中筒男命 (なかつつのおのみこと)/日本の神々の話

20140902

住吉三神の一つ。
住吉三神 (すみよしさんじん)は、底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)の総称である。
住吉大神ともいうが、この場合は住吉大社に共に祀られている息長帯姫命(神功皇后)を含めることがある。
海の神、航海の神、また和歌の神とされる。

住吉(すみよし)は、元は「すみのえ」と読んだ。住吉の「吉」は古来では「エ」と読み、「住」(スミ)と「吉」(エ)の間に助詞の「ノ」を入れて、「住吉」は「スミノエ」と読んだが、平安時代の頃から「スミヨシ」と読むようになった。スミノエとは「澄んだ入り江」のことであり、澄江、清江とも書いた。

伊邪那岐尊と伊邪那美命は国生みの神として大八島を生み、またさまざまな神を生んだが、伊邪那美命が火之迦具土神を生んだときに大火傷を負い、黄泉国(死の世界)に旅立った。その後、伊邪那岐尊は、黄泉国から伊邪那美命を引き戻そうとするが果たせず、「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」で、黄泉国の汚穢を洗い清める禊を行った。このとき、瀬の深いところで底筒男命が、瀬の流れの中間で中筒男命が、水表で表筒男命が、それぞれ生まれ出たとされる。
【古事記】の記述:
(現代語訳)
 このようなわけで、伊邪那岐大神が仰せられるには、「私は、なんといやな穢らわしい、きたない国に行っていたことだろう。だから、私は身体を清める禊をしよう」と仰せられ、筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原においでになって、禊ぎ祓えをなさった。
 それで、まず投げ捨てた御杖から成った神の名は、衝立船戸神である。次に投げ捨てた御帯から成った神の名は、道之長乳齒神である。次に投げ捨てた御袋から成った神の名は、時量師神である。次に投げ捨てた御衣から成った神の名は、和豆良比能宇斯能神である。次に投げ捨てた御袴から成った神の名は、道俣神である。次に投げ捨てた御冠から成った神の名は、飽咋之宇斯能神である。次に投げ捨てた左の御手の腕輪から成った神の名は、奥疎神、次に奥津那芸佐毘古神、次に奥津甲斐弁羅神である。次に投げ捨てた右の御手の腕輪から成った神の名は、辺疎神、次に辺津那芸佐毘古神、次に辺津甲斐弁羅神である。
  以上の船戸神から、辺津甲斐弁羅神までの十二神は、身につけていた物を脱ぎ捨てることによって、成り出でた神である。
 そこで伊邪那岐命が仰せられるには、「上の瀬は流れが遠い。下の瀬は流れがおそい」と仰せられ、初めて中流の瀬に沈みもぐつて、身の穢れを洗い清められたときに成った神の名は、八十禍津日神、次いで大禍津日神である。この二神は、あの穢らわしい黄泉国に行ったとき、触れた穢れによって成り出でた神である。次にその禍を直そうとして成り出でた神の名は、神直毘神、次いで大直毘神、次いで伊豆能売である。次に水の底にもぐって、身を洗い清められる時に成った神の名は、底津綿津見神、次に底筒之男命である。次に水の中程で洗い清められる時に成った神の名は、中津綿津見神、次いで中筒之男命である。水の表面で洗い清められる時に成った神の名は、上津綿津見神、次に上筒之男命である。
 この三柱の綿津見神は、阿曇連らの祖先神としてあがめ祭っている神である。そして阿曇連らは、その綿津見神の子の、宇都志日金拆命の子孫である。また底筒之男命・中筒之男命・上筒之男命の三柱の神は、住吉神社に祭られている三座の大神である。
 さてそこで左の御目をお洗いになる時、成り出でた神の名は、天照大御神である。次に右の御目をお洗いになる時、成り出でた神の名は月読命である。次に御鼻をお洗いになる時、成り出でた神の名は、建速須佐之男命である。

住吉三神と神功皇后
日本書紀によれば、仲哀天皇の御代、熊襲、隼人など大和朝廷に反抗する部族が蜂起したとき、神功皇后が神がかりし、「反乱軍の背後には三韓の勢力がある。まず三韓を征討せよ」との神託を得た[1]。しかし天皇はこの神託に従わず、翌年崩御した。その翌月、再び同様の神託を得た神功皇后は、自ら兵を率いて三韓へ出航した。このとき、住吉大神の和魂が神功皇后の身辺を守り、荒魂は突風となり、神功皇后の船団を後押しするとともに、三韓の軍をおおいに苦しめたとされている。
皇后は三韓を平定し凱旋の折、住吉大神の神託を得て、大神の荒魂を穴門(山口県)に奉斎し、また、和魂を大津の渟中名倉の長峡に鎮めて祀り、本霊である住吉三神をして摂津の国大阪の地に住吉大社の総本社を総本社を創建して祀った。
その後、住吉大社には神功皇后も祀られるようになり、住吉大神と神功皇后とで、「住吉坐神社四座」と呼ぶようになった。

私は、府中にある大國魂神社境内の住吉神社にてお参りしました。


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

住吉大社ですか。やはり、源氏物語で、光源氏が罪を許されて都に帰れたお礼に訪れる場面ですね。

以前、会社の用で堺市に20回位、行ったのですが、その帰りに何回か、寄ったことがあります。思ったより境内が小さいのには驚きましたが、平安時代はあの辺りまで海だったのですね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
源氏物語で説明されるとは、matsumoさんなかなか風流ですね。

住吉大社は、私行ったことありませんが、
三つの社殿が縦に並んで、なかなか風格がある写真ですよね。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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