小野神社(延喜式内論社)/東京都府中市

20140620

所在地:東京都府中市住吉町3-19-3  

17日(火)に大國魂神社のあと、京王線で中河原駅に移動し、小野神社(府中)に向かいました。
中河原駅を降りて陸橋を渡りますが、その上からの眺め。
旧鎌倉街道にあたる国道18号線が、分倍河原からやってきて右から合流します。
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旧鎌倉街道はこの辺から真っ直ぐ聖蹟桜ヶ丘駅の方向に進んで多摩川を渡ったみたいです。
陸橋から降りてちょっと歩くと合流点。ここから進んでいくと新田義貞軍と鎌倉幕府勢が激戦を繰り返した分倍河原古戦場があります。
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中河原駅から歩いて6.7分で小野神社に到着。
手前が公園で、奥が小野神社。
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社号標
式内論社 武蔵國多磨郡 小野神社、旧郷社
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創祀年代は不詳。式内社・小野神社の論社の一つ。
多摩川をはさんだ多摩市に、同じく小野神社があり、そちらは、武蔵国一宮。同じく式内社・小野神社の論社だ。現在は多摩市の方が有力で、境内も広く社殿も立派だが、確たる証拠があるわけではないようだ。
多摩川の氾濫により社地が移動し、遷座を繰り返した結果、二社になったとする説があり、また、府中市は元社で、多摩市に遷座した跡とする説もある。
多摩市の小野神社が武蔵国一宮として江戸幕府の保護を受けたのに対し、当社は近くの武蔵国総社・六所宮(大國魂神社)への崇敬が高まるにつれて衰微した。
1873年(明治6年)郷社に列格した。大正15年火災で炎上し、現在の社殿はその後再建されたものである。

三代実録の光孝天皇元慶八年(八八四)七月十 五日癸酉の條に、「授二武蔵國……従五位上小野神正五位 上一。」とあるが、この小野神が、どこの小野神をさすかは 明白となっていない。式内社の小野神社には二社の論社が ある。すなはち、多摩川の中流をはさんで左岸と右岸にそれぞれ小野神社が鎮座しており、互いに、式内社を主張している。その一社は一ノ宮の小野神社、で、今一社は住吉町の小野神社(小野宮)である。両社とも創祀を安寧天皇 十八年二月と伝えている。たとえば、正和二年(一三一三) 秋七月、神主澤井佐衛門助藤原直久の誌した、『式内社小 野神社由緒』によると、次のようにある。
人皇三代、安寧天皇ノ御代、御鎮座、祭ル所天下春命大神也、此御神ハ、神代ニ有テ、天孫饒速日命、始テ 河内國土哮ケ峰ニ降臨ノ時、天上ヨリ供奉随身シ玉フ 三十二神ノ中、一神ニマシマシ、出雲臣祖、二井諸忍野神狭命ノ十世兄武日命、始テ此懸ノ國造ト成玉フ 時、御祖神タル故、此地ニ勧請鎮守トナシ給フ、

境内に建っている「小野宮廟碑」(寛政七年〈一七九五〉九月、鳩谷孔平信敏撰、)や 『武蔵國総社六所宮縁起並社傅』(寛永元年〈一六二四〉 五月、猿渡盛道編)なども、上記と大同小異の内容で当社の創祀について述べている。

鳥居
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手水舎
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狛犬
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拝殿
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社額
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拝殿の後ろに、門を介して本殿がある。
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本殿
傷んだところを、新しい木で修理してある。
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御祭神:天下春(あめのしたばる)命 、瀬織津比賣(せおりつひめ)命
ただし、『江戸名所図会』に「瀬織津比咩 一座」とあり、本来の祭神だと思われる。

天下春命は、八意思兼神の御子神で、饒速日命が天磐船に乗って天降った時、護衛として随従した32柱の神の1柱。
知々夫国造(ちちぶのくにのみやつこ)の先祖とされる。また大伴部氏の祖ともいわれる。

