富士山下宮 小室(おむろ)浅間神社

20141013

所在地:山梨県富士吉田市下吉田5221

8日(水)に参加した歴史クラブの定例見学会「世界遺産 富士山文化を訪ねる」で、御室浅間神社に続いて訪れたのが当社です。

ちょっと手前でバスを停めて歩きます。
道の入り口の鳥居
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70mほど歩くと、大鳥居があります。
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旧社格は郷社で、現在は神社本庁の別表神社。
ここが不思議なことに、文化遺産「富士山」の構成資産には入っていないのです。
しかし、とても見どころのあるお宮なので、私のほうから提案してコースに入れてもらいました。

社伝によれば、延暦12年(793年)、征夷大将軍坂上田村麻呂が東征の際、現鎮座地より富士山を遙拝して戦勝を祈願し、戦勝後の大同2年(807年)、神恩に感謝して社殿を造営したのに始まるという。
上吉田・下吉田・松山の三郷の総鎮守とされ、中世には武田家が祈願所として崇敬した。 明治に入り氏子地域であった上吉田を北口本宮冨士浅間神社に割譲し、それまでの「下宮浅間神社」から現在の「小室浅間神社」に改称した。元々「小室浅間神社」とは、富士山二合目にある山宮の名称であった。
富士吉田地域に於いて、北口本宮冨士浅間神社が富士講御師に依る対外的な信仰を集め、下吉田の小室浅間神社は農耕信仰を中心として地元民の生活に根差した文化があった。

手水舎
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このお宮には桂の樹が多い。
これは「愛染桂」と名付けられている。
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ちなみに長野の実家に桂の木があり、葉がハート形で可愛いのを私の娘が喜んだので、私の父が枝を挿し木して苗をくれ、いま住んでいる家の庭にも桂の木があります。

拝殿、その奥に本殿の覆い屋。
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狛犬
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拝殿
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真ん中の鈴がとても良い音がする。
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向拝の扁額は、巨木が偲ばせる杉板で「天社國鎮」とある。
そして「此木當社地神代之老杉也恭造扁額以為紀念牟」
「歳次庚子仲秋吉辰」と記してある。
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向拝の彫刻
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白馬の絵馬
木花咲耶姫命の乗り物は白馬だそうだ。
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拝殿内部
右の随身、鏡の付いた神旗。
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中央本殿の扉の前に置かれた、神の依り代の鏡。受け台がなんとも美しい富士山である。
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左の随身、剣の付いた神旗。
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御祭神は木花咲耶姫命。

神紋は八重桜であり、神社のサイトでは「大和桜」と紹介されている。
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本殿はすっぽりと覆屋の中で、まったく見えない。
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神馬舎
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扉を開けて神馬を見せてくださった。
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流鏑馬のために神馬が飼われている。
これは7月18日に下見に行ったときの写真で、白と茶の二頭が居た。
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この時、白馬はかなりの高齢だと伺ったが、この日10月8日には白馬の姿が見えず、聞いたら7月末に亡くなったということだった。合掌。

ここの流鏑馬は、単なる流鏑馬でなく、【流鏑馬神事】である。
例祭は9月19日に行われ、流鏑馬神事が有名である。地元では「うまっとばかし」(馬をとばす(甲州弁))と呼ばれる。境内では流鏑馬に使う神馬が飼育されている。この馬は日本中央競馬会から奉納されたものである。
かっては、富士山二合目鎮座の冨士御室浅間神社の近くにあった騮ヶ馬場(りゅうがばば)で行われ、勝山(富士河口湖町)地区と共に奉納されていた。しかし、村間の争いが激しくなっていったため、享禄3年(1530年)に武田氏の家臣である板垣信賢の達により、各々の村で奉納されるようになった。現在の馬場は明治からと伝えられている。
この例祭は一般的に知られる流鏑馬と異なり、農耕信仰及び土地の人々に密接した変わった流鏑馬神事で、富士吉田市無形民俗文化財に指定されている。「切火」と呼ばれる一週間に渡る潔斎と世襲の「占人」が馬の足跡によって吉凶を占う「馬蹄占」が特徴的である。流鏑馬祭りが終わると、各町内に神職を招き「馬蹄占」の結果をもとに「お日待ち・秋葉講」と呼ばれる祭事を行う。各家庭では、その後に神職から紙垂を1枚戴き、火事や争い事がなく無事に過ごせるよう祈願する。

