総社神明宮・蛇穴山古墳・山王廃寺・上野国分寺跡・徳蔵寺/群馬県前橋市総社町

20140413

4月11日(金)に歴史クラブ行事で訪ねたうちの後半です。
宝塔山古墳から、昼食を食べるお店に歩いて移動。
その途中、芭蕉の句碑がありました。
かって前橋市総社町光巌寺境内の古墳上に建っていたが、いまは総社資料館の庭の外れに置かれ、ちょうど私たちが歩いた道沿いにあった。
「けふはかり人もとしよれ初しぐれ」
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昼食のあと、総社神明宮からスタートです。
総社神明宮の前の道沿いに「総社町道路元標」があった。
これは大正9年(1920)の道路法改定により、各市町村に設けられたもの。
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【総社神明宮】
所在地:前橋市総社町総社1236
慶長9年(1604)総社領主秋元長朝公が築城と城下町を整備。大手門の西のこの地に伊勢神宮を勧請した。祭神は天照大神、別名大日孁貴命・豊宇気毘売神の二柱である。その後天明8年(1788)、外宮御師三日市大夫次郎の家人的場氏により伊勢の遙拝殿を移築、寛政3年(1791)内宮の遙拝殿を造営した。遙拝殿は12本の丸柱の門構えの特殊な構造で、伊勢殿の額が掲げてある。公民館前に名主三雲源右衛門長郷の記した伊勢殿移築の碑がある。大神宮は総社町の総鎮守で10月9日に祭礼が行われる。
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遙拝殿
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伊勢殿移築の碑
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拝殿
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屋根が重厚な瓦葺きだ。
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本殿は土蔵の中に納められており、まったくわからない。
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正徳3年(1713)建立の石仏。両手に剣と鉾を持っているのが珍しい。何だろう?
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【蛇穴山(じゃけつざん)古墳】
所在地:群馬県前橋市総社町
形状:方墳
規模:一辺39m、高さ5m
築造年代:7世紀末から8世紀初頭

墳丘は2段築成で幅12メートルの周堀を巡らせている。埴輪は確認されていない。
主体部は両袖型横穴式石室で、玄室長3メートル、幅2.6メートル、高さ1.8メートルである。羨道部は無い。

推定復原図
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東から
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南から
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石室入り口の石の構成は見事。
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正面の壁に漆喰の跡と、文字が書かれているのがわかる。後述の碑文参照。
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石室は天井、奥壁、左右壁ともに、見事に加工した各一枚の巨岩で構成している。縁はL字形に切り込んで組み合わせているそうだ。
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祭壇みたいな石が置かれているが、この上に石棺が安置されていたのかもしれない。
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この碑に書かれている文によると、古墳奥壁に書かれている碑文により、かっては古墳周囲の水濠を弁天池と見立て、弁天様が昭和初期まであったという。
そして、環濠の一部に小学校のプールが設けられるにあたり、古事に因み江の島弁才天を勧請し、「蛇穴山弁才天」を鎮座したとある。
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蛇穴山弁才天の石碑
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古墳上部
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北から
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ここからバスで移動し、山王廃寺に行きました。

【山王廃寺】
所在地:前橋市総社町総社2408
山王廃寺は飛鳥時代(白鳳時代)の寺の跡で、今はもう寺は途絶えてしまっている。その五重塔の礎石が日枝神社神社の境内にあることから、神社の守護神「山王権現」の名前を取って山王廃寺と呼ばれている。寺の本当の名前が「山王寺」だったわけではない。
「放光寺」「方光」などと記された瓦が出土しており、山上碑の碑文にみえる「放光寺」がこの寺であると考えられている。

1.発掘調査により、回廊の中に西に金堂、東に塔が並ぶ伽藍配置であることが判明しました。
2.塔の心柱の根元を飾る根巻石(ねまきいし)は、国指定重要文化財です。石製鴟尾(せきせいしび)は、 旧「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」による国認定重要美術品です。
3.緑色の釉薬(うわぐすり)がかけられた水差及び碗・皿のほか、菩薩や天部の塑像(そぞう:木の芯に粘土を重ねて成形した像)の破片が多数発見されています(内容・質ともに法隆寺の五重塔の初層に飾られている塑像群に匹敵するとも言われています)。
4.周辺は、7世紀代に築かれた3基の大型方墳を伴う総社古墳群が至近地にあり、7世紀代に上毛野地域の中心地として成長した地域です。8世紀には国府が置かれ、上野国分寺・上野国分尼寺が建立されるなど、律令体制下における政治・社会・文化の中心地域となったと考えられています。
5.山王廃寺は、総社古墳群を築いた上毛野を代表する豪族が建立した寺院と推定されています。

