村檜神社(延喜式内社)/栃木県下都賀郡岩舟町

20140330

所在地:栃木県下都賀郡岩舟町小野寺2255

3月28日(金)に歴史クラブ行事「関八州式内社めぐり」で下野国の三回目です。
最初に訪ねたのが、この村檜(むらひ)神社です。

社号標
式内社 下野國都賀郡 村檜神社 旧郷社
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創祀は孝徳天皇の御宇大化二年(六四六年)と伝えられ、熊野大神、大山咋命二柱を祀り、 佐野庄小野寺十郷(小野寺、上岡、下岡、三谷、新里、古江、下津原、駒場、鷲巣、畳岡)の総鎮守として崇敬され、 のち平城天皇の御宇大同二年(八○七年)に皆川村小野口に鎮齋せる八幡宮を当社に合祀、主祭神と仰ぐ。
 醍醐天皇の御宇延喜年間には勅命により、国内神社を調査せし時にその撰に入り、全国二八六一社の延喜式内社に列せられる。
 藤原秀郷公、唐沢山に築城の際当神社が鬼門に当ることから守護神として、厚く崇敬し、天慶二年(九三九年)平将門叛せし時、藤原秀郷公これを亡ぼし村桧神社の御神徳の賜ものであると奉幣且つ弓矢を奉納、又永代七○貫文を奉り特に尊信した。(下野国誌。)
 現在の社殿(本殿)は室町後期の建物で三間社春日造屋根は桧皮葺にして国の重要文化財の指定を受けて居り、造営に付いては小野寺領主、唐沢城主、足利義持等があたったと伝えられている。
など崇敬極めて厚く、下野国式内三之宮として今もなお崇敬せられている。

おっ、丸型ポスト!!
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(02)

社号標の後ろ、どうしてここに??
家に帰ってから村檜神社を調べていると、前の写真で右手に白い建物がありますが、「村檜会館」と云って、社務所と宮の下簡易郵便局も兼ねていることがわかりました。

バスの駐車の関係で、一の鳥居を通り越して参道の途中から歩き始めました。
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狛犬が一基だけあります。
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神橋を渡ります。
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木製の二の鳥居があります。
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参道の右側に石碑があり、この字体には弱いのだが、「奉納 敷石」ではないだろうか。
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手水舎
水はありませんでした。
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深い木立の参道を歩いてきて、石段です。石段の上に神門があります。
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石段の途中、左手に境内社がある。何も掲示は無いが資料では住吉神社らしい。
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神門の社額
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神門の片方の部屋には太鼓が置かれていた。
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境内
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社殿
拝殿は無く、本殿を囲む垣の入り口の門での参拝となります。
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御祭神は誉田別命、熊野大神、大山咋命

笑っているような、ユーモラスな狛犬。
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現在の社殿(本殿)は室町後期(天文22年=1553)建築で、県内では珍しい三間社春日造、屋根は檜皮葦。小野寺領主・唐澤城主・足利義持等がその造営にあたったと云われている。本殿の西南側の柱には、埋め込みの工法で甚五郎作と云われる「うり」が刻まれており、構造・彫刻いずれも格別で、県内では勿論他にもあまり例を見ないほどその技法ガ素晴らし<、室町時代後期の傑作として明治41年(1908)特呂u保護建造物として国の認定を受け、昭和25年(1950)に国の重要文化財に再指定された。
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三間社春日造
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甚五郎作と云われる「うり」の彫刻が見つかりません(汗)
社務所の巫女さんに尋ねると、「村檜神社略記」という冊子に載っている写真をコピーしてくれました。
それを参考に探しましたが、ついにわからず(泣)
その写真を載せておきます。
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破風の鬼瓦が変わっている。
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神紋は「右三つ巴」です。
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社殿の左手にある境内社の西宮神社。
昔は境内社11社だったが、8社を西宮神社へ合祀したとのこと。
「もう帰るよ!」の幹事の声にせかされ、横から撮ったのみでした。
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ちなみに、織姫神社は火災で、厳島神社は台風で失い、再建されていないようだ。
西宮神社へ合祀されていることを祈るのみ。

神楽殿
元旦祭と10月17日の例祭に「依田流太々神楽」が奉納される。安永2年(1了了3)に始まり現在も続<。この神楽は無言にして神楽歌など一切なく、笛・太鼓・鼓に調子を合わせて舞うのが特徴だそうです。
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ご神木
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当社には、関東一といわれた大檜があったが、大正末年に枯れてしまったそうです。当時は高さ80m、直径5m、樹齢2000年以上だった。

神門をくぐって、帰ります。
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【小野小町の墓】
入り口まで戻って来ると、横にあるお寺の表示に引っかかってしまいました。
「小野小町の寺」とあります。
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「大慈寺」といい、行基菩薩によって建立されたとありますから、相当なお寺です。
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これは、後で調べると薬師堂です。
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鐘楼
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帰ってから調べると、大きなお寺の様で、私たちは横から一部をチラ見したに過ぎません。
ライシャワー氏が慈覚大師の研究で訪れ、植えたメタセコイアもあるようです。

問題の小野小町ですが、説明がありました。
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するうち、道の方から「小野小町の墓があるよ」との声。
飛んでいくと、看板があります。
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団体行動の悲しさ、もう皆バスに乗っているようです。
遠くから、望遠で覆屋を撮ったのがせいぜいでした。
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帰ってからWikipediaで調べると、小野小町は生没年不詳となっていて、良く分かっていない人なんですね。
小野小町の墓も、北は宮城県から南は山口県まで、11のお墓の伝承がありますね。
その中に、この栃木県の小野寺も入っています。
岩舟町商工会のページに載っている写真は、まだ覆屋の無い状態のものでした。
覆屋は、ごく最近建てられたもののようです。
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(続く)


いままでの神社巡拝リストは下記をクリック
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/jinjyajyunpai.html


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下都賀郡岩舟町エージェント:貴殿の記事ダイジェストをGoogle Earth(TM)とGoogle Map(TM)のエージェントに掲載いたしました。訪問をお待ちしています。

コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

この狛犬、いいですね。顔の表情は勿論、背中も面白い形をしていますし。

小野小町の墓ですか。私は坂東33観音巡りの時に、茨城県にある「第26番南明山清滝寺」の側で墓に出会ったことがあります。その上、辺りは「小町の里」と呼んでいるようでした。

やはり、集団行動だと大変ですよね。以前、積丹半島への定期観光バスに乗った時、撮影時間が十分になくて、ガッカリしたことを思い出しました。

matsumo さん

コメントありがとうございます。
私は、小町の墓初めてだったので
ビックリしました。

団体とはいえ、仲間ですから、
足を引っ張るようなことをしては
申し訳ないですからね。
私は写真を出来るだけ撮ろうとするので、
いつも置いていかれそうになります(笑)
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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