鎌倉五山を訪ねる(1)

20140319

18日(火)に歴史クラブの行事で行きました。参加者25名のバス旅行です。

大船のほうから入っていき、最初に位置するのが鎌倉五山二位の円覚寺です。
バスを降りて、JR横須賀線の線路を越えていきます。
ここも円覚寺の寺域ですが、軍港横須賀に通じる線路を軍部が強引に通してしまったとか。
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【円覚寺】
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鎌倉幕府8代執権北条時宗は弘安元年(1278年)から文永の役の戦没者の菩提を弔うためと、己の精神的支柱となった禅道を広めたいと願い円覚寺創建を始めた。弘安5年に落慶したがその間、文永の役に続いて弘安の役も起き、弘安の役での戦没者の慰霊も円覚寺の役目となった。当時鎌倉にいた中国出身の高僧蘭渓道隆(建長寺初代住職)は弘安元年7月に没してしまったため、時宗は代わりとなる高僧を捜していた。そして弘安2年(1279年)に来日した中国僧・無学祖元(仏光国師)を開山に招いた。鎌倉にはすでに時宗の父・北条時頼が創建した建長寺が存在していたが、官寺的性格の強い同寺に対し、円覚寺は北条氏の私寺という性格がより強かったと言われる。また、中国に帰国しようとしていた無学祖元を引き止めようとしたという事情もあった。

山号の「瑞鹿山」は、円覚寺開堂の儀式の際、白鹿の群れが現われ、説法を聴聞したという故事によるものとされ(『元亨釈書』等による)、今も境内にはその鹿の群れが飛び出してきた穴と称する「白鹿洞」がある。また寺号の「円覚」は、時宗と蘭渓道隆とが寺を建てる場所を探している際、現在の円覚寺がある場所に至り地面を掘った所、地中から石櫃(いしびつ)に入った円覚経という経典が発掘されたことによるというが(『本朝高僧伝』等による)、これは建長寺開山と因縁つけようとした意図のある伝説であると円覚寺はみている。

「総門」
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山号額
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拝観出入り口のとこに花が飾られている。
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巨大な「山門」
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お寺に鳥居??
弁天堂に上がる石段は143段あります。
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国宝の「洪鐘」(おおがね)
正安3年(1301)の刻銘があります。
作ったのは九代執権北条貞時、鋳物師は物部国光。
鋳造を頼まれた物部国光は、大きな鐘のため二度の失敗を繰り返すが、北条貞時が七日七夜江ノ島弁財天に参籠したため、その加護によって三回目の鋳造で成功したのだという。
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「洪鐘弁天堂」
北条貞時は、洪鐘鋳造の成功に感謝して弁天堂を建立した。
弁天堂には、江ノ島にあった弁財天が円覚寺の鎮守として祀られている。この弁財天は弘法大師の作ともいわれ、江ノ島の弁財天とは夫婦弁天と呼ばれている。
61年ごとに行われる「洪鐘祭」で、夫婦弁財天が出会うこととなっている。
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弁天堂横の見晴らしからは、眼下に東慶寺などが眺められる。
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紅白梅越しに「仏殿」
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仏殿内部
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天井には前田靑頓の「白龍図」
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本尊の「宝冠釋迦如来坐像」
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「妙香池」
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「虎頭岩」
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「国宝舎利殿」
門前に「佛牙舎利塔」という石柱が立っています。
説明を読むと、お釈迦様の歯牙をお祀りしていました。
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門から先は入れません。参道が真っ直ぐ伸びています。
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円覚寺開堂の儀式の際、白鹿の群れが現われ、説法を聴聞したという故事があり、その鹿の群れが飛び出してきた穴と称する「白鹿洞」。
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「黄梅院」
時宗公夫人覚山尼が時宗公の菩提のため建立した華厳塔の地に、足利氏が夢想国師の塔所として建立。
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黄梅院の境内に「ミツマタ」が咲いていました。
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梅越しの「開基廟」
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「開基廟」
北条時宗公をお祀りしています。
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托鉢から帰ってきたのでしょうか。雲水の行列に出会いました。
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円覚寺の次に、鎌倉五山第4位の浄智寺にお参りしました。

