中津綿津見神 (なかつわたつみのかみ)/日本の神々の話

20141021

 海神の三神の一柱。黄泉国から帰った伊邪那岐神が禊祓をしたおりに化生した神々の一柱である。
ちょっと長いが、古事記の読み下し文で紹介する。
*****
 ここを以ちて伊邪那岐大神詔りたまはく、「吾はいなしこめしこめき穢き国に到りてありけり。かれ、吾は御身の禊せむ」とのりたまひて、竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。
かれ、投げ棄つる御杖に成りし神の名は、衝立船戸神。次に投げ棄つる卸帯に成りし神の名は、道之長乳齒神。次に投げ棄つる御嚢に成りし神の名は、時量師神。次に投げ棄つる御衣に成りし神の名は、和豆良比能宇斯能神。次に投げ棄つる御褌に成りし神の名は、道俣神。次に投げ棄つる御冠に成りし神の名は、飽咋之宇斯能神。次に投げ棄つる左の御手の手纏に成りし神の名は、奥疎神。次に奥津那芸佐毘古神。次に奥津甲斐弁羅神。次に投げ棄つる右の御手の手纏に成りし神の名は、辺疎神。次に辺津那芸佐毘古神。次に辺津甲斐弁羅神。
右の件の船戸神より以下、辺津甲斐弁羅神より以前の十二神は、身に著けたる物を脱ぐによりて生りし神なり。
ここに詔りたまはく、「上つ瀬は瀬速し。下つ瀬は瀬弱し」とのりたまひて、初めて中つ瀬に墜ちかづきて滌きたまふ時、成りし神の名は、八十禍津日神、次に大禍津日神。この二柱は、その穢らはしき国に到りし時、汗垢によりて成りし神なり。次にその禍を直さむとして成りし神の名は、神直毘神、次に大直毘神、次に伊豆能売、併せて三神なり。次に水底に滌きたまふ時時成りし神の名は、底津綿津見神、次に底筒之男命。中に滌きたまふ時成りし神の名は、中津綿津見神、次に中筒之男命。水の上に滌きたまふ時成りし神の名は、上津綿津見神、次に上筒之男命。
 この三柱の綿津見神は、阿曇連等が祖神ともちいつく神なり。かれ、阿曇連等は、その綿津見神の子、宇都志日金拆命の子孫なり。
その底筒之男命・中筒之男命・上筒之男命の三柱の神は、墨江の三前の大神なり。
 ここに左の御目を洗ひたまふ時成りし神の名は、天照大御神。次に右の御目を洗ひたまふ時成りし神の名は、月読命。次に御鼻を洗ひたまふ時成りし神の名は、建速須佐之男命。
*****

綿津見の津見は「住む」と同じ意味で、すなわち綿津見神とは海神のことである。
『古事記』では、この三神の化生を述べたあと、「此の三柱の綿津見神は阿曇連等が祖神と以ち伊都久神なり。故阿鼻連等は、その綿津見の神の子、宇都志日金析命の子孫なり」とある。阿曇連の阿曇は氏の名で、連は姓の一つである。また阿曇は、アマツミで、アマは海人である。ツミは綿津見のツミと同じであり、宇津志日金析命は名義はわからないが、『姓氏録』によると、「安(阿)曇連宇津斯奈貴命之後也」とある。以上から考えると、筑紫地方で、航海や漁業に従事した海人の部族を率いる豪族であったといえるだろう。
上記の綿津見神三神は、旧官幣小社志賀海神社の祭神であるため、志賀神とも呼ばれる。
綿津見神三神を祀る主な神社は下記。
・神戸市の「海神社」
・福岡市の「志賀海神社」

注)大綿津見神とは異なる。
日本神話で最初に登場するワタツミの神は、オオワタツミ(大綿津見神・大海神)である。神産みの段で伊弉諾尊 (伊邪那岐命・いざなぎ)・伊弉冉尊 (伊邪那美命・いざなみ)二神の間に生まれた。神名から海の主宰神と考えられている。『記紀』においてはイザナギは素戔嗚尊(須佐之男命・すさのを)に海を治めるよう命じている。



日本の神々記事一覧に飛ぶ



スポンサーサイト

コメント

非公開コメント
プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード

Pagetop