驚いたことに、記念にと流鏑馬のときに馬にあてるムチのレプリカを参加者49名全員が頂いた。
レプリカといっても、半端なものじゃありません、太さ4.5cmもある藤ツル(富士山の麓の森から切り出してきたもの)の先端を叩いて解して色を塗ってあります。
ありがとうございました。
玄関に置いてくださいということで、置いてあります。
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それから神事としては、【御更衣祭】と【筒粥祭】があります。
【御更衣祭】
60年に一度の例祭では、祭神(木花咲耶姫命)の神体の着衣を替える「御更衣祭」が行われる。20世紀には昭和25年(1950年)、平成22年(2010年)9月19日深夜2時に実施され、次回は2070年である。「御更衣祭」の時以外に神体を目にすると、必ず良くないことが起きると伝えられている。

【筒粥祭】
筒粥祭は、1月14日の夜から翌朝にかけて行われる祭。これにより年間の五穀豊穣・天候・養蚕・富士山登拝者数を占う。この祭事にも世襲の「占人」一族があり、神社の主な祭儀が占い神事で、それぞれに世襲の一族が代々奉仕していることが大変珍しい。

続いて境内社です。

稲荷社・山王社・大神社・山神社・天神社
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日枝社(大山咋命)
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室宮恵比寿神社
神社の説明によると、
ある日、篤信人の霊夢に富士山北口の下官産土神社恵比寿大黒像が現れ、「吾は隆昌の運を支えるのばり恵比寿なるぞ。富士に向かって祀れ。吾前に額き縁の霊カを背負い、富士に向かう者の運を開く時は瞳目に値するぞ」とお告げ在りし故、摂津國西宮より勧請し、社宝尾形光琳色彩の恵比寿大黒像を室宮恵比寿と称え申し上げ御奉斎してある。毎年十一月十九・二十日に宵宮、例大祭を斎行し、御縁銭を授与している。
この御縁銭は「財宝は限りなく湧き出て、開運は泉の如くに尽きる事なし」と、恵比寿神との関わり、縁を語る印とされる。
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嘉永元年奉納「猿田彦大神の石碑」
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そして特筆すべき古蹟が残されている。
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【大塔宮桂之古蹟】
本殿右側に聳える御神木「桂」 の老樹は富士吉田市指定天然記念物である。
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南北朝時代鎌倉で討たれた大塔宮護良親王の首級を雛鶴姫が持って落ち延び、この樹の根本に葬ったと伝えられる。
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雛鶴姫の伝説:
護良親王は建武中興の直後、足利直義(ただよし)に捕らえられ、建武2年(1335)鎌倉の牢で首をはねられた。
首をはねられた時の親王は、あまりの無念さから、刺客となった渕部義博(伊賀守)を睨みつけたまま死んでいったため、義博はその恐ろしい親王の首級を、足利直義の前へ差し出すことができず、牢獄の近くの竹薮に捨てて逃げ去ったといわれる。たまたまこれを知った親王の寵姫(南の方)の雛鶴姫(北畠親房の娘)が、数人の従者とともにその首級を探し出して鎌倉を逃れます。雛鶴姫は、すでに親王の御子を宿していてしかも臨月の身重であった。野宿中産気づいてしまったので、従者たちは近くの木の枝や葉を集めて産所をつくり、その中で王子を分娩した。その王子の名は綴連(つづれ)の王子といった。雛鶴姫と王子はしばらくして亡くなりますが、逃亡経路、従者が葬った場所については各地に伝説が残っています。
小室浅間神社もその一つです。

真ん中の手前が雛鶴姫、向う側が護良親王を祀った祠。
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そしてまた、【富士溶岩流の原形】がすぐ近くにあります。
「溶岩流が大塔宮のご神徳により、桂の木の手前で止まっている。」とれっきとした本に書かれています。
偶然にしても面白い話だと最初思ったのですが、富士山の歴史を調べると、富士吉田の辺に溶岩流が流れた最後の噴火は937年なので、ちょっと話しに無理があります。神社の説明にもそうは書かれていません。

ただ溶岩流の塊は、富士吉田の各所にあったが、ほとんどは撤去されてしまいました。たぶん各所の富士塚に置かれたのでしょう。
大規模なものがそのまま残されているのは珍しい。
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次は「世界遺産展示室」に向かいました。


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

この神社も初めて聞きました。また、拝殿の真ん中の鈴、あのような形のものは初めて見ました。ここの彫刻も大したものですね。獅子と象?も中々ですし。また、本殿の富士山も面白いです。

「溶岩流の塊」、富士塚に似ている形なのには驚きました。



matsumoさん

コメントありがとうございます。
このお宮さん、なかなかのものなのですが、
どうして世界遺産の構成資産にならなかったのかが
謎です。
富士塚は、このような溶岩流が富士吉田の市内では、
生活に邪魔なものですから、どんどん各地の富士塚に
運ばれたんでしょうね。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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