羽黒神・羽黒権現(はぐろごんげん)  /日本の神々の話

20141023

出羽国羽黒山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神であり、観音菩薩を本地仏とする。出羽三所大権現の一つである。 羽黒大権現とも羽黒山大権現とも呼ばれた。神仏分離・廃仏毀釈が行われる以前は、羽黒山寂光寺から勧請された全国の羽黒権現社で祀られた。

由来は、崇峻天皇の皇子である蜂子皇子が三本足の霊烏に導かれ、羽黒山で観音菩薩の垂迹神である羽黒権現の神験に遭ったのが開山の由来と伝承される。

中世においては羽黒修験道が盛んになった。
東叡山寛永寺直末となり、江戸幕府の庇護の下で、西の熊野十二所権現に対する東国三十三ヶ国総鎮守の三所権現(羽黒山大権現・月山大権現・湯殿山大権現)として、宗教的にも経済的にも隆盛を極めた。
羽黒修験道は廃仏毀釈等による壊滅は免れ、現在も神道とは別に羽黒山に峰入りをして存続している。なかでも、宗教法人羽黒山修験本宗の本山の羽黒山荒沢寺での秋の峰入り(峰中行)で実施される柴燈護摩や南蛮燻しは秘行として知られる。

明治維新の神仏分離・廃仏毀釈によって、修験道の神である羽黒権現は廃された。羽黒山寂光寺は廃寺に追い込まれ、出羽神社(いではじんじゃ)に強制的に改組された。
全国の羽黒権現社の多くは神道の羽黒神社あるいは出羽神社となっている。

大正元年発行の「諸社祭神御事厯/埼玉県神職會」によれば、
出羽(いでは)神社は、延喜式神名帖では出羽國田川郡伊氐波(いではの)神社と見えたる。中古以来は羽黒権現と称して専ら修験者の尊崇するところとなり。(途中略)
本社の祭神につきては伊氐波神にておはす。されど、その祭神につきては諸説あることにて、或は倉稲魂神(うかのみたまのかみ)なりともいい、或は玉依姫命なりともいえり。

狭山市加佐志の羽黒神社は、応永年間(1394~1427)羽黒山の麓に暮らしていた伴蔵人一俊が、夢枕に立った羽黒権現の導きで当地に移住し開拓した。現在奥富と名乗る家である。そしてこの村の産土神として羽黒権現を祀ったとされている。
現在の祭神は倉稲魂神(うかのみたまのかみ)である。


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

羽黒山の五重塔は見たいと思っているのですが、未だに行ったことはありません。湯殿山も行ったことはありませんが、月山は夏に、山形駅からバスで姥沢に行き、そこより、スキーリフトを使って中腹まで行き、そして、歩きで3時間位かかって頂上まで行きました。

確かに、古い地図を見ると、○○権現って書かれているの、結構、ありますよね。例の「居眠り磐音」江戸地図でも、根津権現、白山権現、東照大権現宮、愛宕権現等、現在ではそのほとんどが神社になっていますね。

matsumo さん

コメントありがとうございます。
権現というのは、神仏混合なので、江戸時代は
仏教が基本だったので、これが多くなったんですね。
明治になると、神仏分離令、廃仏毀釈となり、
権現は許されなくなったんですね。
修験道も禁止となりました。
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写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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