大室古墳群・小布施町(北斎館・小布施堂・岩松院・浄光寺)

20140530

歴史クラブの企画で「信州の古代・戦国・江戸・明治・戦後を歩く」という、一泊二日の旅行の初日5月27日の続きです。山本勘助の墓から向かったのは大室古墳群です。

【大室古墳群】
所在地:長野県長野市松代町大室
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この古墳の見学は、この旅行を企画した和光さんが松代のことを調べていて知り、とても珍しい古墳だからぜひ寄りたいと、組み込んで下さった。私も、さきたま古墳に年に数度通っていて古墳には関心が高いほうなので、とても楽しみにしていた。
この古墳は5世紀前半から8世紀に築かれたと見られ、積石塚古墳が約500基も点在している。積石塚古墳は高句麗にみられる墓制であり、また 積石塚古墳の中に点在する合掌形石室は百済の墓制であるところから、この地には早くから渡来人が住んで居たと考えられます。日本列島ではこの型の石室が5世紀半ばに突然出現する。
後の時代に、馬の飼育の勅使牧が大童古墳群周辺に設けられた(大室の牧)ことと考えあわせれば、     「馬の飼育と言う技術を持って移り住んだ朝鮮半島系の渡来人の墓」とみなされてきた。
出土遺物には、土師器、須恵器、珠文鏡、馬具、馬骨、鉄鍬、刀子、玉類等馬具が多いのもこの古墳の特徴。

何故、5世紀もの昔、都から遠いこの地に渡来人が多数住んで居たのか。
日本における渡来人の渡来時期を大きく4つに区分すると。
1)弥生時代(BC2~AD3)には 日本には南から西から北から渡来人が来ていた。この頃は海洋技術の発達と共に、海を越えての交流が盛んに行われていたと考えられる。
2)5世紀前後 倭の五王が治めていた時代で、朝鮮半島からの渡来人が多い。
3)5世紀後半~6世紀には最新技術を持った人が何百人、何千人という規模の集団で渡来して来て、大和朝廷 建国の基礎を支えた。
集団名としては秦氏、東漠氏、文氏、今来漢人等、技術的には農業、土木、製鉄、鋳造、建築、養蚕、機織、金工、土器、馬の飼育技術、漢字、管理など、これらの技術を以て大和朝廷に食い込んでいった。
4)7世紀 百済 高句麗の滅亡により、王族や官僚が亡命してきた。

この古墳に入っていく道が狭くて、バスの運転手がどんどん入っていくのでハラハラしましたが、幹事さんは歩きを覚悟していたようで、運転手さんに感謝していました。

古墳館に到着。
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入り口にあった、大室谷支群の立体模型。
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古墳は、このように5つの場所に分かれて存在します。
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古墳館でスライドによって、学習した後、古墳館の周りの「エントランスゾーン」だけ見学して回りました。
そこだけでも沢山の古墳がありましたが、そのうちの幾つかを紹介。

ポツリポツリと古墳が点在しています。
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235号墳
墳丘は失われているが、石積み技術の確かさで横穴式石室は残存している。
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横に回って驚きました。
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林の中にも点在している。
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238号墳。土石混合墳。
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240号墳
巨石を使った墳丘の土留め石列。
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241号墳
合掌型石室発見。石に隠れているが、天辺だけ見える。
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エントランスゾーンでは見られなかったが、こういうものです。
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日本全国で約40例しかない、合掌形石室が25例も確認されているそうです。

243号墳
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横穴があるぞ!
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横に回ると穴がある。
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2つの方向から入り口があるなんて、珍しい。
と思っていたら、帰って資料を見たら、盗掘の穴だった(笑)