瀬織津姫(せおりつひめ)は、大祓詞に登場する神である。瀬織津媛・瀬織津比売とも記載される。古事記 日本書紀には記されない神名である。
祓戸四神の一柱で災厄抜除の女神である。神名の名義は川の早瀬の穢れを清めるとある。祓神や水神として知られるが、瀧の神・河の神でもある。その証拠に瀬織津姫を祭る神社は川や滝の近くにあることが多い。
これは、治水神としての特性で、日本神話や外来神に登場する多くの水神の特徴にも一致する。日本神話では龗神や闇罔象神等(他にも廣瀬大社の若宇加能売命)が、外来神では吉祥天・辯才天がこの特徴を持ち合わせている。
瀬織津姫の名は記紀には記されていないが、『ホツマツタエ』では日本書紀神功皇后の段に登場する撞賢木厳之御魂天疎向津媛命と同名の向津姫を瀬織津姫と同一神とし、天照大神の皇后として、ある時は天照大神の名代として活躍されたことが詳しく記される。
瀬織津姫は天照大神と浅からぬ関係がある。天照大神の荒御魂(撞榊厳魂天疎向津姫命(つきさかきいつみたまあまさかるむかつひめ))とされることもある。兵庫県西宮市、西宮の地名由来の大社である廣田神社は天照大神荒御魂を主祭神としているが、戦前の由緒書きには、瀬織津姫を主祭神とすることが明確に記されていた。廣田神社はかつて六甲山全山を領地としていたが、六甲山は元は向津(むかつ)峰と呼ばれ、それが武庫(むこ)となり、江戸時代ごろより六甲(むこ)と表記され、明治以降「ろっこう」と音読みされるようになった。『元亨釈書』には空海とともに神呪寺を創建した淳和天皇妃、如意尼=真名井御前の眼前、六甲山・甲山に廣田神社祭神が出現されたことが記されている。[1]吉田東伍も『大日本地名辞書』広田神社の項(p594)に、祭神名への考察として「向津は武庫津というに同じ」と指摘していることもあり、祭神向津姫の名前が六甲山の山名由来とも考えられる。その裏付けともいえるのが、山頂付近に鎮座し、山名の変遷と共に祭神名を変更してきたと思われる六甲比命神社(ろっこうひめじんじゃ)の壮大な磐座である。
 そして、祓神としての関連で『中臣祓訓解』『倭姫命世記』『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』は伊勢神宮内宮の別宮の荒祭宮祭神の別名を瀬織津姫、八十禍津日神と記し、平田篤胤は八十禍津日神を大禍津日神・大屋毘古神とも同神としている。伊雑宮御師である西岡家に伝わる文書において、祭神「玉柱屋姫命」は「玉柱屋姫神天照大神分身在郷」と書かれ、同じ箇所に「瀬織津姫神天照大神分身在河」とある。両神はつまるところ同じ神であると記されている。
その他では宇治の橋姫神社では橋姫と習合(同一視)されている。祇園祭鈴鹿山の御神体は鈴鹿権現として、能面をつけ、金の烏帽子をかぶり長刀と中啓を持つ瀬織津姫を祀る。伊勢の鈴鹿山で人々を苦しめる悪鬼を退治した鈴鹿権現の説話に基づく。  

神紋は「右三つ巴」
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「小野宮廟碑」(寛政7年)
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倉庫に神輿と大太鼓がある。
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本殿の裏に、境内社の稲荷神社がある。
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これで、府中の小野神社参拝を終え、中河原駅に戻り聖蹟桜ヶ丘駅まで移動し、多摩の小野神社に向かいました。


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

こちらは大国魂神社と比較すると、郷社と言う感じですね。

さて、中河原駅は何回か、降りたことがあります。と言うのは、ここで降りて、多摩川の川原に行った橋の所で、よく、水着モデル撮影会が開かれていたからです。何年間か、ここで毎年1回は開かれていたのですが、その内、付近の住民より「風紀を乱す」と言うことで、開催されなくなってしまいました(泣)。

もし、ご興味あれば、下の(6)をご覧下さい。
http://matsumo2.web.fc2.com/girls/index-7.htm

matsumoさん

コメントありがとうございます。
そうですよね。
matsumoさんの水着モデル撮影会の記事は
私も楽しみにしていました。
そういえば、最近はあまり見られませんね。
撮影会が少なくなってしまったのでしょうか。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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