坂戸から川島町を歩く(2)

20140526

23日(金)に、歴史クラブの企画で、表題のテーマで歩いた続きです。
白山神社の次は、成就院です。

【成就院】
所在地: 埼玉県坂戸市赤尾1769
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入ってすぐ左手に、石仏群がある。
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この中には種子も摩耗してわからなくなった大きな板碑がありますが、何もわからないので掲載は省略。
正徳4年(1714)建立の庚申塔を紹介しておきます。
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本堂の方に進むと、大きな石仏の山があります。
その中の和田家板碑供養宝塔というところに、小型の板碑や板碑片が多数あります。その中で注目されるのが「南無阿弥陀仏」と刻まれた六字名号板碑です。坂戸市勝呂地区にはこの種の板碑が多くみられます。
和田家というのは、住職さんのお話ではこの辺の大きな豪農だそうです。
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また石仏群の中に、お腹の膨れた石仏があり、気になりました。
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本堂
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このお寺は釈迦如来を本尊としています。
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本堂の前の水盤には、蓮が咲いていた。
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またこの寺の境内に「三芳野天神社」がある。
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再び、越辺川の堤防の上を歩いていくと、堤防のすぐ下に金山彦神社があります。

【金山彦神社】
所在地:埼玉県坂戸市赤尾1867

金山彦命を祭ります。カナヤマサマと呼ばれています。金山彦命は鍛冶、鋳鉄、金属技工の神です。神社の南西300mにバス停「赤尾金山」があります。「坂戸風土記15号」添付の地図に、鍛治屋敷、カネ山、カネイ塚の地名がある。赤尾金山の南1kmの地名「別所」で金くそが出た。
白山神社境内にあった「一目連神社」のところでも述べましたが、この辺は砂鉄を利用した製鉄、鍛冶が盛んだったようです。

鳥居は両部鳥居
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社殿は、傷んでいて、シートをホッチキスでビッシリと留めてあり、中はまったくうかがう事が出来ません。
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そして、この記事を書くために調べていたら、ネットの記事では、下のような写真が載っていて、鳥居が確かに同じなので、同じお宮だと思いますが、社殿がまったく現在の姿と異なります。
社殿が、何かの原因で倒壊してしまったのでしょうか。
(以下二つの写真は、ネットからの借り物です)
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境内に御嶽神社が祀られていた。
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このあと、越辺川沿いで日陰の場所を選んで、持参の弁当で昼食、休憩。
その後、天神橋を渡って川島町に入りました。

天神橋を渡るとき、水道橋を挟んで上流に越辺川にかかる冠水橋の赤尾落合橋が見えた。
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【八幡神社】
所在地:埼玉県比企郡川島町大字吹塚830 

鳥居と社号標
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鳥居前に、珍しい道祖神と庚申塔が覆い屋の中に安置されています。
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宝暦3年(1753年)の庚申塔
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道祖神(町指定文化財)
男女二人が手をとりあって立っていますが、これは簡略化されているが「祝言型」だ。祝言型というのは、宮廷風の衣服をまとった男女が酒を酌み交わしているもの。
おぼろげながら衣服は宮廷風に見える。女性が徳利を持ち、男性が皿を持っている。
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拝殿
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拝殿内部。奥に本殿が見える。
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本殿の覆い屋は隙間なく、覗き見ることが出来ない。
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境内に、武蔵御嶽神社の大口真神(お犬様、狼)が祀られていた。
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次の目的地に向かっている時、道の分岐点に庚申塔があった。
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【正福寺】
所在地:埼玉県比企郡川島町南園部310
真言宗智山派
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大型五輪塔2基は、説明板によると、中山五郎為垂(秩父平氏の一族、中山の開発領主、比企能員の婿、建仁3年:1203に比企氏と共に滅亡)の供養塔です。
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石材は天神山凝灰岩で、群馬県(みどり市笠懸町の天神山)で産出したものです。天神山は桐生市の西7kmにある標高174mの独立蜂です。天神山凝灰岩は白色、きめ細かい質の良い石材で古墳時代から利用されてきました。埼玉県内でもあちこちで利用されています。
近くの石材を利用した方が、輸送が楽なはずですが、かなり離れた天神山の石材が利用されています。
古利根川を下り、元荒川を遡って運ばれてきた。
下図8番が、この寺の五輪塔。
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境内に、稲荷社と天神社が同じ建物の中に並んで祀られていた。
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山門脇に、板碑群があった。
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【正泉寺】
所在地:埼玉県比企郡川島町中山1209
天台宗。
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観音堂
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木造聖観音坐像(町指定文化財、南北朝期、像高48.5cm、法衣垂下像)があります。
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本堂
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墓地には、明治期と新しいながら、良い板碑がありました。
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【金剛寺】
埼玉県比企郡川島町中山1198
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大日堂
比企一族の位牌堂。比企能員は、娘若狭局を二代将軍頼家に嫁がせ、その子一幡が生まれてから、北条時政・政子と対立して権勢を誇った。北条の陰謀と云われる「比企能員の変(比企の乱)」が起こり、比企一族は滅亡した。能員らの墓は鎌倉にあるが、その後数代を経て天正の頃より当寺一帯を館とした。
説明板には、この大日堂の天井の龍にまつわる伝説むがあると記されているが、どんな伝説かは不明。
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比企氏の墓地の入り口
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比企氏の墓地
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比企則員の墓
家康と同じ年に亡くなっている。
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けっこう立派な墓が並んでいる。
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その片隅に、現在の比企家の墓が。
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参道の途中に、こんなかわいらしい供養碑があった。
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住職さんのお誘いで、本堂にて本尊にお参りしました。
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これで今日の予定は全て終了。中山バス停から川越駅までバスで戻りました。
バスの中では爆睡(笑)

(了)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

双道祖神、関東では群馬辺りしかないのかと思っていましたが、坂戸にもあるのですね! 行ってみようかと思ってどの辺りかと思って調べてみたら、坂戸駅から東に6km位、行った所なのですね。ううん、行くには詳細な地図とバスの経路図・時刻表が無いと大変そうです。

それにしても、この辺り、板碑や石仏がよく残っていますね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
道祖神は、私も埼玉県では初めて目にしました。
驚きました。
私も群馬県のどこまであるのかな、なんて思っていましたから。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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