渋温泉・松代城址・松代の町散策(文武学校・旧白井家表門・象山神社・象山記念館)

20140601

歴史クラブの企画で「信州の古代・戦国・江戸・明治・戦後を歩く」という、一泊二日の旅行の初日を終え、渋温泉で宿泊。風呂で疲れをいやし、宴会で騒いで、ぐっすり寝ました。
二日目は、朝早くから目が覚めたので、渋温泉の中を散策しました。

【渋温泉】
ご存知、千と千尋の神隠しのモデルとなった旅館「金具屋」です。
140531matsu01.jpg


140531matsu02.jpg


その近くに、こんなものがあったので、少しは訪ねようとしました。
140531matsu03.jpg


高薬師に上がる、急な石段。
140531matsu04.jpg


ちょうどツツジが綺麗でした。
140531matsu05.jpg


高薬師
140531matsu06.jpg


傍に句碑が。
「飛とつ脱ぎて 背(そびら)におひぬ 小路毛更(ころもがえ)」/翁
140531matsu07.jpg


「お湯かけ 和合道祖神」
140531matsu08.jpg


和合橋から横湯川
140531matsu09.jpg


近くに湯の噴出が
140531matsu10.jpg


良い感じの路地です。
140531matsu11.jpg


「大獅子」
昔この地方に、コロリという病気が大流行したとき、村の長老たちが大獅子の神に祈ったら、たちまち病は治まったそうです。
140531matsu12.jpg


温泉寺
渋温泉は、戦国時代には数多く存在する武田信玄の隠し湯のひとつであった。武田信玄の寄進によって温泉寺が開かれ、川中島の戦いの折には傷ついた兵士を療養させた場所でもある。
江戸期には真田家の庇護を受け隆盛した。

山門
表に二頭、裏に一頭の龍が。
140531matsu13.jpg


140531matsu14.jpg


140531matsu15.jpg


境内は広い。
140531matsu16.jpg


武田信玄の安堵状の碑
140531matsu17.jpg


やはり武田菱だ。
140531matsu18.jpg


見ざる・言わざる・聞かざるの三猿
140531matsu19.jpg


よく見て・よく喋り・よく聞こうのお元気三猿
140531matsu20.jpg


渋温泉を元気に出発して、松代に入りました。松代城址の前でバスを降りて、これから15時くらいまでは歩いて松代の町を散策です。

【松代城址】
140531matsu21.jpg


元々は海津城(かいづじょう)と呼ばれていた。川中島の戦いの頃は、武田方の上杉氏への最前線に位置した。
1622年(元和8年) 真田信之が入城。以後、松代藩の藩庁として明治維新まで真田氏の居城となった。
明治になり、藩士に分け与えられていた土地を真田幸正が買い取り、本丸跡地を遊園地として解放。
現代は、
1951年(昭和26年) 真田幸治により本丸が寄付され、公用地となる。
1964年(昭和39年) 本丸を中心とした城址の一部が県の史跡に指定された。
1981年(昭和56年) 本丸を中心とした城址の一部と新御殿が国の史跡に指定された。
2004年(平成16年) 太鼓門、堀、石垣、土塁などが復元された。

二の丸南門
140531matsu22.jpg


太鼓門前橋を渡ると、太鼓門のうち橋詰門が。
140531matsu23.jpg


橋詰門を入ると枡形となっていて、内側の門、太鼓門(櫓門)がある。

外側
140531matsu24.jpg


内側
140531matsu25.jpg


東不明門前橋
140531matsu26.jpg


東不明門前橋からの濠の眺め。
140531matsu27.jpg


北不明門(外側から)
140531matsu28.jpg


その外の塀には、弓狭間や鉄砲狭間が。
140531matsu29.jpg


弓狭間
140531matsu30.jpg


本丸の角に高いところがあるぞ。
140531matsu31.jpg


また北不明門から本丸に入ると、「海津城址」の碑があった。
140531matsu32.jpg


やはり高い所はいい(笑)
140531matsu33.jpg


そこにあった、「江戸時代末期の眺め」
140531matsu34.jpg


現在の眺め。千曲川も全然見えない。
140531matsu35.jpg


反対側には、これから行く方向に象山が見える。
140531matsu36.jpg


城らしい写真を撮ってまわりました。
140531matsu37.jpg


140531matsu38.jpg


城を後にして、城下町を散策します。
140531matsu39.jpg


【文武学校】
八代藩主真田幸貫は、佐久間象山らの意見を受けて、蘭学・西洋砲術などを積極的に取り入れた、藩校としての文武学校を建設した。
140531matsu40.jpg


