秩父神社/秩父三社を巡る

20140516

5月14日(水)の歴史クラブ定例見学会での秩父三社巡り、三峰神社に続いて当社にお参りしました。

境内入口に鳥居が立ち、「國幣小社 秩父神社」の社号標が立っています。
今回は、うっかりして社号標を入れないで、こんな写真でした。
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それで、昨年秩父夜祭に行った際の写真を載せておきます。
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秩父神社のご創建は、平安初期の典籍『先代旧事紀-国造本紀-』によれば、第十代崇神天皇の御代に知知夫国の初代国造に任命された八意思兼命の十世の子孫である知知夫彦命が、祖神をお祀りしたことに始まるとされており、武蔵国成立以前より栄えた知知夫国の総鎮守として現在に至っています。
元慶2年(878年)には神階正四位下に進み、延長5年(927年)に編算された『延喜式』にも掲載されるなど、関東でも屈指の古社のひとつに数えられています。また、中世以降は関東武士団の源流、平良文を祖とする秩父平氏が奉じる妙見信仰と習合し、長く秩父妙見宮として隆盛を極めましたが、明治の神仏判然令により秩父神社の旧社名に復しました。
現存するご社殿は、天正20年(1592年)に徳川家康公が寄進されたもので、江戸時代初期の建築様式をよく留めていることなどから、埼玉県の有形文化財に指定されています。また、毎年12月3日に行われる例祭は、「秩父夜祭」として国の重要無形民俗文化財に指定され、京都の祇園祭、飛騨高山祭と共に日本三大曳山祭のひとつに数えられています。
武州六大明神に四宮として数えられ、武蔵総社六所宮の大國魂神社(東京都府中市)にも祀られている。大國魂神社の例大祭(くらやみ祭)では、当社の神輿も巡行される。中世には妙見信仰と習合し、その後「秩父大宮妙見宮」として栄えた。江戸時代に徳川家康の命により現在の社殿が建てられ、社殿には左甚五郎作と伝えられる「子宝・子育ての虎」や「つなぎの龍」など、さまざまな彫刻が施された。
明治の神仏分離により、妙見菩薩と習合していた天之御中主神に祭神を改め、社名も本来の「秩父神社」に戻した。扁額では「知知夫神社」と表記されている。頒布されている護符などに現在も妙見信仰が遺されている。
1884年(明治17年)の秩父事件では、困民党軍が境内に集結した。
全国の一宮やそれに準ずる神社の祭神を祀る天神地祇社が摂末社にある関係で、全国の一宮が加盟する「全国一の宮会」から、2006年に「知知夫国新一の宮」に認定された。
式内社としては、「秩父郡・二座」のうちの一つ「秩父神社」となります。

狛犬
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手水舎
向うに神楽殿が見えます。
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彫刻が随所にしてあります。流水と亀が多い。
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手水鉢
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それで、真っ直ぐ進むと神門ですが、神門前の広場が秩父夜祭の際には色々な催しがされる会場となります。

これは、一台の屋台が屋台歌舞伎の舞台として置かれ、他の屋台が神門の前で屋台曳き踊りを奉納しているところ。
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神楽殿では国指定文化財である神楽が奉納されています。
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詳しくは、昨年の記事を参照してください。
その記事を読む


夜になると、境内に2台の屋台が置かれ、華やかになります。
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神楽殿の横を通って、巡行に出発する屋台。
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夜祭については下記の記事を参照ください。
その記事を読む


神門
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左右の透垣
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社殿
権現造りで、現在の社殿は天正20年(1592)徳川家康が寄進したもので、江戸時代初期の建築様式をよく留めている。
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向背蟇股及び目貫の彫刻。大黒様と恵比須様が居ます。
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向背正面
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「知知夫神社」と書かれた社額
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拝殿内部
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中央に鏡と御幣。
向かって右に玉と鏡をつけた真榊、左には剣をつけた真榊。また鉾と旗もあります。
当社では随身も侍っていますね。
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祭神は
八意思兼命 (やごころおもいかねのみこと)で、政治、学問、工業、開運の祖神。
知知夫彦命 (ちちぶひこのみこと) は八意思兼命の十世孫で、初代知知夫国造。
天之御中主神 (あめのみなかぬしのかみ)は鎌倉時代に合祀
秩父宮雍仁親王 は 昭和天皇の弟。昭和28年に合祀

