鹿嶋神宮(延喜式内社・常陸国一之宮)/茨城県鹿嶋市

20140703

所在地:茨城県鹿嶋市宮中2306-1

6月27日(金)の歴史クラブ「関八州式内社めぐり」の続きです。
主石神社から南下し、鹿嶋神宮大鳥居の前で美味しい昼食を食べ、心地よい気分でお参りしました。

鹿も詣でる鹿嶋神宮(笑)
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社号標
式内社:常陸國鹿嶋郡 鹿嶋神宮 名神大社 月次祭新嘗祭
常陸國一宮、旧官幣大社
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鹿嶋神宮の由緒は、鎌倉時代の『鹿島宮社例伝記』に記載されている。同記によると神武天皇元年から21年に造立があったといい、神宮側ではこの神武天皇元年を創建年としている。

-方『常陸国風土記』にも神宮の由緒が記載されており、「香島の天の大神」が高天原より香島の宮に降臨したとしている。また、この「香島の天の大神」は天の大神の社(現鹿島神宮)、坂戸の社(現摂社・坂戸神社)、沼尾の社(現摂社・沼尾神社)の≡社の総称であるともする。その後第10代崇神天皇の代には、大中臣神聞勝命(おおなかとみかむききかつのみこと)が大坂山で鹿島神から神託を受け、天皇は武器・馬具等を献じた。さらに第12代景行天皇の代には、中臣狭山命が天の大神の神託により舟3隻を奉献したといい、これが御船祭(式年大祭)の起源であるとされる。

鹿島神宮は、下総国一宮・香取神宮(千葉県香取市、)と古来深い関係にあり、「鹿島・香取」と並び称される一対の存在にある。鹿島・香取両神宮とも、古<より朝廷からの崇敬の深い神社である。その神威の背景には、両宮が軍神として信仰されたことにある。古代の関東東部には、現在の霞ケ浦(西浦・北浦)・印旛沼・手賀沼を含む一帯に香取海という内海が広がっており、両宮はその入り口の重要地に鎮座している。この香取海はヤマト政権による蝦夷進出の輸送基地として機能したと見られており、両宮はその拠点とされ、両宮の分霊は朝廷の威を示す神として東北沿岸部の各地で祀られた。鹿島神宮の社殿が北を向<ことも、蝦夷を意識しての配置といわれている。

竣工したばかりの大鳥居。
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以前は、昭和43年竣工の茨城県笠間市稲田産の御影石製で、国産の花崗岩の鳥居としては日本一を誇るものであった。
しかし震災で倒壊しました。
新造を木製と決定し境内から杉の木4本を切り出し、山形県酒田市の木工場へ輸送し、
平成26年6月1日に竣工しました。

まだ木の香りも新たな鳥居です。
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手水舎
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楼門
境内の入り口には西面して楼門が立ち、「日本三大楼門」の1つに教えられる。寛永11年(1634年)、初代水戸藩主・徳川頼房の命による造営のもので、棟梁は越前の大工・坂上吉正。
構造は三間一戸(扉0は省略)、入母屋造の2階建てで、現在は鋼板葺であるが元は檎皮葺という。総朱漆塗りであり、彩色はわずかに欄間等に飾るに抑えるという控え目な意匠である。扁額は東郷平八郎の書。楼門は国の重要文化財に指定されている。
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外面には随神が。
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内面には、御幣に祭神にふさわしい雷の飾りが。片方が太陽でもう一方が月らしい。
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彩色された欄間
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楼門と拝殿の間に「茅の輪」がありました。
6月にはお宮にお参りする事が多かったので、これで4度目の茅の輪くぐりでした。
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拝殿は入母屋造、檜皮葺。幣殿・拝殿は、本殿・石の間と違い漆や極彩色がな<、白木のままの簡素な意匠である。
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ご祭神は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)
その出自について、『古事記』では、伊弉諾尊が珂遇突智(かぐつち)の首を切り落とした際、剣についた血が岩に飛び散って生まれた三神のうらの一柱とする(『日本書紀』ではここでタケミカヅチの祖・ミカハヤヒが生まれたとする)。また、天孫降臨に先立つ葦原中国平定においては、天鳥船(あめのとりふね)神(『古事記』)、または経津主神(『日本書紀』)とともに活躍したという。その後、神武東征ではイワレビコ(神武天皇)に神剣(フツミタマノツルギ)を授けた。ただし『古事記』『日本書紀』には鹿島神宮に関する記述はな<、タケミカツチと鹿島と
の関係は明らかではない。 