【浄智寺】
鎌倉幕府第5代執権・北条時頼の3男である北条宗政の菩提を弔うために、弘安6年(1283年)に創建された。開基は宗政の子・北条師時としたが、当時の師時は8歳であり、実際には宗政の妻と兄・北条時宗による創建である。開山は日本人僧の南州宏海が招かれるが、宏海は尊敬する宋出身の高僧兀庵普寧と導師の大休正念を開山にして自身は準開山になる。なお兀庵普寧は文永2年(1265年)に中国に帰国し、浄智寺開山の7年前に没している。

その後、高峰顕日や夢窓疎石らの名僧が住持し、最盛期には七堂伽藍を備え、塔頭も11寺院に達した。元亨3年(1323年)の北条貞時13年忌には浄智寺からの参加僧衆は224人に達したと記録にあり、当時浄智寺の総人員は僧侶以外も加えると500人ほどに及んだとみられる。発掘調査では谷戸のずっと奧、天柱峠のすぐ下あたりまで人の手の加わった跡があり、おそらくは現在の円覚寺の規模に近いものがあったと思われる。

鎌倉幕府滅亡後も寺勢は衰えず、延文元年(1356年)には火災で創建時の伽藍を失うが、室町時代にもまだかなり大きな寺で、上杉禅秀の乱のあとの応永24年(1417年)に足利持氏が鎌倉に戻ったとき、まず浄智寺に入り2か月以上滞在した。また持氏の子・永寿王(後の足利成氏)が宝徳元年(1449年)に鎌倉に入ったときも浄智寺に滞在したなども寺の規模の大きさを示している。

しかし、15世紀半ばころから都市鎌倉そのものの衰亡と足並みをそろえて徐々に荒廃し、なお江戸時代末まで塔頭8院を維持したが、大正12年(1923年)の関東大震災でその大部分が倒壊し、今日の伽藍は概ね昭和になってから復興された。

まず石橋がある。
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石橋の向こうに、鎌倉十井のひとつ「甘露の井」の表示はあったが、落とし口が二か所あり、いずれも水は出ていなかった。

三門
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さらに石段を上がります。
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二階に鐘のある「楼門」
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上層の軒にかかっている扁額の書体から、ひょっとして石川丈山?
帰ってから調べたら、やはりそうでした。 「山居幽勝」
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楼門から枝垂れ梅が見えたので、飛んでいきました。
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「曇華殿(仏殿)」
本尊は阿弥陀如来・釈迦如来・弥勒如来の三世仏で、それぞれ過去・現在・未来を象徴する。
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「コウヤマキ」、鎌倉一の巨木。
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根元に子持ち観音が
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藁ぶきの庫裡がいい感じです。
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こちらの「ミツマタ」はボンボン咲きです。
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奥の谷戸のほうに行くと、まず「横井戸」がありました。
真っ暗で、途中フラッシュで撮って出てきてしまった。
奥まで行けていません(苦笑)
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鎌倉の典型的な「やぐら」
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洞窟の一つに、珍しい「宇賀神」を祀ってあった。
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これは竹林とマッチングして、いい感じです。
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トンネルを抜けると・・・・・・
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雪国ならぬ・・・・・・
鎌倉江ノ島七福神の一である布袋の石像をまつる洞窟でした。
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「梅花樹下」と書いた額の門から出て、拝観終了。
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そこから少し歩いて、「鎌倉五山」というケンチン汁のお店に行き昼食です。
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ケンチン汁セットとケンチン蕎麦で、はち切れる程満腹(嬉)


(続く)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

歴史クラブの行事、今月、2回目ですね。いやあ、すごいです!

円覚寺ですか。私が行くときは、北鎌倉駅で降りて、裏口より出て、大船駅方向に100m程進むと、右に石段が見えますので、右折して、それを登ります。すると、円覚寺の塔中の1つに着くのですが、そのすぐ側から、富士山がよく見えます。その場所より、今度は南方向に進むと、円覚寺に着くのですが、途中からも富士山が結構、見えます。茅葺き屋根のお堂の辺りに結構、白梅がありますが、終わってしまったようですね。

浄智寺は、素心蠟梅と白梅が結構、咲いているのですが、ここももう終わってしまったようですね。

matsumo さん

コメントありがとうございます。
今月は多いんですよね。
あとバス旅行が一回、徒歩が一回あります。
matsumoさんは、やはり鎌倉も詳しいですね。
すごいです。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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