御田八幡神社(延喜式内論社)/港区三田

20140313

住所:東京都港区三田3丁目7−16

3月9日(日)に、前記事のように磐井神社のあと、御田神社にお参りしました。
古絵図「芝三田二本榎高輪辺絵図」(文久元年改正版)によれば、直ぐ正面に東海道が走り、その向こうは江戸湾の海浜が開け、海側斜面に位置しているので、さぞかし風光明媚であったと考えられる。
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田町から、第一京浜に出て歩いていきます。
第一京浜(旧東海道)に入り口があります。太陽の位置の関係で、田町駅方向で撮りました。
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社号標
式内社 武蔵國荏原郡 薭田神社 旧郷社
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歴史:
和銅2年(709年)8月、東国鎮護の神として牟佐志国牧岡の地に祀られたのに始まる。寛弘7年(1011年)、武蔵国御田郷久保三田に遷座し、嵯峨源氏渡辺一党の氏神として尊崇された。延喜式神名帳には「武蔵国荏原郡 稗田神社(ひえだじんじゃ)」として記載されている。ただし、「延喜式内稗田神社」は、大田区蒲田の稗田神社・東六郷の六郷神社なども論社となっている。
徳川家康の江戸城入城の際に奇瑞があったことから、現在地である荏原郡上高輪村海岸を開拓して社殿を造営し、寛文2年(1662年)8月に遷座が行われた。しかし、寛文8年2月の大火により社殿は全焼、仮殿が伊皿子坂薬師寺に置かれた。寛文12年8月に社殿が再建され再度遷座された。
慶応元年(1865年)に神祇官により延喜式記載の「稗田神社」に改称、明治5年(1874年)に「三田八幡神社」に改称し、郷社に列した。明治30年(1897年)に「御田八幡神社」に復した。昭和20年の東京大空襲で寛文12年造営の社殿が焼失し、戦後の昭和29年に復興された。

石造八幡型鳥居
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鳥居から少し進むと、石段ですが、男坂と女坂が並んで設けてあります。
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石段の上がり口に狛犬が、鉄柵に守られています。
子犬に乳をあげている。
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こちらは子犬を押えている(笑)
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手水舎
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境内
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拝殿前にも狛犬が居ます。年号がわかりませんが、尾の形などからかなり古いものだと思います。
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拝殿
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祭神は、誉田別尊命(応神天皇)を主祭神とし、天児屋根命、武内宿禰命を配祀とする。

本殿
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神紋は「右三つ巴」
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明治42年奉納の鉄製天水桶
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文政10年(1827)奉納の、石盤のようなお百度石。こんな大きなお百度石を初めて見ました。
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神楽殿
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境内社で二棟を連結したような、朱の美しい社殿の五光稲荷神社と御嶽神社。
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御嶽神社(大己貴命/おおなむちのみこと)
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五光稲荷神社(宇迦御魂命/うかのみたまのみこと)
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本殿の横には、多くの狛狐を持つ石祠(稲荷社)があました。
鳥居の扁額はかろうじて「伏見稲荷大明神」とあった。
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絵馬は、八幡全景と馬の二種ありますね。
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神社境内を左奥へ抜けると、亀塚公園へ上る階段の途中に出る。全部で136段もあり、都心の階段では最も段数が多く、高低差も大きいそうです。

階段の途中に出ると、下からの階段がある。
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出たところの踊り場に梅が一本。
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写真を撮っていると、自転車を持ったお母さんが子供と上がっていきました。上の公園で遊ぶんですね。お母さんは強い!
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もう一度折り返して上がります。
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長い階段を上りきると亀塚公園である。園内の亀塚の名称の由来は複数伝えられています。
・円墳状の盛り土が存在することによるもの。但し、昭和46年に実施した港区教育委員会と慶應義塾大学文学部との合同調査では副葬品も含めて何も見つかっておらず、古墳であったとは判断できない。
・竹芝伝説の竹柴の衛士の宅地にあった酒壷の下に住んだ霊亀を土地の人が神にまつったものであるとされるもの。

亀塚
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亀塚の頂上
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「亀塚霊神祠跡」と刻まれた石碑
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亀山碑
江戸時代、この地を屋敷地としていた沼田城主土岐頼煕が亀塚の由来を記したもの。
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公園に、「付近沿革案内」という掲示板があり、西側の道路が古奥州街道にあたり、この地は、平安時代に著された「更級日記」に紹介された竹芝皇女の物語の遺跡といわれ、亀塚の伝説が残されていると書かれていた。
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古奥州街道にあたる道路。右側の塀の中が亀塚公園。
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その道から下りていく道で「幽霊坂」というのがあった。
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道標の説明では、坂の両側に寺院が並び、ものさびしい坂であるためこの名がついたらしい。
(最初の古絵図参照)
有礼坂の説もある。
幽霊坂は、東京に七か所あるそうです。

亀塚の辺からは、昔は海が綺麗に見えたのでしょうが、今はこのとおり。高いビルに阻まれています。
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また公園から、長い階段を降ります。
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階段の左右の草地には、気の早い花が咲いてるのがありました(笑)
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田町から歩いてきて、御田八幡に着く直前、気になるものがあったので帰りに寄りました。
三田ツインビルという高い建物の横にありました。
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長い石段の上に、何かあります。
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行って見ると、「都旧跡 元和キリシタン遺跡」でした。
三代将軍家光が、元和9年江戸でキリシタンを処刑しました。神父など50名。処刑は東海道の入り口にあたる丘が選ばれた。
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これで、武蔵国荏原郡の二坐、現在は式内社、式内論社合わせて6社ありますが、全社お参りしました。


いままでの神社巡拝リストは下記をクリック
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/jinjyajyunpai.html


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

場所がよくわからなかったので、区分地図で確認しました。東京タワーの南側から泉岳寺の北側までは私にとっては完全に空白地帯ですね。

さて、写真を見せていただきましたが、お百度石の彫刻が素晴らしいですね。後は、拝殿前の狛犬はユーモラスで良いですし、また、長屋形式の五光稲荷神社と御嶽神社もいいですね。

幽霊坂なんて言う地名があるのですか! ううん、近所にあったら、夜、通るのは嫌ですね。

matsumo さん

コメントありがとうございます。
いつも精力的に飛び回っているmatsumoさんに、
空白地帯があるなんて、驚きました(笑)

狛犬は、古いものほど、魅力的なのは、
どうしてでしょうか。


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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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