御師 旧外川家住宅

20141019

所在地:山梨県富士吉田市上吉田3-14-8

8日(水)に参加した歴史クラブの定例見学会「世界遺産 富士山文化を訪ねる」で、御室浅間神社、小室浅間神社、世界遺産展示室の後に向かったのがここです。

世界文化遺産「富士山」の構成資産で、重要文化財です。
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「御師」について説明しておきます。
古来、富士山は火を司る神霊の宿る山として崇められてきた「遥拝ようはい)の山」でしたが、鎌倉時代には、山岳修験者や庶民の富士信仰が結びついて、入山(登山)修行を行う「登拝の山」へと性格を変化させています。やがて室町時代に入ると、富士信仰はさらに盛んになり、江戸時代になると人々は「富士講」を結成し組織的に富士山参詣を行うようになりました。
狭山市では、「水富丸ろ講」が今でも存在しています。
富士講の開祖といわれる長谷川角行は富士で千日間立ち行の末に悟りを開いたといわれ、さらに数々の難行苦行を行い、庶民の信仰を一身に集めました。そして書土山登山百数十回、断食300日などの苦行を成し遂げ、106歳のとき入寂したと伝えられています。
その後江戸中期になると、開祖角行から数えて六代目の食行身禄らが登場し、富士講はいよいよ活性化しました。身禄の説<ところは、財産や富貴は仮のもので、永遠ではないという思想に貫かれ、その教えは厳しい修行によってのみ体得できるとしました。この鼻禄の生き方と思想はしだいに庶民の共感を得、信者を増やしていきました。
そして身禄は、享保18年(1733)、富士山7合目の鳥格子岩で断食入定、即身仏となって自己の信仰を貫きました。以来富士講の信者は大いに増え、江戸末期には「江戸八百八講」といわれるほどの講集団の盛況を見ました。
夏の開山期になると富士請の信者(道書)たちは、富士登山のために河口や吉田へやってきます。この信者たちの世話や指導をしたのが「御師」と呼ばれる人たちです。御師は富士山及び角行の説<信仰の指導者であり、又宿泊所の提供者であり、富士講を広める普及者としての性格を持っていました。
彼らの生活は、経営する宿坊での信者から宿泊料や山役銭(通行料)、おはらい料、お礼、お布施などの収入によって維持されていました。御師と信者は師弟関係にあり、一度縁を結ぶと、信者は他の御師の盾坊に泊まることはありません。御師にとっては、いかに大勢の信者を自分の勢力下にt<かが大切で、シーズンオフになると江戸を中心に「講社まわり」に精を出したということです。
 隆盛を見た富士講とそれにかかわる御師は、文明開化以後の新しい社会の風潮に乗り遅れ、徐々に衰退の一途をたどりました。かつての御師の家は、今は民宿などに生まれ変わり、その家のたたずまいや富士講の歴史を物語る資料や調度品などが、往時の面影を見せています。

中門から入ります。
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中門を入ってすぐ右手に、富士山の溶岩と間の川がある。
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間の川に小さな滝が作られ、宿泊する富士講が到着や出発の際に水垢離を行う禊場となっていた。
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入り口
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間取り
非常に細長い短冊形の敷地が御師住宅の特徴です。
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玄関
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家名額
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明和5年(1768)に建てられた主屋は、残る御師住宅のなかでも古い建物で貴重です。
棟札の写真が置いてありました。
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「火地炉の間」に当時の什器が並べられていた。
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富士山形の茶碗
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同行する強力が担いで行ったお弁当。
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こういうものも、持って行った。
「銅壺どうこ」
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居間の神棚
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横に鳥居と三猿
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飾ってあった手ぬぐいと絵馬
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屋根裏に、強力や奉公人が寝泊まりした。
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檀家(富士講)の分布図
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各所に、この家と師弟関係にあった富士講の印が各所に飾られている。
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「講社まわり」に用いたカバン。お札を詰めていった。
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お札と版木
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強力が担いで行ったドテラ。富士講の人は白装束で登り、上は寒いので寝るときなどにこれを使用した。
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御神前の間
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身禄の像
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「食行身禄の御影」の版木
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上段の間
講の先達が居住する間、一段高くなっている。
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床の間に「お身抜き」と「身禄坐像」が。

身禄の「お身抜き」
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「身禄坐像」
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御師の装束
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富士講の白装束
亡くなった時一緒に焼かれるので、残っているのは貴重だそうです。
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裏庭の風景
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これで、ここは完了。
続いて、北口本宮富士浅間神社に向かいました。


続く、北口本宮富士浅間神社を読む


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

おお、富士講に関する色々な貴重なものがありますね。よくぞ、これだけのものが残っていたと思います。

富士講の白装束は以前に、下谷坂本富士の開山祭で、1人の方が着ていたので、見たことがあります。朱印がいくつも押されていました。

東京の御岳山にも御師住宅がありますが、注連縄、屋根の色等、似ているなあと思いました。でも、当初は屋根はトタン葺きではなく、茅葺きだったのでしょうね。

matsumo さん

コメントありがとうございます。
私は、白装束は高尾山の火まつりのときに見ました。
真の行者の様子で素晴らしかったですね。

御岳山の御師住宅では、2軒ほどまだ茅葺ですよね。
あれは素晴らしいです。

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Re: お願い

コメントありがとうございます。
読んでいただいて嬉しいです。
画像は、私のスタンスは公開した以上フリーと考えていますので、
ご自由にお使いください。
これからもよろしくお願いします。

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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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