白山本宮・加賀一之宮 白山比咩神社

20140805

所在地: 石川県白山市三宮町ニ105-1

2日に帰省し、3日のお昼まで福光、高岡でお墓参りと用事をこなした後、車を飛ばして今回楽しみにしていた加賀一之宮にお参りしました。

ナビ頼りに行ったので、着いてから人に聞いてわかったのは、レンタカーを停めた駐車場は北参道入り口前のところでした。

北参道入り口の鳥居。
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鳥居をくぐろうとして気が付いたのは小さなお宮があり「觸穢の所」とある。
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説明を読むと、神域に入る際の丁寧なお祓いである。最近特にお葬式とかの穢れは無かったが、経験だと思い、これをして入った。
お宮の中に、大麻(おおぬさ)と塩と祓詞(はらえことば)を書いた紙があり、説明に従ってお祓いをした。
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鳥居の横に社号標。
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式内社 加賀國石川郡 白山比咩(しらやまひめ)神社 加賀國一宮 旧國幣中社。
全国約三千社にのぼる白山神社の総本宮である。
創建は崇神天皇の時代とされる。元来は現在の古宮公園の場所に鎮座していた。
養老2年(718年)、越前の修験僧・泰澄大師によって白山の主峰・御前峰に奥宮が創建され、白山妙理大権現が奉祀された。
平安時代中期(9世紀頃)になると、自然崇拝の山から修験者の山岳修行や、神仏習合思潮に彩られた修験の霊場へと変質を遂げるようになった。白山には加賀・越前・美濃3国それぞれから山頂に至る登山道(禅定道)が開かれ、それぞれの道筋に宗教施設(社堂)が次第に調えられていった。
文献史料上での確実な初出は、仁寿3年(853年)10月に従三位に加叙せられたという記事である[1]。ただし、承和7年(840年)に成立したと思われる[2]『延喜式神名帳』では、加賀国石川郡10座中の筆頭に載せられている。
平安時代末期(11世紀末)、加賀国禅定道筋の白山系社堂(白山加賀馬場)の中心的存在であった当社は加賀国一宮とされ、一国の神社を代表とする立場から勧農を目的とした国衙祭祀を担った。
久安3年(1147年)4月には、越前禅定道筋の社堂(白山越前馬場)の中心である平泉寺が延暦寺末寺化の動きを示すと、当社も同月に延暦寺山門別院となり、比叡山の地主神・日吉七社にならい、本宮・金剱宮・三宮・岩本宮・中宮・佐羅宮・別宮という白山七社を形成した。加賀馬場において、白山本宮長吏は白山七社惣長吏を兼帯し、他の6社の長吏と馬場全体を統括した。惣長吏は僧名に「澄」の通字を用いて真弟(実子)相続の結縁的な世襲制であった。
白山本宮(白山比咩神社の当時の呼び名)は、平安時代中期から鎌倉時代を経て、室町時代前期に至る約500年間栄えた。室町時代中期以降は、白山本宮が鎮座する味智郷(みちごう)でも富樫氏など武士の勢力が強くなり、白山七社の結び付きが弱まった。白山本宮は洪水や火災に度々遭って再建を重ね、文明12年(1480年)の大火で全ての社寺が焼失し末社である三宮の鎮座地(現社地)に遷座した。
これに先立つ文明3年、本願寺8世蓮如上人は、吉崎に道場を開いて北陸に浄土真宗を広めた。弥陀の本願を信じあの世の往生を願えという教えは、白山信仰に取って代わっていった。武士・農民からなる門徒集団は、長享2年(1488年)加賀の守護富樫政親を金沢の高尾城に攻め滅ぼした。以後織田信長配下の武将柴田勝家が金沢御坊を攻め落とすまでのおよそ100年間、加賀は「百姓のもちたる国」といわれ、中心が金沢へ移った。こうした一向一揆による加賀国支配によって白山の世俗的権力は衰微し、社頭も荒廃した。
白山本宮の社頭は、近世加賀藩主前田家の保護を得て復興された。しかし、白山嶺上の管理を巡っては、江戸時代において越前馬場の平泉寺、美濃馬場の白山本地中宮長滝寺(現 長滝白山神社)との論争が起きた。
明治の神仏分離により、寺号を廃して『延喜式神名帳』に記載された社名である「白山比咩神社」に改称した。それまで、加賀・越前・美濃の馬場のそれぞれが白山信仰の中心地となっており、勧請元ということでは、美濃が最も多く加賀は2番目であった。しかし、3社のうちで『延喜式神名帳』に記載されているのは加賀の当社のみであるということから、当社が全国の白山神社の総本社とされ、越前・美濃はその下に位置する地方の白山神社のうちの一つということにされた。越前・美濃の白山神社より勧請を受けた他の白山神社も、加賀の白山比咩神社の分霊社というように由諸を書き換えた。戦後は、越前平泉寺・美濃長滝の両白山神社もそれぞれ「白山神社の総本社」を名乗っている。

