鎌倉街道「小手指道」など(2)

20140304

2月28日(金)に歴史クラブ行事で歩いた前記事の続きです。
藤森稲荷神社からちょっと歩くと全徳寺です。

【全徳寺】
所沢市北野南2丁目13−5

石標と山門
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曹洞宗の寺。山号を梅林山といい、寺伝によれば、永禄年間(1560頃)に、開山の顧山明鑑和尚が、地区内にあった無住の数寺を統合したものと言われている。ちなみに、顧山明鑑和尚は、永禄11年1月6日遷化と石碑にある。

参道には数本のロウバイが植えられており、甘い香りが漂っています。
観光協会の花の名所作りの一環として植樹したことから、ロウバイの寺として有名となった。
ロウバイは「蝋梅」と書くことから、梅の一品種であると思われ易いが、梅はバラ科サクラ属であるのに対し、ロウバイはロウバイ科ロウバイ属の落葉低木なのだ。花弁がロウの様なイメージだから付けられた名前だそうです。
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山門は切妻造りの一間一戸四脚門で、正面に唐破風を付したしっかりとした立派な門。山号の梅林山と書かれた扁額が掛かり、両脇の透かし彫りが美しい。
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山門をくぐると、白梅・紅梅が左右にあります。
白梅は、傷んだところを大分切り詰めたようで、痛々しいですがしっかりと花を咲かせていました。
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歴史クラブの先輩の方から、元気なころの写真をいただきました。
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花は大分開いています。
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紅梅は、ほんのちょっぴりほころびているだけでした。
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13代住職の雲溪は墨梅画の作者として名をはせたそうです。

本堂には、本尊釈迦如来と脇侍の文殊・普賢菩薩の三尊仏が安置されています。
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観音堂には、普悲観世音菩薩が安置されています。新しく造像した大きな尊像が安置されていて、本体は本堂内に安置されているそうです。
武蔵野33観音第12番札所。
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普悲観音は、別名を普照観音(ふしょうかんのん)とも言い、大自在天身をあらわす観音さまで、大千世界で衆生を済度するのだそうです。
岩座の上に立ち、両手を袖の中に人れて法衣に隠す姿をしています。全身を衣で被った白衣観音の姿で表され、平等普遍の慈悲を強調した姿とされている。
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恵比須、大国さんと布袋の碑
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境内に秋葉権現もあります。
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福寿草が咲いていました。
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【北野天神】
ここは、武蔵国式内社めぐりで既に記事にしていますので、こちらを参照してください。
http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-1366.html

境内は参道の森の木が高いために日陰が多く、雪がかなり残っていました。
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今回は、梅が咲いてるのではと楽しみに来ました。
拝殿前の梅。期待していたのですが、まだあまり咲いていませんでした。
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前田利家が植えたという「大納言梅」は、二つ三つ咲いていたのみで、まだまだでした。
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【小手指原古戦場】
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この一帯では、たびたび合戦が繰り広げられました。中でも新田義貞による鎌倉攻めの戦いは、印象的であったことを地名や伝承地などからうかがうことができます。
上野国(現在の群馬県)を本拠とする新田義貞は、鎌倉幕府を倒すため兵を挙げ、元弘3年(1333)5月8日に新田荘を出ます。初め150騎ほどであった一行は、兵を進めるに連れて沿道の武士が加勢し、数を増やしていきました。鎌倉を発った幕府軍との合戦の火蓋は、5月11日に小手指ヶ原で切って落されます。戦いは一進一退を繰り広げる激戦となりましたが、幕府軍は徐々に新田軍の進軍を許すところとなり5月22日に陥落、鎌倉幕府は滅びました。

【白旗塚】
新田義貞がここに陣を張り、源氏の白旗を立てたと伝わる。
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前方後円墳型の塚で、塚の頂上には白旗塚碑や石祠の浅間神社があります。小手指原には白旗塚以外にも数個の塚が以前にはあったそうですが現在はこの塚しか見あたりません。
白旗塚は古代の古墳であると考えられていますが、又このような小山の塚は富士山に似ていることから富士信仰の対象として頂上に浅間神社が設けられることが多いようです。一説には江戸時代に冨士講の人達が人工的に作り上げた丘であるともいわれているそうです。
この塚の真相は謎に包まれたままのようです

登り口には比較的新しい古戦場碑が建っています。そこには以下のように刻まれています。
古武将の御魂祭れりこの塚を
護り通せと先祖より受
此の塚を壊せし者は忽ちに
霊魔を受けて死するやもあり
武蔵野の小手指ヶ原古戦場
月の光は変らざりけ里
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この塚も、一時大分荒れ果てたが、郷土の貴重な史跡を守ろうと、地元の有志、近くの北野中学校生徒述べ350名が、5年の歳月をかけ、バケツで土を運んで盛り、植栽して整備したと、碑文にありました。
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頂上には、「白幡塚」の碑と浅間神社の石碑がある。
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【所沢埋蔵文化財センター】
所沢市内の各遺跡から発掘されたものを展示しています。
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入館者のカウンターを「ドングリ」でやっていました。面白い。
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縄文土器などの展示も豊富でした。
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私は、黒曜石と云うと長野県和田峠しか頭になかったのですが、驚いたことに男鹿半島とか、果ては神津島から来ているんですね。これには驚きました。
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泥メンコという玩具があったことを初めて知りました。
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江戸時代、所沢にはこんなにも古道があったのです。驚きました。
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国指定天然記念物・国内希少野生植物種の「ミヤコタナゴ」を飼育していました。
繁殖する習性が、二枚貝の体内に産卵するとは、驚きました。
所沢市では、水槽の中にミヤコタナゴと二枚貝を入れ、自然繁殖を試みていましたが、二枚貝が水槽内では長く生きられず、うまくいかないため、現在人工増殖によって種の保存を図っているそうです。
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【誓詞橋】
誓詞橋(せいしがはし)は新田義貞が所属した軍兵に討幕の誓詞をとって忠誠を誓わせた所と伝えられています。
国道463号線沿いにあります。
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誓詞橋の石碑
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「百番供養塔」が横にあります。
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よく注意して見ないと橋を見落としてしまいそうな小さな橋です。
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欄干は馬に跨って進軍する兵の装飾になっていました。
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(了)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

観光協会の後押しがあったとは言え、「素心蠟梅」を植えるとは、中々、頭がいいですね。「椿」の花も咲きますが、花はともかく、葉が厚くて見栄えがあまり良く感じません。その点、素心蠟梅は冬に咲く花では椿の次に咲きますし、椿の花と異なり、咲いているのを観るとウキウキします。

枝垂れの梅はいいですよね。無量寺の枝垂れ梅もようやくほぼ満開になりました。

matsumo さん

コメントありがとうございます。
蝋梅はいいですよね。
matsumoさんは、色々なところでこの花を撮っていますよね。
お好きなんだと思っていました。

無量寺の枝垂れ梅が満開ですか!
去年は、私は遅すぎましたからね。
やはりこの梅は早いですね。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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