東京都民俗芸能大会

20140305

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3月2日(日)、表題の催しが池袋の東京芸術劇場であり、歴史クラブの仲間と観ました。
プログラムの中で、【川野の車人形/川野車人形保存会/奥多摩町】が、この間の雪害のため出場できなかったのが残念でした。

出演順に紹介します。

【江戸太神楽/丸一仙翁/文京区】
「丸一」は江戸時代から続く太神楽を代表する屋号の一つで、熱田派に属します。熱田派の太神楽は、寛文4年(1664年)に熱田神宮の許可を得て江戸へ赴き、悪霊退散を祈願し大小の屋敷を廻り、寛文9年(1669年)には江戸城で将軍家の上覧に供し、山王権現、神田明神の天下祭では先払いの役を務め、三代将軍家光のお墨付きで苗字・帯刀を許されるに至り、徳川家の御用神楽となって江戸に本拠を移しました。八代将軍吉宗の時代になり、将軍の命を受けて神楽を一般庶民にも供する機会が生まれ、江戸民衆の趣向に合わせて「獅子舞」はよりユーモラスなものとなり、また「曲芸・茶番」等が大衆化して「江戸太神楽(代神楽)」の名でいまに継承されています。

〇獅子舞
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〇曲芸
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【武蔵御嶽神社太々神楽/武蔵御嶽神社太々神楽/青梅市】
御嶽神社の太々神楽は、素面の神楽と面神楽に大別され、寛延2年(1誕9年)に神吉田流の儀式を舞にした素面神楽が、安永年間(1780年頃)に江戸眞先稲荷より神話を題材とした面神楽が伝えられました。以来、社家32戸の神職の世襲によって二百数十年にわたり継承されています。
 素面神楽は12座からなっていたとされますが、現在は奉幣(ほうへい)、剪(きり)、大散供(だいさご)の3座を残すのみで、面神楽は13座が受け継がれています。

○素面神楽
「奉幣」
素面神楽に分類されますが、現在は翁の面を付けて舞い、舞台の中央と四方に幣を捧げる神楽で、能の三番叟のように最初に必ず演じて舞台を祓い清めます。
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「剪(きり)」
神が宿る神聖な太刀を持って勇壮に舞う舞です。
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○面神楽
「天孫降臨」
記紀神話のおなじみの物語で、神楽ではまず猿田彦神が登場し、次に天穂日命(あめのほびのみこと)が現れますが驚いて戻り、次に天鈿女命(あめのうずめのみこと)が遣わされた後、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が登場します。そして、猿田彦神と天鈿女命が祝いの鈴舞を演じます。
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【箱根ヶ崎獅子舞/箱根ヶ崎獅子舞保存会/瑞穂町】
 箱根ヶ崎の獅子舞は、五穀豊穣と家内安全、雨乞いを祈願し、鎮守
の狭山神社の祭礼などで奉納されてきました。由来はつまびらかではありませんが、江戸初期に始まったものとされ、安政4年(1857年)には獅子頭を再建したとの記録が残っています。明治26年の山田範録(半六)の「再生記」によれば、江戸時代には盛んでしたが、元治元年(1864年)、幕末の世情騒然たる時期に一時中止となり、明治の半ばにその再興について有志にはかり復活。明治26年10月、鎮守の臨時祭礼を執行し獅子舞を奉納しました。昭和44年、箱根ヶ崎の古老より獅子舞の保存と継承について強い要望が出され、当時の狭山神社総代らが町民各層に呼びかけて後援会を組織し、保存会が結成されて現在に至っています。昭和47年には瑞穂町の無形民俗文化財に指定されました。

「棒づかい」
曽我兄弟の仇討の物語をもとにしたもので、「十郎と工藤の場」「五郎と朝比奈の場」からなり、二人が一組となって向かい合い、自分の身分を歌舞伎調の台詞で述べて、長刀と槍、太刀とくさり鎌による立ち合いを演じま
す。
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「獅子舞」
雄獅子の太郎と次郎、雌獅子の花子の獅子三頭に蝿追(はいおい)が加わり、笛の音と唄にあわせて舞います。獅子舞は、道行笛の後、四隅に竹を立て注連縄を張った角陣(庭)の中で演じられ、「入りは笛-くるい笛一廻れや車唄一歌がかり唄一女獅子隠れ唄一岩くだき唄一女獅子がかり唄一松山の唄-旭がくれる唄一道行にかえる」の順で進行します。
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【羽田囃子/羽田囃子保存会/大田区】
 羽田囃子は、江戸湊の漁師町としてひらかれた羽田地域の鎮守である穴守稲荷神社、羽田神社、六郷神社の祭礼で演じられてきたもので、その起源については、江戸期慶長年間や明治元年等の諸説がありますが、記された文献も現存せず定かではありません。戦前までは祭囃子は盛んで、穴守、鈴木新田、大東、仲東、上東、下仲、稲荷前、横町、前河原、西町、中村、上田などの各集落に笛や太鼓の名人たちが出てその技を競いあったと言われますが、戦後は演奏者の数が減少し、伝続を途絶えてはならないとの地域の人々の想いから、昭和26年4月に保存会を結成。現在は羽田囃子保存会として祭囃子を継承しています。
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【三宅島の獅子舞/伊ケ谷郷土芸能保存会/三宅村】
 歌と踊りの宝庫~伊豆諸島のなかでも、三宅島は民俗性豊かな祭事芸能が数多く継承されています。島内の数多くの芸能は、二年に一度、8月4日から9日に行われる富賀神社夏大祭で披露されます。この大祭では、豊年万作を願い、神輿が島内5地区(阿古、伊ケ谷、伊豆、神着、坪田)をそれぞれの集落にある御旅所に1泊ずつしながら時計回りに巡行しますが、伊ケ谷では獅子舞が神輿の先導役となって練り歩きます。
 伊ヶ谷の獅子舞は、古くから2月の初午に家内安全を祈願し、集落の家々を廻り演じられてきました。もともとは江戸時代に流人により始められたと言われ、江戸期には流刑の地であった三宅島は、多くの流刑者とともに本土の習俗や文化がもたらされました。明治になって、獅子舞は流人のはじめた事という理由で中止となりましたが、その年に伊ケ谷地区のおよそ半数の家々が焼失するという大火事が発生しました。
 村人たちは獅子舞の中止が大火事の原因であると悔い、再び獅子舞を復活させ、以来、火伏せの獅子としていまに継承されています。
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最後に客席を廻って、頭を噛んであげるという大サービスでした。
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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

おっ、今年も行かれたのですね! 私の方は「浪曲の会」が当たったのですが、オーケストラのコンサートの方を優先して行けませんでした。

「川野の車人形」は高尾駅から陣馬高原下行バスに乗ると、途中で紹介の車内放送があるもので、1人で人形を操作できるように車の上に乗って行う話しだったと思います。武蔵御嶽神社の太々神楽は同神社の6月の第3日曜日に演じられるようなのですが、未だに、その時に行ったことがありません。

箱根ヶ崎獅子舞は結界を張っているのがすごいですね。


matsumo さん

コメントありがとうございます。
「川野の車人形」は期待していたので、残念でした。
神楽は、やはり神社の神楽殿で見るほうが
良いですね。
今年は神楽を精力的に見ようと思っています。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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