狛犬
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手水舎
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この手水舎には「白山の霊水」がきているが、それを利用して手水舎の周りに、真夏らしい「観水(見て涼み、感じて涼む)」の仕掛けが色々と置かれていて楽しかった。
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手水舎の横に芭蕉の句碑があった。これも楽しみにしていた一つ。
「風かをる越の白嶺を國の華」
奥の細道の途次、白山の姿を讃えて詠んだもの。
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このままいくと神門です。
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ですが、一の鳥居から表参道を歩きたいので、そちらに移動しました。

一の鳥居の社号標。東郷元帥の書です。
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横の灯篭も良い感じです。
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一の鳥居
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一の鳥居は、昭和11年(1936年)の造営。古くはこのお宮には鳥居がなく、「白山七不思議」の1つとも言われていたそうです。

神橋の手前で右に折れる。
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神橋の下のせせらぎも気持ちがいい。
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神橋を渡ってすぐ、「白山路桜花」の石碑がある。
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実に気持ちのいい参道が長く続きます。
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獅子吼高原からの谷水を手取川にそそいでいる琵琶滝。
北参道から入り表参道にまわったので、そこそこ歩いてきたので、清冽な流れが気持ち良かった。
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気持ちいい参道がまだまだ続きます。
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同根の三本杉
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ご神木の「老スギ」
境内でもっとも大きな神代杉で、太さは目通り5m余りあり、樹齢は千年を越えると推定されています。
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手水舎
豪壮な石組みの中から龍がニュウッと。
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二の鳥居
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年号不明ですが実にいい感じの狛犬。耳が厚く目も口も笑っているようです。吽には大きな角があります。
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ここから石段をちょっと上がると三の鳥居。
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三の鳥居をくぐると、ご神木の「大ケヤキ」
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神門右側に祀られる境内社:荒御前神社にお参り。
ご祭神は、荒御前大神・高日大神・日吉大神・五味島大神。
荒御前大神は、『日本書記』の中に、神功皇后(じんぐうこうごう)が朝鮮半島に出兵した際、守護した神として登場します。その他の神様で日吉大神は分かりますが、高日大神と五味島大神については分かりません。
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社前に、水で模様が描かれていた。打ち出の小鎚とウサギに見えた。
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落ち着いた造りの神門と回廊。
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神門に神馬がいました。
白山に初めて登拜したのは泰澄ですが、ある日泰澄は目の前に現れた白馬に乗った貴女(白山比咩大神)に「白山に来たれ」と告げられたといいます。
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社殿前
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昭和24年建立の狛犬
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外拝殿
大正9年建立の切妻造、銅板葺き。
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社額
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拝殿内部
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雅楽の太鼓があります。
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ご祭神は白山比咩大神(しらやまひめのおおかみ)=菊理媛尊(くくりひめのみこと)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の三柱。

