薊瓊入媛命 (あざみにいりひめのみこと)/日本の神々の話

20140818

記・紀にみえる第11代垂仁(すいにん)天皇の妃。
垂仁天皇の皇后狭穂(さほ)姫が兄狭穂彦の謀反(むほん)に連座して自殺する前に、後宮にいれることを進言した丹波道主命(たにわのみちぬしのみこと)の5人の娘のひとり。

丹波道主命の5人の娘とは、第一が日葉酢媛、次に渟葉田瓊入媛、次に眞研野媛、次に薊瓊入媛、次に竹野媛である。
そして、日葉酢媛命を立てて皇后とし、また渟葉田瓊入媛、眞研野媛、薊瓊入媛を妃とした。唯、竹野媛は容姿が醜かったので本土に帰された。還されることを恥じて葛野の地に到着した時に輿より自ら堕ちて亡くなられた。その地を堕国と言う。今、乙訓と言うのは是が訛ったものである。皇后は五十瓊敷入彦命を生んだ。次に大足彦尊、次に大中姫命、次に倭姫命、次に稚城瓊入彦命を生んだ。
大足彦尊が第12代景行天王となる。

薊瓊入媛の生んだ「五十日足彦命(いかたらしひこのみこと)は、垂仁天皇の皇子として越国(現在の北陸地方)の開発に尽力した。

ここまで読んで、薊瓊入媛は神様なのか? という疑問をお持ちの方も居るでしょう。
群馬県伊勢崎市の「大國神社(式内社)」のご祭神が大國主命なのですが、配祀されているのが「日葉酢媛命 、渟葉田瓊入媛命、眞砥野媛命、薊瓊入媛命、竹野媛命 」の五人の媛でした。
それで、私も神様として挙げることにしました。

伊勢崎市・大國神社については、歴史クラブの「関八州式内社めぐり」で訪れています。
下記クリックしてとんだページの二社目の記事
その記事を読む



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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

「丹波道主命」って、文字だけ見ると、「丹波の国の王様」みたく見えますね。ですから、その娘を后として出すと言うことは、やや負けてはいるか、完全には負けずに、家来になったと言うような気がします。

「乙訓」って言葉が急に出てきたので、「乙訓」ってどう言う意味なんだろうと思って調べてみたら、地名なのですね。今の京都・長岡京の辺りとか。一方、輿から落ちた「葛野」は今の京都市の辺りのようで、両者、南北に少し離れているような気がしました。

matsumo さん

コメントありがとうございます。
それにしても、5人全部を差し出すというのが、
すごいですね。
思い切ったことをするものです。
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Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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