神社から山口中氷川神社、山口城址の辺に鎌倉街道は向かうのですが、ここは以前訪ねています。
http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-1218.html
http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-1219.html

今回は、山口地区からもっと狭山湖寄りの史跡を訪ねながら北野天神に出るルートを行きました。

歩き出してしばらく行くと、狭山湖の堰堤のところに出ます。
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【清照寺】
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まだ日陰には雪が残っていました。
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本堂
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無縁墓
昭和4年、山口貯水池建設のため、用地内の北峰墓地の各家の墓を当寺の墓地に移したが、工事が始まると墓地跡地から多数の遺骨が出てきたのを葬ったものという。
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清照寺入り口前の石仏群
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宝暦14年(1764)建立の「庚申塔(?)」
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「不食念仏供養塔」
金剛界大日如来の刻像で、銘文は「不食念佛供養 延宝五丁己天十一月吉日」とある。不食とは毎月特定の不食日を決め、食を断って念仏を唱えることで、関西地方でも盛んに行われたようです。
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天保10年(1839)建立の「光明真言百五十万遍供養塔」
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光明真言の24文字の梵字は、円形に刻まれて真下から時計回りに読みます。
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昨年、狭山市のガイドの会に所属する私は、光明真言供養塔について説明したことがあります。
日本語にすると、下記のようになります。
帰命 不空 光明遍照 大印相 摩尼宝珠 蓮華 焔光 転 大誓願
意訳は:
帰命・効験空しからざる遍照の大印、すなわち、大日如来の大光明の印よ、宝珠と蓮華と光明の大徳を有する智能、をして菩提心に転化せしめよ。


【天満天神社】
清照寺から山道になり、歩いていくと皆立ち止まって見てしまう、良い感じのお宮さんがありました。
今日の予定には入っていませんでしたが、寄ることになりました。
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社号標
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一の鳥居
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石段を上りきると、狛犬と二の鳥居。
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拝殿
祭神は、菅原道真公
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向背の龍の彫刻は高さもあり、玉を掴む足などといい、立派なものでした。
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海老虹梁はシンプル。
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お参りしてから、裏に向かうと覆い屋の中に流れ造りの本殿が鎮座していました。
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隣に八坂神社
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狛犬が、ちょっと牙が怖いが、古風な感じで良かった。
台座には、元は天満天神社拝殿前に置かれていたとあります。
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その隣に「火消し稲荷神社」
謂われは、狭山湖築造でこの地に移転したが、不心得者の放火で一部を焼失した。分解したところ不思議なことに御神体のところで延焼を免れて火が止まっていた。以降火消し稲荷と称することにしたとありました。
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境内に紅梅が一本咲いていた。
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この辺は「緑のトラスト保全地」です。
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とても気持ちのいい山道。
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【藤森稲荷神社】
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「藤森稲荷」の名だが、ここには樹齢百数十年の藤の老木があり、境内いっぱいに張り巡らせた藤棚に咲き乱れる藤は見事なものらしい。
藤があるから、「藤森稲荷」なのだと納得する面もある。

しかし「藤森稲荷」は、伏見稲荷の古い呼称でもある。
 「伏見稲荷大社」という社名が正式に用いられたのは昭和21年。意外にも極めて新しいのだ。江戸時代、伏見稲荷は、色々な名称で呼ばれたらしいが、その中で「藤森稲荷」は、少なくとも江戸時代には、伏見稲荷の名称として、関東を中心に広く用いられたそうである。

「藤森稲荷」の名が先で、そのため藤が植えられたのかもしれない。

参道の両側に巨樹が二本。切り詰められて痛々しいがそれでも頑張っている。
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社殿
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中には、小さな社が置かれていた。
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樹齢百数十年の藤
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(続く)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

西武球場前駅、降りたのは2回のみです。両方とも、武蔵野七福神の1つの山口観音金乗院に行くのが目的で、2回目の時は狭山湖の周囲も少し歩きました。

八坂神社の左側の狛犬、口や目の所が赤く塗られていますね。このように赤く塗られているの、初めて見ました。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
山口観音金乗院も面白いですが、すぐ近くの狭山不動尊
も面白いですよ。
西武が増上寺から移したものが、ずいぶんとあきれるほど
並んでいて、壮観です。
あの狛犬、ずいぶん牙も目立ちますし、
気になりますね。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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