神紋ですが、『官國幣社 例祭之由来と神紋』には、正紋が「葵」、更紋が「銀杏」と書かれているそうです。

賽銭箱と屋根に「十六菊」があるので、これも神紋。
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「葵」の紋は、探したら向背破風下にありました。
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「「銀杏」は、銅製の天水桶に見つかっただけでした。
「丸に抱き銀杏」ですね。
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向背柱の麒麟は、蹄といい牙といい、かなり獰猛な感じです。
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正面の彫刻では、有名な左甚五郎作「子宝 子育ての虎」があります。
未だ群雄割拠の戦国時代、当社は甲斐の武 田信玄公の手により、永禄十二年(一五六九 年)に焼失の後、徳川家康公のお力により現 在のご社殿が再建されました。
家康公は、寅の年 寅の日 寅の刻生まれ ということで、虎にまつわる物語が少なくありません。それにちなんでか、当社の拝殿前 は四面にわたってすべて虎の彫り物が施されています。
特に拝殿正面左より二つめの、子虎とたわむれる親虎の彫刻は、名工左甚五郎が家康公の威厳とご祭神を守護する神使として彫刻したものと伝えられています。当時の狩野派では、虎の群れの中に必ず一匹の豹を描くこと が定法とされていたことから、母虎があえて豹として描かれているのが特徴的です。
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社殿の周りの彫刻を左回りに見ていきます。
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拝殿横の装飾
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これらも、伝説の島<蓬莱山>にちなむ彫刻でしょう。
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本殿のここにあるのが、左甚五郎作と云われる彫刻「つなぎの龍」。
しばしば抜け出して暴れるため、鎖で固定されており、『つなぎの龍』と呼ばれている。
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本殿の背面には、彫刻「北辰の梟」。
ご本殿北側中央に彫刻された梟は、「北辰の梟」といって、菱川師宣描く有名な浮世絵の「見返り美人」よろしく、体は正面のご本殿に向き、頭は正反対の真北を向いて昼夜を問わずご祭神をお守りしています。
当社のご祭神である妙見様は、北極星を中心とした北辰北斗の星の信仰で、この梟の見ている方角に妙見様が出現することからも、ご祭神を特に縁りの深い瑞鳥であると言えるでしょう。
洋の東西を問わず、梟は智恵のシンボルと考えられており、当社のご祭神八意思兼命が智恵の神として崇敬の篤いことと重ねて、思慮深い神使として社殿北面に施されたものと思われます。
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本殿のこちら側には彫刻「お元気三猿」。
三猿といえば日光東照宮が有名ですが、同じ徳川家縁りの御社であるにも拘わらず、当社の三猿は日光とまったく違った表情をしています。
日光が古来の庚申信仰にちなんで「見ざる ・言わざる・聞かざる」なのに対し。当社の三猿は「よく見・よく聞いて・よく話そう」 ということで、現代の情報化社会にふさわしく俗に”お元気三猿”として皆様に親しまれ ています。
当社のご祭神である妙見様は、神仏の中心にあって、人間の元気な命を司る神様として永く信仰されてきたことから、特に不老長寿のご利益があると言われています。
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「瓢箪から駒」の彫刻
秩父夜祭の神様は、お神輿ばかりか御神馬に乗ってもお旅所にお渡りになることから、毎年十二月三日には本物の馬二頭が奉納され御神幸にお供をしています。それにちなんで、当社では「妙見御神 馬守り(勝守り)」を授与しています。
よく知られている馬に関する諺に、「瓢箪から駒が出る」というのがありますが、意外なところから意外な発見や出会いがあるかもしれないということで、まさに開運招福を意味するところです。
当社の例大祭である秩父夜祭では、「ホーリャイ ホーリャイ」 と囃して屋台を動かしますが、こ れはそもそも当社を仙人が住むという伝説の島<蓬莱山>に準えての呼び方なのです。
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他にも、楽しい蓬莱山にちなむ彫刻がある。
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秩父神社で授与している「鎮宅霊符神(妙見様の別名)」の護符の説明が貼ってあった。
護符の絵
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横に貼ってあった説明も写真に撮ってきて、帰ってから読むと、効験の話が書いてあり、妙見様の神使は鹿であり、ご本殿両側の脇障子にも秋の雄鹿・雌鹿が彫られている、とあった。
撮れたか、撮れなかったかわからないが、残念。
今年の秩父夜祭の際の宿題です。

額殿
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「妙見宮」の時代の社額。
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弓矢が飾られた、彫刻も立派な額。
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天狗の奉納額
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左右の龍が立派な額
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天神地祇社
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 平安時代から中世にかけて、朝廷の「 二十二社」奉幣制度と共に、全国の各国毎に「一ノ宮」「総社」の運営、祭祀の尊重が図られるようになりました。かつて秩父地方は、知知夫国として独立した存在でありましたが、その当時には既に武蔵国に属しており、現在の東京都府中市に鎮座致します大国魂神社(別称六所宮)が武蔵国の総社とされ、その第四ノ宮に当社のご祭神が奉祀されました。
 古くから当神社の境内社の一つとされて参りましたこの天神地祇社は、全国の一ノ宮(計七十五座)をお祀りしています。これほど多くの一ノ宮の神々を、境内社としてお祀りしている事例は全国的にも珍しいものと思います。
 何故、このような形でお祀りされたのかは定かではありませんが、一説によると当社のご祭神である八意思兼命が多くの神々の意見を纏められ、折々のご聖断を下される神様として古典神話の中で活躍されていることから、たくさんの一ノ宮の神様がお祀りされたとも云われています。ともあれ、これも秩父の歴史風土に深く根差した独自の信仰の表れであると云えるかもしれません。
 この天神地祇社それぞれのご神前にお参りすることによって、合せて全国の一ノ宮を遥拝することになりますので、ご案内申上げます。
-境内案内板-