菊理媛神は日本書紀の一書にわずかに登場する神です。古事記には登場しません。
イザナギ神とイザナミ神が黄泉平坂で言い争っている時に、黄泉守道者と一緒に表れ、菊理媛神の一言で、イザナギ神は口論を終え穢れを祓うため現世に戻る。
【原文】
 及其与妹相闘於泉平坂也、伊奘諾尊曰、始為族悲、及思哀者、是吾之怯矣。 時泉守道者白云、有言矣。曰、吾与汝已生国矣。奈何更求生乎。吾則当留此国、不可共去。 是時、菊理媛神亦有白事。伊奘諾尊聞而善之。乃散去矣。
【解釈文】
 その妻(=伊弉冉尊)と泉平坂(よもつひらさか)で相争うとき、伊奘諾尊が言われるのに、「私が始め悲しみ慕ったのは、私が弱かったからだ」と。
 このとき泉守道者(よもつちもりびと)が申し上げていうのに、「伊弉冉尊からのお言葉があります。『私はあなたと、すでに国を生みました。なぜにこの上、生むことを求めるのでしょうか。私はこの国に留まりますので、ご一緒には還れません』とおっしゃっております」と。 このとき菊理媛神が、申し上げられることがあった。伊奘諾尊はこれをお聞きになり、ほめられた。そして、その場を去られた。
神産みで伊弉冉尊(いざなみ)に逢いに黄泉を訪問した伊奘諾尊(いざなぎ)は、伊弉冉尊の変わり果てた姿を見て逃げ出した。しかし泉津平坂(黄泉比良坂)で追いつかれ、そこで伊弉冉尊と口論になる。そこに泉守道者が現れ、伊弉冉尊の言葉を取継いで「一緒に帰ることはできない」と言い、菊理媛神が何かを言うと、伊奘諾尊はそれを褒め、帰って行った、とある。菊理媛神が何を言ったかは書かれておらず、また、出自なども書かれていない。

この説話から、菊理媛神は伊奘諾尊と伊弉冉尊を仲直りさせたとして、縁結びの神とされている。また、死者(伊弉冉尊)と生者(伊奘諾尊)の間を取り持ったことからシャーマン(巫女)の女神ではないかとも言われている。ケガレを払う神格ともされる。
神名の「ククリ」は「括り」の意で、伊奘諾尊と伊弉冉尊の仲を取り持ったことからの神名と考えられる。他に、糸を紡ぐ(括る)ことに関係があるとする説、「潜り」の意で水神であるとする説、「聞き入れる」が転じたものとする説などがある


