赤坂氷川神社/東京十社

20140422

所在地:港区赤坂六丁目10番12号

4月15日に鬱金桜(うこんざくら)の写真を谷中で撮ったあと、東京十社のうちで未だ参拝してなかったこのお宮さんに参拝しました。
ここには地下鉄の三つの駅からほぼ同程度の時間で行けますが、「六本木一丁目」駅から行きました。
というのは、赤坂氷川神社のある場所には、元禄の頃、備後国三次藩浅野家の屋敷がありました。浅野内匠頭の正室瑤泉院の実家で、赤穂事件の後、実家に戻っていました。
そして大石内蔵助が討ち入り前に瑤泉院を訪ねた時の話が「雪の南部坂」として有名な訳です。

南部坂を通って赤坂氷川神社に行くには、「六本木一丁目」駅からというわけです。

南部坂です。
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雪の夜の帰り道、大石内蔵助が見た景色はいかがだったでしょうか?
昼間の景色です。高層ビルが覆いかぶさって来るかのよう。
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境内図
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南東の入口と北東の入り口があるので、とりあえず両方の入り口から入ります。

南東の入口の社号標
旧府社
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天暦5年(951年)、蓮林僧正が霊夢を見て、古呂故ヶ岡と呼ばれる場所(現在の赤坂四丁目一ツ木台地)に奉斎したと伝えられる。
氷川神社の本社は埼玉県の大宮に鎮座する旧官幣大社・武蔵国一ノ宮の氷川神社です。
出雲の氏族であった武蔵氏が武蔵国造(くにのみやつこ)となって移住した時期、氷川の信仰が広く祀られたといわれています。「氷川」の名は、出雲の簸川(ひかわ・現在の斐伊川)の名に因むものといわれ、農業用水として大きな恩恵を受ける一方、水害にも悩まされた荒川を簸川に見立て、畏敬の念をもって信仰していたと考えられます。

享保15年(1730年)、江戸幕府第8代将軍徳川吉宗の命により、現在地に遷された。現在の社殿はこの時に造営されたもので、東京都の有形文化財に指定されている。麻布氷川神社、渋谷氷川神社、簸川神社などとともに江戸七氷川に数えられ、その筆頭とされる。
明治元年(1868年)、准勅祭社に列する。

鳥居の前にりっぱな灯篭
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南東入口の鳥居
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参道は楼門まで真っ直ぐ。
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途中で、北東入り口からの参道と交差しているので、北東入り口から入り直します。

北東入り口の社号標はよく見えない。
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参道
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参道の途中に桜の古木がある。
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それが大変なことに!
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桜の古木が倒れ掛かって狛犬が支えている!
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他にも支え木をしているので、狛犬には力はかかっていないようですが(笑)

こちらは平然としている。
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北東入り口の一の鳥居
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参道右側に、四合稲荷と西行稲荷があるが、後ほど参拝として進みます。
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石段前の狛犬
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石段を上がる。
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石段上の獅子山
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灯篭があって二の鳥居
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鳥居をくぐって進むと、南東からの参道と交差します。
南東からの参道から楼門を眺める。
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交差点すぐの狛犬
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楼門前の鳥居
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手水舎
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楼門
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楼門に続く瑞垣にあたる塀は重厚な築地塀。
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窓のデザインが面白い。
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楼門の内外に置かれた灯篭は、享保九年(1724)に奉納したもの。氷川神社が徳川吉宗により現在の地に遷座したのは同十五年であり、それ以前は「古呂故が岡」(現在の赤坂四丁目一辺り)にあった。この燈籠はその時代のもの。
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そして、楼門前の狛犬。境内に数多くある中でいちばん古いのがこれ。延宝3(1675)年の建立。
都内で2番目に古いといわれている狛犬
1600年代の「はじめタイプ」ですと、腹の下をくり抜いていない稚拙なものが多いんですが、これはしっかりくり抜いています。また、紐状の尾のデザイン、巻き毛のキュートさなども見逃せません。
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楼門をくぐります。
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拝殿
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祭神は、素盞嗚尊、奇稲田姫命、大己貴命