主要社殿は、本殿・石の間・幣殿・拝殿からなる。いずれも江戸時代初期の元和5年(1619年)、江戸幕府第2代徳川秀忠の命による造営のもので幕府棟梁・鈴木長次の手による。幣殿は拝殿の後方に建てられ、本殿と幣殿の間を「石の間」と呼ぶ渡り廊下でつなぐという、複合社殿の形式をとっている。楼門を入ってからも参道は真っ直ぐ東へと伸びるが、社殿はその参道の途中で右(南)から接続する特殊な位置関係にある。そのため社殿は北面するが、これは北方の蝦夷を意識した配置ともいわれる。
これら本殿・石の問・幣殿・拝殿は国の重要文化財に指定されている。
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本殿は三間社流造、樽皮葺。漆塗りで柱頭・組物等に極彩色が施されている。元和5年(1619年)の造営までは、現在の境内摂社・奥宮の社殿が本殿として使用されていた。現在の本殿は北を向いているが、内部の神座は本殿内陣の南西隅にあり、参拝者とは相対せず乗を向いているという。この構造に関しては、出雲大社との類似が指摘される。
石の聞は切妻造、槍皮葺で、前面は幣殿に接続する。本殿同様、漆塗りで極彩色が施されている。
幣殿は切妻造、植皮葺で、前面は拝殿に接続する。
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 延長五年(927) に成立した『延書式』 には、当然ながら伊勢神宮式年遷宮の記述がありますが、以下のような規定も載せられています。「およそ諸国の神社は破るるにしたがいて修理せよ。ただし摂津国の住吉、下絵国の香取、常陸国の鹿嶋などの神社の正殿は、二十年に一度改め造り、その科は便に神税を用いよ。もし神税なくば、すなわち正税をあてよ」。
このように住吉大社や香取神宮、鹿島神宮などでも「式年遷宮」の規定が定められでいました。
それが地方においては、実施が難しく行われなくなっていました。
調べてみると、今年53年ぶりに本殿を修理し、その間仮殿に遷っておられたが、4月に遷宮したばかりと判りました。
その記事を転載しておきます。
鹿嶋市宮中の鹿島神宮(鹿島則良宮司)で、本殿などの修繕工事完了を受け仮殿に移していたご神体を本殿に戻す「上遷宮」と呼ばれる神事が2014年4月7日夜と8日午前中、天皇陛下の勅使を迎えて行われた。延べ約500人もの参列者が厳かな儀式を見守った。
同神宮では、国の重要文化財に指定されている本殿・石の間などが経年劣化で雨漏りするなど傷みが激しくなったため、2012年10月から修繕工事を実施し、今年2月末に完了した。その間、12年2月から、ご神体を仮殿に移していた。
上遷宮は、「遷座の儀」「奉幣(ほうべい)の儀」を合わせた祭儀。7日夜にご神体を仮殿から本殿に戻す遷座の儀、それを受け、8日午前中に勅使に託された天皇陛下からの御幣物を神前に供える奉幣の儀が行われた。遷座の儀には約200人、奉幣の儀は約300人が参列した。
遷座の儀では、漆黒の闇の中、仮殿から出されたご神体が、絹垣と呼ばれる白い布で隠された状態で本殿に運ばれた。仮殿には、鏡餅の上に剣の形の餅を三つ載せた同神宮に伝統的に伝わる特殊神饌(しんせん)が供えられた。
奉幣の儀では、同神宮の鹿島宮司が祝詞を上げた後、宮内庁掌(しょう)典職が務める勅使が、辛櫃(からびつ)に入れた御幣物を出仕者に担がせて本殿に運び入れ、神前に奉納。勅使が祭文を読み上げた。その後、社殿の中で巫女らにより、浦安の舞が奉納された。
一連の神事を終えた鹿島宮司は、参列者を前に「きっと神様も心安らかにしていただけると思う。皆さまをよくお守りしてくださるはず」と話した。
同神宮によると、今回の修繕工事は主に本殿・石の間の檜皮葺(ひわだぶき)の屋根のふき替えや、木部の漆塗り替え、彩色などを修復。国庫補助事業で総工費は2億55万円。本殿の屋根のふき替えは、1989年以来。上遷宮は53年ぶりだった。

