大前神社(延喜式内社)/栃木県栃木市

20140419

所在地:栃木県栃木市藤岡町大前字磯城宮383

3月28日(金)に行われた歴史クラブ行事「関八州式内社めぐり」の続編です。
下野国の三回目となりますが、村檜神社、大神神社、安房神社、胸形神社と回って、最後に訪れたのが当社でした。

社号標
式内社 下野國都賀郡 大前神社 旧郷社
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由緒:
当神社は創立時代は未詳であるが人 皇六十代醍醐天皇勅撰を蒙り延喜五年八月 式内社に列せられ延喜式内の稱号をたまわり下野国十一座の一社として神名帳に登載 されている。
社伝によれば天慶二年(九九三)平将門の乱の際、村中ことごとく兵火に焼かれ当社も焼失 したが間もなく再建された。
而し室町時代再度の火災により社運が衰い祭祀を廃する事数百年であったと言ふ。
天正十九年(一五九一)徳川家康入府の際再建され、元和八年(一六二二)当地が古河領とな り領主永井直勝は社地五反歩田四反七畝を 寄進し永井氏佐倉に移封された後も武の神として近郷近在より崇敬されたといふ。
明治三年栃木県管轄となり近郷の総鎮守と されて明治五年十一月郷社に列格した。
現在の鎮座地は明治十二年四月移転されたもので旧社地跡は北方約四百m離れた台地であった旧社地跡の記念碑も土地改良によって北方約百mの畑地に移されている。
下野国誌によれば「オオサキ」と稱しているが、当社近郷では「オオマエ」とよんでいる。
尚当社境内と近隣に九世紀と考えられる「タタラ」跡が三基確認され鎔工傍らに住みたる多くの鎍もみられ字天国府字国造字城坊 などの地名もあり古代よりの社歴を物語る。
-境内案内より-

入り口
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二の鳥居
調べたら、一の鳥居はちょっと離れた藤岡第一中学校の北、スーパーとりいやの隣に建っているようです。
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天保4年(1833)建立の、愛嬌のある狛犬が迎えてくれます。
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手水舎
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三の鳥居
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社額の書は二荒山神社宮司のものでした。
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三の鳥居前の、昭和63年建立の狛犬。
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拝殿
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拝殿前の、ダイナミックな表情の狛犬。昭和3年(1928)の建立。
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拝殿向背
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社額
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御祭神は、主祭神が於褒婀娜武知命(おおあなむちのみこと)=大己貴命。
配神が神日本磐余彦=神武天皇、と彦火々出見命=(山幸彦であり)神武天皇の祖父。
祭神が豊城命(豊城入彦命=崇神天皇の皇子)とする説があります。

奉納絵馬
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神紋は「右三つ巴」と「十六菊」
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拝殿後方に、一段高く盛り土され、本殿があるが、覆殿の中でわからない。
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本殿前にも狛犬が居ます。
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神楽殿
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末社の十一基の石祠が並んでいるが、いずれも社名が記されておらず、何神社なのかは不明。
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富士塚があったらしいが、確認しなかった。
不覚(泣)

この歴史クラブでの「関八州式内社めぐり」では、各社ごとに担当者から調査の報告がありますが、地名の「磯城宮」について説明がありました。
境内由緒書によると「大前神社はその先磯城宮と号す」とある。
・「磯城宮」は古事記・日本書紀によると「第10代崇神天皇(在位BC97~BC30)・第11代垂仁天皇(在位BC29年~70年」の宮居である。
・三輪山の麓にある志貴御縣坐(しきのみあかたにます)神社は崇神天皇の皇居(磯城瑞籬宮(しきみずがきのみや))跡と言われ「磯城宮」があった。                   (川端 明)
・第10代崇神天皇の第1皇子「豊城入彦命(とよきいりびこのみこと)、豊城命、豊木入日子命」は後継者を決める夢判断で「御諸山(みもろやま:三輪山)に登り、東に向かって鉾や刀を振り回す夢を見た」と答えた。その後、豊城命は東国の治定にあたったとされている。
記紀によれば上毛野君や下毛野君(上野国・下野国の国王)の始祖でもある。
・「大前神社」の周辺には「境宮」「鷺宮」「北宮」「宇佐宮」有名な「宇都宮」があり、関東の磯城宮があったのではないか?⇒それが地名として残っている?

で、問題は稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣です。
金錯銘鉄剣の、「今獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時吾左治天下」にある「斯鬼宮」はここではないかという説があります。

さきたま史跡の博物館の資料では、ワカタケル大王は雄略天皇か欽明天皇とする説がある、として大和政権の王としているわけですが、一方で関東の大王だろうとする説もあります。
豊城入彦命の系統の可能性もありますね。


これで、下野国は終了となり、次回からは常陸国だそうです。


いままでの神社巡拝リストは下記をクリック
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/jinjyajyunpai.html


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

天保4年(1833)建立の狛犬は首がないみたいな感じで、面白いですね。しっぽも面白い形ですし。また、昭和3年(1928)の建立の狛犬は笑っているような感じで愛嬌がありますし。

富士市立博物館調査「富士塚調査報告書」を調べてみたのですが、「藤岡町」には所在地不明で「浅間塚古墳の転用」で「浅間塚古墳頂部に浅間神社」と1つののみ書かれていました。

matsumo さん

コメントありがとうございます
さすがmatsumoさん、富士塚はお詳しいですね。
そうなると、大前神社境内にあるのがそれかも
知れないですね。
ただ、そういう状態だと富士塚としての要件は
満足していないかも知れないですね。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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