拝殿内部
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神紋は「右三つ巴」
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この社殿は、本殿・幣殿・拝殿の三つの建物が一体となった、いわゆる権現造りの形式です。
江戸時代の第八代将軍である徳川吉宗によって享保一五年(一七三〇)に建てられました。吉宗は「享保の改革」と呼ばれる倹約政策をとったことで有名で、社殿にも当時の質実簡素な気風を見ることが出来ます。通常は将軍の寄進するような社寺であれば、軒下の組物を何重にも重ねたり、彫刻や彩色などで飾り立てたりするのですが、この社殿の組物は簡素で、彫刻も目立ちません。しかしただ質素なだけではなく、大きな雲形組物や吹寄せ垂木など軽快な意匠を取り入れる工夫も見られます。また全体は朱塗漆としながら、部分的に黒漆塗や黒色金具を用いることで引き締まった印象となっています。
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社殿の手前左手に「額堂」がある。
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月岡芳年筆『ま組』火消し絵馬(港区指定文化財)
『ま』組は赤坂・六本木界隈を受け持つ町火消しで、この絵馬には火事場に向う気負い立つ火消したちの姿がいきいきと描かれ、明治12年に当神社に奉納されました。その時代の火消しの様子を知るものとしても貴重で、平成5年に文化財の指定を受けている。
筆者の月岡芳年(1839〜92)は、江戸末期から明治初期に活躍した代表的な浮世絵師で、12歳で歌川国芳(1797〜1861)の門人となり美人画のほか歴史画や物語画を描き、浮世絵界に新風を吹き込みました。代表作に「月百姿」シリーズなどがあります。
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「『ま組』火消し絵馬」とともに額堂内に掲げられた6点の絵馬。江戸時代末期から明治初期にかけての著名な画家・河鍋暁斎や月岡芳年・柴田是真の描いた絵馬が含まれている。芳年の絵馬は、氷川神社祭礼に際し町内を巡った山車のひとつである「猩々(しょうじょう)」の山車の高欄と人形が描かれており、山車の復原にも貴重な資料となったそうだ。
開いている小さな窓から、斜めの方向でしか撮れないので(汗)
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重厚な築地塀の瑞垣を出て、境内社を巡ります。
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四合稲荷神社
下記四社を明治三十一年、遷座合祀し、赤坂在住の勝海舟翁により「四合(しあわせ)稲荷」と名付けられる。
1.古呂故稲荷(赤坂一ツ木二番地、古呂故天神社境内に鎮座)
2.地頭稲荷(氷川神社遷座以前より拠の地に鎮座)
3.本氷川稲荷(本氷川神社隣接、別当盛徳寺の地内に鎮座)
4.玉川稲荷(赤坂門外の御城端、源弁慶橋のあたりに鎮座)
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狛狐に、面白い文句が書かれた灯ろうが(笑)
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社殿
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神紋は「抱き稲」
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太鼓の皮に神紋が。
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西行稲荷
一瞬、歌人西行かと思ったが、違っていた(笑)
享保の時代、田町5丁目(現在の赤坂3丁目付近)に西行五兵衛というものがおり、榎坂を通行中に狐の形をした三寸程の稲荷のご神体らしい像を拾い、勧請したため「西行稲荷」となった。
町の発展に伴い、大正10年氷川神社境内に遷宮し、別名「火伏の稲荷」ともいわれ、火災除の御利益があるといわれている。
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狐穴か?
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社殿
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本殿に向かって左側にも、稲荷が二社ある。

山口稲荷神社
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社殿の前に、古風な狛犬。
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社殿
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向背に狐の彫刻など、凝っている。
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桶新稲荷神社
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南東の入口から続く参道の左手には、九神社がある。
以下の9つの神社が合祀された境内社だ。
金刀比羅社・諏訪社・厳島社・春日社・天祖社・八幡社・鹿嶋社・秋葉社・塞神社。
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九神社の横に、史蹟の案内板が立っている。
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当社は浅野内匠頭の正室瑤泉院の幽居していた、備後国三次藩浅野家の屋敷址とのこと。
それで、「雪の南部坂」のドラマがあったわけです。
三次藩は、浅野長治 → 浅野長照 → 浅野長澄→ 浅野長経 → 浅野長寔と5代続きましたが、4代長経、5代長寔と2代続いて子供がなくて三次藩は断絶した。
そして、屋敷も収公されていて、その後8代将軍吉宗の時に、この用地を氷川神社とした。

東京都港区指定文化財の「氷川神社のイチョウ」
樹齢400年
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包丁塚
当神社氏子区域の料亭や料理屋が、使い終えた包丁に感謝の念を込め、供養する塚とのこと。
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(了)


いままでの神社巡拝リストは下記をクリック
http://www.lares.dti.ne.jp/~taka-ino/jinjyajyunpai.html





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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

以前に2年間ほど、赤坂にあるビルの会社に通っていたので、あれ、そんな神社、あったのかと思って調べてみたら、この神社のある場所、見事に抜けていました。すなわち、赤坂通りと六本木通りの間ではかなり、西側にある東京ミッドタウンと、港区七福神の1つがある久国神社しか行っていませんでした。今度、港区七福神をまわるときに、行ってみたいと思います。

それにしても、沢山、狛犬がある所ですね。やはり、古い方が味がありますね。

matsumo さん

コメントありがとうございます。
あの辺に勤めていたなんて、いい会社に
居たんですね。
うらやましいですね。
ということは「赤坂の夜」なんて、楽しんで
いたんでしょうね(笑)
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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