左から、
埴山大神・ 田村大神・ 石上大神・ 軻遇突智大神、若狭比古大神・ 大物忌大神・ 罔象女大神・ 句津馳大神、津島大神・ 真墨田大神・ 金山大神・ 木船大神、天手長大神・ 和多津美大神・ 杵築大神・ 枚聞大神・ 丹生大神、南方大神・ 安房大神・ 中山大神・ 安任大神・ 箱崎八幡大神、砥鹿大神・ 都々古和気大神・ 白山比咩大神・ 籠大神・ 西寒多大神、伊射波大神・ 寒川大神・ 香取大神・ 倭文大神・ 鹿児島大神、松尾大神・ 都佐大神・ 春日大神・ 粟鹿大神・ 伊和大神、 中央に天神地祇社、さらに左に、加茂大神・ 大鳥大神・ 鹿嶋大神・ 出雲大神・ 吉備津大神、三輪大神・ 都波岐大神・ 二荒大神・ 玉前大神・ 渡津大神、宇佐八幡大神・ 都濃大神・ 玉祖大神・ 水無大神・ 宇倍大神、高良大神・ 高瀬大神・ 住吉大神・ 建部大神・ 由良姫大神、浅間大神・ 大麻比古大神・ 枚岡大神・ 貫前大神・ 龍田大神、氣多大神・ 熊野大神・ 敢国大神・ 氷川大神、弥彦大神・ 厳島大神・ 阿蘇大神・ 氣比大神、廣瀬大神・ 三島大神・ 物部大神・ 事麻智大神。

中央の「天神地祇社」があり、その左右に一之宮が祀られている。
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氷川大神、気多大神(能登一之宮の祭神)など
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三輪大神(大神神社祭神)があり
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春日大神、松尾大神がある。
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境内社も多くあります。神門からぐるっと左廻りで。
東照宮(徳川家康公)
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天満天神社(菅原道真公)
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禍津日社(禍津日神)
神産みで、黄泉から帰ったイザナギが禊を行って黄泉の穢れを祓ったときに生まれた神で、『古事記』では八十禍津日神(やそまがつひのかみ)と大禍津日神(おほまがつひのかみ)の二神、『日本書紀』第五段第六の一書では八十枉津日神(やそまがつひのかみ)と枉津日神(まがつひのかみ)としている。これらの神は黄泉の穢れから生まれた神で、災厄を司る神とされている。
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皇大神宮(天照大御神)
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豊受大神宮(豊受大御神)
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ここで、秩父宮勢津子妃の歌碑がありました。
「神かきも 新たになりて みゆかりの 秩父の里は いよゝ栄えむ」
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ここで、「○○さん、もう行くよ・・・・・・!!」との非情な声が(泣)

以下はあわてて、まとめて遠くから撮ったものです。

日御碕宮 
ご祭神は須佐之男神。「川瀬祭り」というのがあり、やはり悪疫退散の天王さまの祭りです。
左側に「乳銀杏」が見える。
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柞稲荷神社(左側)と諏訪神社(右側)。
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柞稲荷神社の御祭神は倉稲魂命。
境内は柞乃杜と呼ばれる鎮守の森となっている。
諏訪神社の御祭神は建御名方神と八坂刀賣神。

柞稲荷神社の前に、赤みがかった巨石がゴロンと転がっている。
特に注連縄が施されているわけでもなく、案内板も無かったが、これは「生き石」とも呼ばれている「御神降石」。
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これで、秩父神社ご参拝は終り、次の宝登山神社に向かいました。

(続く)

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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

秩父神社は秩父34観音を行った際、2回ほど行ったことがありますが、その頃は34観音の方が重要だったので、単にお参りしただけだと思います。

それにしても、ここ、本当に彫刻が見事ですね!! 秩父は行きたいのですが、34観音を果たしてから多分、1回位しか行ったことが無かったと思います。

matsumo さん

コメントありがとうございます。
秩父はいいですよ。
ぜひお出かけください。

インターネットでレッドアローの指定を簡単に
取れますから。

長瀞の辺もいいですよ。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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