鷗外の坂/森まゆみ

20140811

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私がこの本を購入したのは、著者の森まゆみさんの講演会で彼女の語るのを聴いたからだ。
市制施行60周年記念事業と市民大学発足記念の講演会である。
私はその市民大学の前身「シニア・コミュニティ・カレッジ」の歴史講座によって歴史の面白さにはまり込んだのだ。
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森まゆみさんはとても気さくなオバサンの感じで、講演も聴いていて楽しく、この人の書いたものを読みたくなった。
その講演会で、こんなことをおっしゃっていた。
「結婚して子供が出来て、今は公園デビューという言葉があるが、私も子供を公園で遊ばせているうち数人のママ友達が出来た。この公園だけじゃつまらないからと、あちこちにその友達と歩き回るようになった。坂が多くて名前が面白くて、その由来を知りたいと思っても、当時は銀座とか新宿などはガイド本があったが、千駄木のあたりなんて、何も資料が無かった」
それで彼女が始めたのが地域雑誌「谷中・根津・千駄木」である。
いま誰でも使っている「谷根千」の創始者みたいなものだ。
気さくなオバサンと言ったが、早稲田の政経学部、東大の新聞研究所終了という方である。ただものではないのだ(笑)
始めたら、土地のおばあちゃんとかを訪ねて話を聞くのが楽しくて仕方なかったらしい。

この本では、鷗外の家族や友人をまず描き、その描写の中に鴎外その人を反射させていく。森鷗外という「文豪」を、やたら神格化したり美化したりせず、ていねいに輪郭を描出していく。
そこには鷗外が生きた時代の、現代の私が驚くようなしきたりとか考えが出てきて吃驚もする。
文庫本で433ページという大部である。
鷗外の本だけでなく、妹の喜美子、弟の篤次郎、潤三郎が書いたものも動員して、鷗外の生活を描き出す。谷根千の範囲にとどまらず、一家が東京での生活を始めた向島などにも足を運び、書かれたことから場所を推定して、現在その辺に住んでいる人に話を聞く。
そうすることで、明治初期の当時の暮らしぶりと、その場所の当時の姿。それと共にその場所の現在の姿と住んでいる人の姿がわかり、二重の楽しみを味あわせてくれる。

例えば、当時森林太郎のような高位の官僚の結婚には勅裁すなわち天皇の許可が必要だった。なんて書いてあり吃驚する。鷗外はそんなに偉かったのかということと、民間人でも高位となると「勅裁」かあ、と昔の階級制に対して。

この本のプロローグ森鴎外の小説「青年」に、森林太郎立案の「東京方眼図」が出てくる。
いま私たちが何気なく使っている、地図に入っている縦線と横線で知りたい対象の位置を知る方法、これを日本に最初に紹介して、東京の地図を作ってみせたのが森林太郎である。
私も以前これを知って、「これも森鷗外の所産か」と驚いたものだ。
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著者は、鷗外の小説「青年」と「東京方眼図」の両方を突き合わせながら、今の根津や千駄木を歩いて見せる。
これに私はぐんぐんと曳きこまれてしまった。

そして、この本を読んでいると、歴史クラブの行事で訪ねたところが出てきて、とても楽しい。
その中から、少し紹介しておく。

「鷗外」というペンネームのもとになった「鷗の渡し」は、歴史クラブの行事「隅田川端ウォーク」で訪れている。

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歴史クラブで「谷根千散歩」を企画し、私は幹事をやってコースを決めて下見もした。
鷗外記念館も立ち寄った。
その記事はこちら


その時に立ち寄った場所に、「夏目漱石旧居跡」がある。この場所で漱石は「我が輩は猫である」、「坊ちゃん」などを書いた。
今は、プレートだけで当時をしのばせるものは無いが。
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この本を読んで吃驚したのは、その家が建てられて最初に入ったのが森林太郎、最初の妻、弟二人の4人であった。
この場所は太田道灌の子孫の太田子爵の土地だったのを、ある人が買って家を建てた。息子の医者開業を見越して建てたらしい。しかしその息子は別の場所で開業したので貸すことにした。森林太郎が借りたのは、その息子が鷗外の弟篤次郎と同じ医学部に居た縁ではないかと森まゆみさんは推理している。
森林太郎が出たあと、数人(森まゆみさんはこれらの人も丁寧に調べ上げている)を経て、夏目漱石が住んだ。
その家の間取りは、漱石の「我が輩は猫である」で明らかだが、鷗外の弟潤三郎が「母が夏目氏の書いたものを読んで、間取りは同じだと語っていた」と書いているということを森まゆみさんはこの本で紹介している。

鷗外は61歳で亡くなって向島の弘福寺に葬られる。しかし翌年に関東大震災が起こり、本所、向島あたりは一面の焼け野原になる。そして弘福寺は再建されたが縮小されたため、「ご遺族は郊外の同じ宗派の寺に移されたのでしょう」というお寺の言葉でこの本は終わっている。
私は、歴史クラブの「三鷹周辺の寺社を歩く」で、現在の森林太郎の墓に詣でている。

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しかもそこの斜め向かいには、太宰治の墓があった。森鷗外を尊敬していた太宰治の希望だそうです。
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この本で、今まで訪れた所でも、またたくさんの新しい事実を知った。
だから再訪したいところばかり、ずいぶんと出来た。


(了)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

あの辺りと言うか、上野に近い方ですが、坂と言えば、まずは、さだまさしの歌に出てくる「無縁坂」ですね。勿論、鴎外の小説にも出てきますし。後は、日医大そばの「解剖坂」、ちょっと、気持ち悪いです。

鴎外と言えば、ドイツ医学派だったため、「脚気」の原因に気がつかず、脚気を起こらなくする方法を知った海軍に比し、鴎外がいた陸軍は多数の脚気を起こしたことは有名ですね。何でも陸軍では3万人位が脚気で亡くなったそうですし。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
ほんとうに、あのあたりは坂が多いですね。
私の友人に東京の坂を歩いている人がいますが、
歩き甲斐があるところです(笑)

あのころの人は気の毒ですよね(笑)
ほんとに個々の業績ですからね。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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