140531matsu41.jpg


かなり大がかりな改装工事が進行中だった。
140531matsu42.jpg


弓術所
140531matsu43.jpg


140531matsu44.jpg


柔術所
140531matsu45.jpg


東序
序というのは校舎のことで、ここでは軍学を教えた。
140531matsu46.jpg


腰かけ建物(供待ち)
藩主や家老の供人たちが休息しながら主人の帰りを待った所。
140531matsu47.jpg


入り口のところに、こんな貼り紙が。
まだまだ、伝統は健在のようです。
140531matsu48.jpg


出たところに、近くの小学校の生徒のためだろう。こんなものが。
140531matsu49.jpg


【旧白井家表門】
中級武士で、各種奉行などをした家。
門の背面に三つの部屋があり、白井家の陪臣武士が居住した。
140531matsu50.jpg


居室
140531matsu51.jpg


台所の部屋が休憩所になっていて、ボランティアの方がお茶を出してくれた。
140531matsu52.jpg


県民の歌「信濃の国」が掲示してあった。
私も信州で生まれ育ったが、今では二番までがやっと(汗)
(右から8行で二番まで、6番まであり)
140531matsu53.jpg


藁馬があった。
140531matsu54.jpg


また歩き出したが、川の水が綺麗だ。
140531matsu55.jpg


140531matsu56.jpg


庭にものすごい沢山の花が(驚)
140531matsu57.jpg


【象山神社】

佐久間象山と社号標。
140531matsu58.jpg


140531matsu59.jpg


鳥居
140531matsu60.jpg


参道
140531matsu61.jpg


手水舎
140531matsu62.jpg


狛犬
140531matsu63.jpg


140531matsu64.jpg


拝殿
140531matsu65.jpg


140531matsu66.jpg


140531matsu67.jpg


本殿
140531matsu68.jpg


高義亭
松代藩家老望月家の下屋敷にあった建物。吉田松陰の密航事件に連座し、国元蟄居を命ぜられ、下屋敷に住んでいたが、来客があるとしばしばこの建物で国家の時勢を論じたという。
140531matsu69.jpg


望岳賦
象山が31才の時の作。富士山の気高く優美な姿を称えて、自分の理想と抱負をこれに寄せた、名作。
140531matsu70.jpg


140531matsu71.jpg


象山誕生地の碑
140531matsu73.jpg


煙雨亭
象山が京都に住んだときに、居宅にあった茶室。
140531matsu74.jpg


140531matsu75.jpg


140531matsu76.jpg


【象山記念館】
140531matsu77.jpg


自作のカメラと、それで撮った写真。
140531matsu78.jpg


140531matsu79.jpg


電気治療器
これを作って、夫人の治療に使用したとあったが、詳細はわからない。
140531matsu80.jpg


電信機
140531matsu81.jpg


ペリーがやってきて、幕府はあわてて江戸の防衛のためお台場を築いた。
佐久間象山が幕府の老中となった真田幸貫の海防顧問となると、海外事情の研究を始め、海防政策として、江戸湾に台場(現在の東京都お台場)を築いた。
140531matsu82.jpg


象山が暗殺された元治元年に京都で出版された「大成京細見絵図」。
140531matsu83.jpg


140531matsu84.jpg


9代藩主真田幸教が、象山暗殺を惜しんで作った和歌。
「佐久間氏に 吉野なる山辺に咲ける桜花 
  送るとて 散らすは人の如何にて芽へき 」
140531matsu85.jpg


これで象山記念館を出ましたが、まだまだ松代の町の散策は続きます。


続く記事に飛ぶ


歴史クラブ行事一覧に飛ぶ



スポンサーサイト

コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

おっ、湯田中の側の渋温泉にお泊まりと言うことで、翌日は志賀高原の方に抜けるのかと思っていましたが、また、戻ってきて、松代に行かれたのですね。

それにしても、渋温泉、朝だったからかも知れませんが、中々、雰囲気が良さそうな感じですね。松代城、随分、復元されているのですね。一昨年の夏に行った時は、35℃位もあったので、暑さにめげて、城は行きませんでした。松代って、「真田」と言う雰囲気のためか、何か、「稟」とした感じですよね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
今回、歴史クラブの企画ということで、頑張って
松代のかなりの部分廻りました。
その甲斐はありましたね。
matsumoさんのおっしゃるように、伝統が良いかたちで
残っていて、とても良い町だと思いました。
非公開コメント
プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード

Pagetop