神紋:
正式な名称は「三子持亀甲瓜花(みつこもちきっこううりのはな)」。六角の亀甲の形を七五三に配した三つ子持ち、すなわち三条の構えをめぐらし、その中に瓜の花を描いたものです。
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幣拝殿すらも、全景は見えず辛うじて屋根だけ。
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本殿は大規模な三間社流造で、正面に庇の間と向拝を付ける。明和5年から7年(1768年-1770年)にかけて造替されたもので、加賀藩10代藩主前田重教(まえだしげみち)の寄進。
まったく本殿に近づくことが出来なかったので、白山比咩神社ガイド本より転載。
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ついでに、白山山頂にある奥宮の写真も転載。
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ご神木「三本杉」
昭和58年5月、昭和天皇が境内の杉の種を手播きされ、その苗木を植樹したもの。
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ちょうど巫女さんが通りかかりました。
巫女さんの衣装はどこの神社でもほぼ同じですが、後ろ髪を束ねた水引は神社によって異なるので、ここに注目しています。
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境内白山奥宮遥拝所
大汝峰・御前峰・別山の「白山三山」を模した岩が祀られています。
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禊社・禊場
白山の伏流水を利用して、信者の方も禊をしています。
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禊場の上の禊社
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住吉社
禊場の横に鎮座している。
祭神は、住吉三神(底筒男尊、中筒男尊、表筒男尊)で、伊弉諾尊が禊をしたときに生まれた神。
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また社殿前に戻ってきました。
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最後に北参道入り口のところにある宝物殿に入りました。
ここには楽しみにしていた木造狛犬が待っています。
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まずは、白山比咩大神の神像。
青木哥彦画
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重要文化財「木造獅子狛犬」
平安時代
像高: 獅子 86.0センチ、狛犬 85.9センチ
もと本殿外陣に安置されていた大型の獅子狛犬一対像である。阿形の獅子、吽形の狛犬とともに桧の前後縦三材に後肢に横一材を引き寄せる構造で、漆塗彩色仕上げとしている。神社の守護獣としての獅子狛犬像は、平安時代以来数多く造立されたが、軒下とはいえ社殿の階上椽におかれる中型以上の平安期に遡る古例は極めて少ない。滋賀・御上神社、京都・藤森神社に伝存する狛犬はその稀有の遺例として重要文化財に指定されているが、その他では広島・厳島神社に伝わる一回り小さい二対が知られるに過ぎない。本一対像はこれらに比べて一段と大型のものであるが、前肢を揃えほぼ正面向に前傾する姿、後方へと軽快に流れるたてがみ、穏やかな筋骨の表現など極めてよく似ており相近いころの造像であることを思わせる。現状、像表面の彩色は全て剥落し、漆下地をあらわしているが、材の朽損等少なく、獅子の耳、狛犬の頭頂の一角を失い、狛犬の尾を補作するほか、保存状態の良いことも賞され、異例の稀な平安期獅子狛犬の優れた大作である。
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重要文化財「木造狛犬」
鎌倉時代
阿形 像高 98.0センチ 、吽形 像高 97.0センチ
檜材、一木造で、総体に黒漆を塗り、唇に朱、歯牙に金泥を施す。頭部を大きく彫り出し、肉付きのあるたくましい胸を強く張る。その上体を支えるように太い前肢を立ててふんばり、後肢は曲げて腰をおとして坐る狛犬である。鬣は、阿形像を巻毛、吽形像を流し毛の様式で表わす。背をおこした反りの強い背筋の線や、力強く堂々とした体躯など、鎌倉時代の特色を十分に示し、巨匠運慶の作かとも言われ、全国的にも秀作の一つに数えられるものである。
白山本宮の後身である白山比咩神社の拝殿に安置され、社伝では、藤原秀衡の寄進の伝承がある。
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木造狛犬は、社殿内に置かれるので、小さいものという固定観念があったが、その前に立って大きいのに驚愕した。そしてその迫力には圧倒されました。
平安時代の「獅子狛犬」は、碓氷神社の石造狛犬と並び、私がいままで会ってきた狛犬のなかで最古のものです。これに会うのを楽しみに白山比咩神社に来たので、本当に満足しました。

これで、越中国一之宮、能登国一之宮、加賀国一之宮と、前田藩百二十万石を構成する国の一之宮全てにお参りを果たすことが出来ました。
夏に帰省した際にしかできなかったので、三年がかりとなりましたが、我ながらよくやったと褒めてやりたい気分です(笑)

この日は、午前中に思いがけない人とバッタリ会って話に興じたので、こちらに来る時間が遅れ、レンタカーを返す時間も決めてあったので、午後は白山比咩神社だけとなった。
帰りの高速のPA「徳光」で海を眺めただけ。
この日は空が曇っていたので暗い海であった。
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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

なるほど、ここがあの白山に関係ある神社なのですか。ものすごく広い境内の神社ですね。

ここの石の狛犬は装飾が多い感じですね。また、木造の狛犬もいいですね。こちらは反対に装飾は少ないのが面白いです。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
狛犬は、全部良かったですね。
木製の狛犬の前に立ったときは感動しました(笑)
やはり、修験道の大きな一派の本拠だったので、
違いますね。
凄かったです。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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