244号墳
古墳群で最大の古墳。
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中は立っていられるようだ。
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広い石室だった。
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246号墳
整備際に築造途中を示す状態を再現した。
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満足して、ここに別れを告げました。
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追記:
しかし、先ごろ行われた大室241号墳の調査で、円筒埴輪や人物埴輪が見つかったことから、複雑な検討が始まっているそうです。埴輪は3世紀に日本列島で生まれ、数百年にわたって用いられた日本列島の古墳特有の副葬品だ。朝鮮半島南部でも一部出土した例があるが、それは日本列島から移り住んだ人々が造ったと言われている。
考古学では、墓制にかかわる要素に、その集団特有の系譜が現れると考えるのが一般的だ。「埴輪から見る限り、合掌形石室の被葬者イコール渡来系と言う単純な議論はもう通用しないのではないか。241号を発掘した  長野市教育委員会の風間主査はそう指摘する。実際241号墳からは、飾り馬具や特殊な矢じりなどが出土したが、これらは日本列島の他の古墳でも見られるもの。大室古墳群全体を眺めても、朝鮮半島系と確実に言える遺物は殆ど出土していない。一方、「渡来系の墓」説を完全に否定してしまうことにはためらいもある。「否定する見方もありだと思うが、その場合、合掌形石室が列島内に突然出現した理由をどう説明するのか、独自に生まれたとは考えにくい」(明大・佐々木教授)

私たちは、バスで次の目的地「小布施」に向かいました。

【小布施町】

着いて、「竹風堂」で昼食。もちろん栗おこわなどのランチで美味しかった!!

それから「北斎館」に向かいます。
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通りにこんな和紙のお店が。
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「北斎館」

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北斎と小布施については、有名なので説明は不要と思います。

中に入ると、2代の屋台が。
東町祭屋台には、龍と鳳凰の天井画。
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上町祭屋台には水滸伝の皇孫勝と龍の木彫りと男波と女波の天井画。

皇孫勝
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羽を広げて飛ぶ龍
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男波
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女波
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肉筆画では気に入ったものを。

富士越しの龍
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水滸伝の「花和尚」
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ほとときす聞く美人読書
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「品川御殿山花見」
私は、以前歴史クラブで「旧東海道品川宿のいまむかし」という研究発表をしたが、その時にこの絵は知らなかった。
それで、これが入っている図録を探したら、3000円の厚いのにしか入っていなかったので仕方なくそれを買った(汗)
実物は151センチの長いものなので、図録に収容されているのも長い。
部分的に、二つ載せるが、半分くらいです(汗)
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満足して外に出て、しばらく周辺を散策しました。

北斎館の向かいには、桜井甘精堂が。
小布施で一番最初に栗のお菓子、銘菓「栗落雁」を始めたお店です。
ここの「栗落雁」は毎年親戚から頂いていました。美味しいです。
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この辺は綺麗に整備されています。
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蔵元「市村酒造場」
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小布施堂

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栗菓子の歴史は文化5年(1808)、現在の3大栗菓子屋のひとつ、桜井甘精堂の初代桜井幾右衛門によって、「栗落雁」が作られたことに始まる。その後、竹風堂が明治26年(1893)、小布施堂が明治33年(1900)に創業し、明治30年代には栗羊羹の缶詰が通年商品として開発され、高級菓子として全国有名デパートに並ぶ。

長野市松代町の山寺常山や佐久間象山とともに、「信州三山」と称せられた知識人、高井鴻山(宝暦5年(1755)創業の桝一市村酒造場12代目・市村三九郎)がいた。京都や江戸に16年間遊学し、31歳で小布施村に戻った彼の元には、久坂玄瑞、葛飾北斎などの文人墨客が訪れ、一流の文化サロンが田舎町に存在した。鴻山は、葛飾北斎を招くためにアトリエ「碧い(へきい)軒(けん)」を建て、北斎は、83歳(天保13年1842)から90歳で亡くなるまでに、小布施村に再三来村し、3年半滞在、岩松院本堂の天井画の大鳳凰図をはじめ、多数の肉筆画、祭り屋台2台に天井絵の傑作を残した。

小布施堂の中に入れるみたいなので、入っていった。

正門
これは、豪商ながら近在各藩より家老待遇を受けた市村作左衛門(高井鴻山の祖父)が、その格式によって建てたもの。
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昔の工場らしい風景が広がります。
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醤油の甕がたくさん積んであった。
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荷車だ!
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とても感じのいい建物が続く。
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ここは、配送場らしい。
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集合時間に集まり、続いて岩松院に向かいました。