修復なったばかりの本殿。
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本殿の背後には杉の巨木が立っており、樹高43メートル・根回り12メートルで樹齢約1,000年といわれ神木「杉」とされている。
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本殿の横に「神田」がありました。
勅祭社なので、新嘗祭には天皇から幣帛が奉納されます。
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神紋は「五三の桐」と「右三つ巴」
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仮殿(かりどの)は拝殿の右前方に南面して立っている。仮殿は「権殿」とも記され、本殿造営の際に-時的に神霊を安置するために使用される社殿である。元和5年(1619年)に現在の本殿が造営される際、本殿同様に幕府棟梁・鈴木長次の手によって建てられた。この仮殿は園の重要文化財に指定されている。
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社殿の向かいには、今年7月に竣工するという祈祷殿社務所の銅葺き屋根の工事が行われていた。
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神宮の鎮座する地は「三笠山(みかさやま)」と称される。この境内は日本の歴史上重要な遺跡であるとして、国の史跡に指定されている。境内の広さは約70ヘクタールにも及び、多くの草木が生育している。樹叢には神宮の長い歴史を象徴するように巨木が多く茨城県内では随-の常緑照葉樹林であり、県の天然記念物に指定されている。

要石や御手洗池を見るため、森の中に入っていきます。
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さざれ石があった。
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かっては多くの鹿が棲息していたそうです。
その歴史を伝えるため、鹿苑でニホンジカを飼育している。
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奥宮
慶長10年(1605)徳川家康が本殿として奉納したもの。元和の造営の際にここに移した。
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ここから、要石のあるところに進んでいくと、途中石碑があった。
武甕槌大神が鯰の頭を押さえている図である。
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杉林のなかをまた進んでいきます。
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要石(かなめいし)  
境内東方に位置する霊石。古来「御座石(みまいし)」「山の宮」ともいう。地上では直径30センチメートル・高さ7センチメートルほどで、形状は凹型。かつて、地震は地中に棲む大鯨(おおなまず)が起こすものと考えられていたため、要石はその大鯨を押さえつける地震からの守り神として信仰された。要石は大鰐の頭と尾を抑える杭であるといい、見た目は小さいが地中部分は大きく決して抜くことはできないと言い伝えられている。
古墳の発掘なども指揮した徳川光圀は、1664年、要石の周りを掘らせたが、日が沈んで中断すると、朝までの間に埋まってしまった。そのようなことが2日続いた後、次は昼夜兼行で7日7晩掘り続けたが、底には達しなかった。ついにあきらめたという話が伝わっている。
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これが要石。
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傍らに、芭蕉の句碑が。
「枯れ枝に鵜のとまりけり穐(あき)の暮」
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奥宮まで戻ってきて、御手洗池に向かう角に、ここにも芭蕉の句碑が。
「此松の実生せし代や神の秋」
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御手洗池(みたらしいけ) 神宮境内の東方に位置する神池。古くは西の-の鳥居がある大船津から舟でこの地まで進み、潔斎をしてから神宮に参拝したと考えられており、「御手洗」の池名もそれに由来するとされている。池には南崖からの湧水が流れ込み、水深は1メートルほどであるが非常に澄んでいる。
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南崖から、真横に樹が二本生えている。
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水量が豊富な湧水
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松露庵雪丈(松露庵烏明)の句碑があった。
「涼しさやむかしなからの水の音」
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これで一応見る予定のものは終り、大鳥居前のバスに向かって帰ります。
途中、こんな札が。
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参道の横には三笠山の森が広がります。
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参道で目についた樹。
根元から三本に分かれている。
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根元に大きなウロがある。
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参道の両側に大きな樹が並ぶ。
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今年は12年に一度の例大祭「御船祭」が9/2にある。
そのときには、ぜひとも来るつもりだ。
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(続く)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

鹿嶋神宮ですか、大昔の夏に青春18キップを使って行った覚えがありますが、中がどうだったかは、既に記憶の外です。と言うことで、「へえっ、こんなところだったか」と言う思いで読ませていただきました。

さて、鹿嶋神宮ですが、私のイメージだと、「剣術の神様」と言う感じで、「鹿島流」とか、「一の太刀」とか、「上泉伊勢守」とかが浮かんできます。

matsumo さん

コメントありがとうございます。
そうですよね。
時代劇で、剣術の道場には必ず「鹿嶋大明神」と「香取大明神」の
セットがお祀りしてあります。
その辺が、記事にはまったく触れていないのが、
ウカツでした(汗)
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Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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