『居眠り磐音 江戸双紙』第41巻「散華ノ刻」&第42巻「木槿ノ賦」/佐伯泰英

20140904

第41巻「散華ノ刻」

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この巻では、春風が江戸に桜の季節を告げる頃、坂崎家では豊後関前から父正睦、母照埜を小梅村に迎えて親子三代、賑やかな日々を送っていた。関前藩の物産事業に絡む内紛の始末がつかぬまま、富士見坂の江戸藩邸を訪れた磐音は、藩主福坂実高の正室お代の方の変わり果てた姿を目の当たりにして・・・

磐音は紀州徳川家藩主の計らいで、紀州徳川家剣術指南役となった。そして尾張徳川家の藩士数名も弟子入りしている。

磐音たちが立ち上げ、関前藩の財政改善のもとになった物産事業を専横し、アヘンでボロ儲けを企む江戸家老鑓兼参衛門。この者は藩主福坂実高の正室お代の方に気に入られて出世したのだが、実は田沼意知が送り込んできた人物であった。

遂に磐音の父、国家老である坂崎正睦は藩主の名代として、磐音を伴い江戸屋敷に乗り込み、鑓兼参衛門と対決する。

縫箔職人のもとに奉公していたおそめは、親方の計らいで京都西陣の縫箔屋に修行に出してもらえることになった。

坂崎正睦と磐音親子が江戸藩邸でお代の方に目通りした後、中居半蔵の部屋でくつろいでいると、磐音の代わりに養子に入った遼次郎が茶を入れて運んできた。聞けば男でも茶の入れ方くらい覚えておくようにと、おこんが教えてくれたそうだ。
この巻では、こういうおこんの気配りがなんとも心にしみた。


第42巻「木槿ノ賦」

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天明三年盛夏、隅田川左岸の小梅村で穏やかな暮らしを送る坂崎磐音は、参勤上番で江戸に出府する関前藩士一向を出迎えるため、父正睦とともに六郷土手でその到着を待っていた。旧主福坂実高との再会を果たした磐音だったが、随行してきた一人の若武者から思わぬ申し出を受ける。
その若武者とは、実高の養子となった俊次であった。

父正睦、母照埜は、江戸での内紛が片付き、藩主が江戸に出てきたので関前に帰ることになる。
それでおこんの母親の墓がある、小名木川の南側にある霊巌寺に、照埜、おこん、磐音の娘睦月で墓参りに行く。

関前に帰る途中、正睦、照埜夫婦は鎌倉の東慶寺に立ち寄る。ここにお代の方が身を寄せていた。藩主実高は死を命じたが、正睦のとりなしでお代の方は関前藩を出たのである。

磐音は吉原会所の四郎兵衛に呼び出され、行ってみると昔の許嫁奈緒、吉原では白鶴太夫の消息であった。山形の紅花問屋の前田屋に嫁いで幸せに暮らしていたが、夫の前田内蔵助が馬に頭を蹴られて大怪我をしたということだった。
磐音の行くところ風雲が起きる、例のごとしで女郎の足抜け騒ぎが起こる。片方は浪人者であった。

磐音の道場に通う、福坂俊次の船を不逞な集団が襲う。神保小路の元佐々木道場を取り上げた田沼一派により後釜に居座っている道場の意を受けた浪人者たちだが、死角からの矢を受けた霧子が倒れる。矢に毒が塗ってあったためだ。
利次郎が介抱し、磐音と懇意の蘭方医中川淳庵のもとに運び込む。手当は御殿医桂川甫周と二人で行われた。

田沼派の意をくむ、江戸起倒流道場に磐音が乗りこんで、関前藩跡目の福坂俊次を襲った非を責めた。
その場には稽古着の松平定信の姿もあった。
道場主鈴木清兵衛は真剣で木刀の磐音に立ち向かう。虚空に体が飛んで悶絶したのは、もちろん鈴木清兵衛であった。


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

この本を読んで不思議に思ったことは、阿片の密輸の話で、ううん、中国の阿片戦争の話は歴史で習いましたが、江戸時代、日本で阿片中毒ってあったと言う話は読んだ記憶がありません。可能性としては、医師が麻酔みたいな感じで使ったのではと思いますが。

matsumo さん

コメントありがとうございます。
阿片については、勉強不足でわかりません。
お隣の中国が、アヘンではひどいことになってましたから、
あるいは・・・・とも思いますが。
また入り口が長崎とか限られているので、そんなには、
とも思いますね。

現在でも、阿片は恐ろしいですね。
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とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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