【岩松院】
所在地:長野県上高井郡小布施町615
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曹洞宗の寺院。山号は梅洞山。本尊は釈迦如来。葛飾北斎の八方睨み鳳凰図があり、小林一茶ゆかりの寺でもある。

山門
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仁王さまは、なんだかユーモラス(笑)
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山門の内側に置かれているのは、観音様と三面の大黒様だった。
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本堂
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本堂の天井にある、1848年北斎晩年の最大の作品、葛飾北斎八方睨み鳳凰図を拝観したわけですが、撮影禁止なので、帰ってからネットで手に入れたものです。
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近年、これを描いたという時期に北斎が江戸に居たことを裏付ける資料が発見され、論争になっているそうです。

私は吃驚しましたが、福島正則の霊廟が小布施にあるんですね。
福島正則は広島城無断改築を理由に、安芸・備後50万石を没収、信濃国川中島四郡中の高井郡と越後国魚沼郡の4万5,000石(高井野藩)に減封・転封され、この地で亡くなっています。

霊廟
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小林一茶の句碑があります。
1816年一茶が訪れ「やせ蛙 まけるな一茶 これにあり」と詠んだ。
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この池で、アズマヒキガエルのオスがメスを奪い合うのを詠んだみたいです。
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ここから、この日最後の目的地、浄光寺に向かいました。

【浄光寺】
所在地:長野県上高井郡小布施町雁田676

縁起によれば薬師堂に祀られている雁田薬師は、天平2年(730)に僧玄明の草創で、大同4年(809)施主の坂上田村麻呂将軍及び僧の悦道による建立であるという伝承があります。現今の御堂は応永年間に近郷の城主である山門某により再建されたものになります。本尊薬師如来の胎内には「応永16年7月吉日云々」の銘があり、昭和の大修理に当り建物解体に際して(ときょう)組物巻斗上端に「応永15年2月薬師堂作」の墨書が数個発見されて、本尊及び御堂の建立年次が明らかとなりました。

山門
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仁王さんが、作者が違い、しかも紅白の像です。
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薬師堂へ登る参道の石段は自然石で一見雑然としていますが、下の方から体を低くして見上げると、石段の鼻先が一直線に揃っていて、とても不思議な石段です。
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エッチラオッチラ、なんとか上がりました(汗)
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途中、小林一茶の句碑があった。
「大栗は 猿の薬禮と見へにけり」
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上がり切りました(嬉)
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国宝の薬師堂
何ともいえない、屋根のカーブです。
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建物の建設 :応永15年(1408年)
建物の構造 :桁行3間、梁間4間、木造1階
屋根の構造 :入母屋造、茅葺で軒が深い構造

本尊の薬師如来は非公開ということで、見れません。

この石段では、降りるのにも気を使います。
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駐車場に戻るときに、菖蒲がたくさん咲いていた。
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これで、今日の予定は終了。
渋温泉に向かいました。
風呂と宴会が待っています(嬉)


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コメント

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四季歩さん、こんにちは

松代に古墳があるのですか! 初めて知りました。松代には一昨年に行きましたが、その時は全く気がつきませんでした。松代と言えば、大本営になる予定だった大洞窟ですが、あそこと古墳とでは、ものすごい年月の差がありますね。


小布施には2回、行ったことがあり、岩松院にも2回行きましたが、天井画の煌びやかさと、北斎が80歳を越えて小布施まで行って描いたと言う話を聞いて、違和感、ううん、江戸時代に80歳を越えて本当に旅行したのかなあと思ったことがあります。私は下絵は北斎が描いたのだとは思いますが、実際は弟子が描いたのではと思っています。

matsumo さん

コメントありがとうございます。
あの古墳は、見ごたえがありました。
私も関心大です。

岩松院は、私にとっては、福島正則と小林一茶のほうに
関心大でした。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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