靖国神社

20140616

所在地:東京都千代田区九段北3丁目1番1号

13日に、山王まつりということで赤坂日枝神社に参拝し、その後近くということもありお参りしました。
地下鉄で「九段下」まで移動し、そこから九段坂を上がります。

途中、道脇に北斎の「くだんざか・うしがふち」の絵のレリーフが飾られていた。
西洋画の技法を取り入れた風景画の一つ。右側の黄土色の急な坂が九段坂で、かってはゆるやかな九段の段がついていたという。
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大鳥居が見えました。
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社号標
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社格等:旧別格官幣社・勅祭社
元来は東京招魂社(とうきょうしょうこんしゃ)という名称であったが、後に現社名靖国神社に改称された。創建当初は軍務官(直後に兵部省に改組)が、後に内務省が人事を所管し、大日本帝国陸軍(陸軍省)と同海軍(海軍省)が祭事を統括した。1946年(昭和21年)に国の管理を離れて東京都知事の認証により単立宗教法人となった。単立宗教法人(単立神社)であるために神社本庁との包括関係には属していない。

大鳥居の前に、場所はちょっと離れているが二組の狛犬がある。
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大鳥居
境内入り口を標示する第一鳥居は1921年(大正10年)に「日本一の大鳥居」として建てられ、石松秋二作詞の「九段の母」(1939年(昭和14年))に「空をつくよな大鳥居」と歌われもしたが、風雨による損傷の為に1943年(昭和18年)に撤去され、その後、1974年(昭和49年)に鋼管製で再建された。柱の高さが約25メートル、笠木(上の横木)の長さは約34メートルあり、重量は100トン。
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大鳥居から参道が真っ直ぐ伸びている。
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右手に「慰霊の泉」がある。
戦場で水がなくて苦しんだ御霊に対し、水を捧げるために作られた記念碑。東京キワニスクラブが、1967年(昭和42年)に奉納した。
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大村益次郎像
東京招魂社の建立に奔走し場所決定後、暗殺された大村益次郎の銅像。1893年(明治26年)に造られた日本初の西洋式銅像。戊辰戦争の際、司令官として彰義隊が立て籠る上野寛永寺を見つめていた姿を模したもの。
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下にある説明レリーフにあった、明治29年の「靖国神社図」
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大村益次郎像がある位置に、脇からの入り口があり、そこにも鳥居があります。
この石鳥居は1933年(昭和8年)に奉納されたもので、石製鳥居としては京都の八坂神社のものと並び最大級とされる。
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石鳥居の前の狛犬
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ちょうど下校時とみえ、参道が近くの学校の生徒であふれていた。
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大燈籠
日本一の大きさの燈籠。1935年(昭和10年)に富國徴兵保険(現富国生命)が奉納した。九段下駅側から右側の燈籠には日清戦争から満州事変までの旧海軍の戦闘場面が描かれ、左側の燈籠には同じく日清戦争から満洲事変までの旧陸軍の戦闘場面が描かれている。終戦後、GHQによって撤去させられそうになったが免れた。
これは右側のもの。
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第二鳥居
1887年(明治20年)の建立で、大阪砲兵工廠で鋳造された青銅製。現存の靖国神社の全4基の鳥居の内では最も古いものであり、また青銅製の鳥居としては日本一の規模[要出典]である。
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大手水舎
1940年(昭和15年)、アメリカで暮らしていた日本人が奉納したもの。
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神門
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神門を入ったところで、巫女さんとすれ違った。
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三の鳥居と拝殿
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主祭神は、護国の英霊 246万6千余柱です。
幕末から明治維新にかけて功のあった志士に始まり1853年(嘉永6年)のペリー来航(所謂「黒船来航」)以降の日本の国内外の事変・戦争等、国事に殉じた軍人、軍属等の戦没者を「英霊」と称して祀り、その柱数(柱(はしら)は神を数える単位)は2004年(平成16年)10月17日現在で計246万6532柱にも及ぶ(詳細は「祭神の内訳」を参照)。当初は祭神は「忠霊」・「忠魂」と称されていたが、1904年(明治37年)から翌年にかけての日露戦争を機に新たに「英霊」と称されるようになった。この語は直接的には幕末の藤田東湖の漢詩「文天祥の正気の歌に和す」の「英霊いまだかつて泯(ほろ)びず、とこしえに天地の間にあり」の句が志士に愛唱されていたことに由来する。
(Wikipediaから)

神紋は「菊に桜」でした。
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拝殿、本殿と並びます。
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能楽堂
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桜の標本木
気象庁は境内にある3本のソメイヨシノを、東京都での桜の開花日を決定する標準木として指定している。そのため東京都の「桜の開花宣言」はこの標準木が咲いた時に行われている。
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境内で、花菖蒲が展示されていた。
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「いずれがあやめ、かきつばた」という言葉がありますが、その違いがわかりますか?
私は、この間テレビで説明してくれたので、やっと知ったばかりです(笑)
○花菖蒲は花の種類は多く紫系統の他に黄色や白、絞り等、多彩であるがどれも「花弁の根元のところに黄色い目の形の模様」がある。
○杜若はあまり種類は多くないが、「花弁の弁の元に白い目型の模様」があるのが特徴。
○あやめも花の種類は多くないが「花弁の元のところに網目状の模様」がある。

きれいな花が並んでいました。
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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

靖国神社ですか。戦争に行った父は戦闘も無く、無事に日本に帰ってきましたし、母の兄弟も無事に日本に帰ってきたそうですので、靖国神社には祭られていないことから、靖国神社は、私にとっては、春の桜、秋の黄葉・紅葉ですね。

と言うことで、今の季節には行ったことがないと思いますが、花菖蒲の展示会が開かれているのですか。

matsumoさん

私の親族も、戦争でひどい目にあった人は何人かいますが、
戦死した人は居ません。
なので、私にも縁がありませんでした。

勅祭社も神社巡拝の一つの基準にしているので、
訪ねる予定にはしていたんですが。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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