芭蕉ゆかりの深川(1)

20140925

23日(火)に、歴史クラブの行事で表題のテーマで歩きました。
門前仲町から森下駅までのコースです。

門前仲町駅から歩き出したのが10:00くらいでした。

【永代寺】
ここは、「江戸六地蔵」がらみで寄りました。
旧永代寺は、現在の深川不動尊を含む深川公園一帯の敷地を持った広大なお寺でした。深川公園は、安藤広重(ひろしげ)の『名所江戸百景』にも取材された旧永代寺の庭園を公園にしたもので、上野恩賜(おんし)公園などと同じ1873(明治 6)太政官布告により開園された東京5公園の一つ。

「本所深川絵図」の一部を南北に倒して置いたのが下図。真ん中の下に永代寺。永代寺の文字は逆さまになっています。境内の右端に富岡八幡宮が書き込まれている。
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旧永代寺は、江戸六地蔵の第6番(千葉街道)でしたがそれは失われてありません。現在の永代寺(旧永代寺の塔頭の吉祥院が名称を引き継ぎ、再興)もお地蔵様が多く、地蔵堂もあります。このお堂には子育地蔵尊・取持地蔵尊など六体のお地蔵様が安置されています。その他、「戦死戦没者/戦災被没者供養塔」、水子地蔵などのお地蔵様もある。
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象が二頭の香炉
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地蔵堂
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水子地蔵
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戦死戦没者/戦災被没者供養塔
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【深川不動堂】
千葉県成田市にある大本山成田山新勝寺の東京別院。古くより「深川のお不動様」と親しまれてきた。その開創は元禄16年と伝わり、成田山の御本尊を江戸に奉持し特別拝観したことに始まる。この御尊像は、弘法大師自らが敬刻開眼されたと言われており、現在深川不動堂で奉祀する御本尊はその御分霊を勧請した御分身。成田山の不動信仰は江戸庶民の人気に支えられ、元禄16年(1703)に第一回目の出開帳が富岡八幡宮の別当寺である永代寺で行われた。
明治元年(1868)に神仏分離令とそれにもとづく廃仏運動のなかで、信徒講社は永続的な御旅所確立のために深川移転説を主張し、成田山当局にも熱心に働きかけました。その結果、旧来しばしば出開帳を行った特縁の地である現在地に、不動明王御分霊が正式に遷座された。
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旧本堂
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こちらには、「おねがい不動尊」がある。
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本堂は、梵字で囲まれているユニークな建物。
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不動明王の真言です。
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手水舎
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手水舎の奥に「深川竜神」があります。
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吒枳尼天を祀った出世稲荷
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愛宕権現の本地仏とされる勝軍地蔵
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石不動
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石造灯明台
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隣接する深川公園に、「永代時跡」の石碑が立っている。
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深川公園を突っ切って清澄通りに出て、北上していくと、仙台堀川にかかる「海辺橋」があります。
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【採茶庵(さいとあん)」跡】
松尾芭蕉の弟子杉山杉風の庵室です。
杉風は、幕府御用商人の魚屋で、裕福だったので、芭蕉のパトロンでもありました。「芭蕉庵」(現芭蕉稲荷)は、杉風が、芭蕉に贈ったものです。そして、「奥の細道」の旅に出るため、芭蕉は「芭蕉庵」を引きはらい、この「採茶庵」に逗留し、ここから、旅に出ます。
ここから舟に乗り、大川を北上して千住で陸に上がり歩き出します。
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仙台堀川沿いの小道が「芭蕉の小道」と名付けられ、芭蕉の句が並びます。清澄橋まで並んでいるを全部撮りました。
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清澄橋
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仙台堀川
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清澄橋を渡ると清澄公園です。
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【清澄庭園】
元禄期の豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷があったと伝えられる。享保年間には下総関宿藩主・久世氏の下屋敷となる。
最初に載せた「本所深川絵図」に「久世大和守」と書かれた広大な敷地がそうです。
明治となり荒廃していた邸地を三菱財閥創業者の岩崎弥太郎が買い取り、三菱社員の慰安と賓客接待を目的とした庭園として造成した。

洋風庭園と和風庭園がセットになっていて、洋風庭園にコンドルが設計した洋館が建っていました。
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関東大震災では、たくさんの人がこの庭園のおかげで命を救われたそうです。
三菱3代目社長の岩崎久弥は当時の東京市に庭園の東半分を公園用地として寄贈。市は大正記念館の移築(1929年5月竣工)や深川図書館の新館舎建設(同年6月竣工)など整備を進め、1932年(昭和7年)7月24日に清澄庭園として開園しました。

1973年(昭和48年)に東京都は残る西半分の敷地を購入。翌年から整備を開始し、1977年(昭和52年)に開放公園(清澄公園)として追加開園しました。

西半分の清澄公園には、既にコンドルが設計した洋館もなく、なんとなく和風の公園となっています。
中村学園の空中通路をバックに。
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次回続きは、庭園の東半分の「清澄庭園(有料)」から載せます。

(続く)

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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

さすが、四季歩さんは細かく写真を撮られていますね。私の場合、基本的に美しいと思ったものしか撮らないので、後でチェックすると、落ちが沢山あります。

それにしても、古地図を見ると、この辺り、埋め立て地だと思うのですが、江戸時代の江戸は如何に水路が多いかよくわかりますね。磐音がいつも小舟で移動する理由がよくわかります。

matsumo さん

コメントありがとうございます。
ほんとに、この辺は水路が多いですよね。
私も、matsumoさん同様に「居眠り磐音 江戸双紙」が
大好きで、42巻まで読み進んでいます。
この辺を歩いていると、磐音のことをつい思いますね。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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