推定復原図
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掲示されていた説明
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現在日枝神社となっている。
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「五重塔の心礎」を保護する六角堂
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心礎。仏舎利を納める穴もある。
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石製鴟尾と塔心柱根巻石が並んで置かれている。
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国認定重要美術品 「石製鴟尾」
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国指定重要文化財 「上野国山王廃寺塔心柱根巻石」 
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社殿の横にも、礎石だったらしいものがある。
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日枝神社社殿
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中には、本殿がビニールで覆われて祀られていた。
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社殿の周りには、たくさんの石像があった。

三猿なので、庚申塔と思うが、実に面白いものだ。
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庚申塔。基壇のトリが良い。
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不動明王。「女人講」とある。
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台座に「中村講」とある富士講碑
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淡嶌大明神
淡島神のことですね。
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正面に像が彫ってあるが、何の神か不明。波の上に乗っているので市杵嶋姫命か?
右には「秋葉大権現」、背面には「馬頭尊」、左に「北辰霊尊」と其々文字で神が彫られている。
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それからちょっとバスで移動して、国分寺跡に。

【上野国分寺跡】
所在地:群馬県前橋市元総社町小見
奈良時代の天平13年(741年)、聖武天皇は国ごとに僧寺と尼寺を造ることを命じた。これが国分寺で、後に僧寺が「国分寺」と言われるようになった。
当時の群馬県は上野国と呼ばれており、その国分寺は今の高崎市と前橋市の境近くに建てられた。

当時、災害や政治の乱れに苦しんだ聖武天皇は、仏教の力でこれを治めようと、国ごとに国分寺を造らせるとともに都には東大寺を建立した。

寺域は東西220m、南北235mに及びます。
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入って行って、目につくのは版築で復元された築垣。
創建当時の工法と同じく、棒でつき固めた土を積み上げる版築で造ってある。東日本では初の本格的な復元だそうです。
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復元された塔の基壇
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復元された金堂基壇
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ガイダンス施設の上野国分寺館
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復原模型
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七重塔の復原模型
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出土品
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奈良三彩も出ている。
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瓦に色々な文字が書かれている。
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それからまた、ちょっとバスで移動、総社神社に移動。
総社神社は、別記事で載せるとして、その隣の徳蔵寺にも寄ったので、それをここで載せておきます。

【徳蔵寺】
所在地:前橋市元総社町元総社2379

徳蔵寺は神仏習合時、上野国総社神社の別当寺だった。

参道にあった淡嶋様。
淡嶋神は女神で、夫人の下の病に霊験があるといわれ、安産祈願や縁結びの神として祀られる場合も多い。
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参道わきにズラッと石仏が並んでいる。
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小さな石仏を集めた小屋もあった。
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石仏の十王尊像があった。
狭山市には、「紙本地蔵十王図」というのがあって、奪衣婆、修羅を加えて13幅としていますが、これは10体で基本形ですね。十王の中では閻魔(大)王が有名。
十王とは地獄において亡者の審判を行う10尊のことで、没後の初七日、二七日、三七日、四七日、五七日、六七日、 七七日(四十九日)及び百か日、一周忌、三回忌には、順次十王の裁きを受けることになるという信仰からきています。
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本堂
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伝教大師像
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輪廻塔
三界、六道の世界から救いを求めて車輪を回すもので、車輪が失われている。
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次回は、上野総社神社を載せます。


(続く)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

なるほど、前橋って色々な史跡があるのですね!

猿が上に乗っている庚申塔?がいいですね。

富士講碑、もしかして、どこかの古墳を富士塚として建てたのではと思いました。

文字が書かれた瓦、多分、その人が寄附したのでしょうね。確か、どこかのお寺で、やはり、瓦の寄附を募っていて、瓦に名前を書く話だったことを思い出しました。

matsumo さん

コメントありがとうございます。
前橋、というか総社町ですよね。
一つの町に、これだけの史跡が集まっているのは、
そうそう無いですよね。

瓦に書かれた文字が、また様々で
見ていて面白かったですね。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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