柴又周辺散策(1)

20141029

10月20日(月)に歴史クラブの企画で行きました。
訪ねたのは、柴又八幡神社、柴又帝釈天、矢切の渡し、寅さん記念館、山田洋二ミュージアムです。
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柴又駅を降りると、「フーテンの寅」像がお出迎え。
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何かのモニュメントのところで、今日の見どころ、薀蓄の説明を長老のNさんから受ける。
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踏切を渡って柴又八幡に向かいます。
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【柴又八幡神社】
所在地:東京都葛飾区柴又三丁目30-24 

由緒:
旧柴又村の鎮守。
柴又は正倉院文書の「養老五年下総国葛飾郡大嶋郷戸籍」にある「島俣里」に比定される古い土地であり、創建年代は不詳だが、古い時代にさかのぼることは間違いないだろうという。現在の社殿は昭和43年(1968)の建造。
当社の社殿は6世紀後半のものとみられる古墳の上に建っている。このことは、社殿背後に古墳の石組みらしきものが露呈していたことから指摘されていたが、昭和40年(1965)からの調査で直径20~30mの円墳であることがわかった。社殿背後の石組みは遺体を安置する石室であり、周囲からは円筒埴輪や人物や馬などの埴輪、直刀、馬具、須恵器などが見つかった。この時見つかった遺骨や遺品は社殿背後に築かれた島俣塚に納められている。
柴又といえば「男はつらいよ」シリーズの舞台として知られるが、平成13年(2001)、渥美清さんの命日である8月4日にこの古墳から寅さんそっくりの埴輪が出土し、ニュースになった。
10月の例大祭に奉納される神獅子舞は疫病除けの信仰で知られ、葛飾区の無形民俗文化財に指定されている。

鳥居
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古墳石室の説明
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手水舎
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参道
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神楽殿
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拝殿
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本殿
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祭神は誉田別尊〔ほんだわけのみこと〕、建御名方尊〔たけみなかたのみこと〕

島俣塚
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境内社
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境内社の狛犬が文化5年(1808)と古いものだった。
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境内石祠
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帝釈天の参道に戻りました。
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ご存知、寅さんの草だんご屋です。
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木彫り屋さんの看板が良かった。
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【柴又帝釈天】
所在地:東京都葛飾区柴又7-10-3

柴又帝釈天(しばまたたいしやくてん)は、東京都葛飾区柴又ある日蓮宗の寺院の通称である。正式名称は経柴山題経寺(きょうえいざんだいきょうじ)である。旧本山は大本山中山法華経寺。親師法縁。
概要:
江戸時代初期の寛永6年(1629年)に、禅那院日忠および題経院日栄という2名の僧によって開創された日蓮宗寺院である。18世紀末、9世住職の日敬(にっきょう)の頃から当寺の帝釈天が信仰を集めるようになり、「柴又帝釈天」として知られるようになった。帝釈天の縁日は庚申の日とされ、庚申信仰とも関連して多くの参詣人を集めるようになった。
近代以降も夏目漱石の『彼岸過迄』を始め、多くの文芸作品に登場し、東京近郊(当時は東京ではなかった)の名所として扱われた。20世紀後半以降は、人気映画シリーズ『男はつらいよ』の渥美清演じる主人公・車寅次郎(寅さん)ゆかりの寺として知られるようになる。年始や庚申の日(縁日)は非常に賑わい、映画『男はつらいよ』シリーズ制作中は、観光バスの団体客が大勢訪れたこともあるが、同シリーズの終了に伴い、参拝客、観光客が年々減少している。
「柴又帝釈天」の通称で専ら呼ばれるところから、帝釈天が当寺の本尊と思われがちだが、日蓮宗寺院としての本尊は、帝釈堂の隣の祖師堂に安置する「曼荼羅」(中央に「南無妙法蓮華経」の題目を大書し、その周囲に諸々の仏、菩薩、天、神などの名を書したもの)である。また、当寺が柴又七福神のうちの昆沙門天にあたることから、「帝釈天=昆沙門天」と解説する資料が散見されるが、帝釈天と昆沙門天はその起源を全く異にする別々の尊格であり、柴又七福神の昆沙門天は、帝釈天の脇に安置される多聞天(別名毘沙門天)を指すと解される。
歴史:
縁起によれば、題経寺の創建は江戸時代初期の寛永6年(1629年)で、開山は中山法華経寺(千葉県市川市)19世の禅那院日忠とされている。なお、寺の祝明によれば、実際に寺を開いたのは日忠の弟子にあたる題経院日栄であるとされる。本堂右手にある釈迦堂(開山堂)に日栄の木像が安置されていることからも、この日栄という僧が実質的な開山であると思われる。
題経寺の中興の祖とされているのが9世住職の亨貞院日敬(こうていいんにっきょう)という僧であり、彼は一時行方不明になっていた「帝釈天の板本尊」を再発見した人物であるとされている。日敬白ら記した縁起によれば、この寺には宗祖日蓮が自ら刻んだという伝承のある帝釈天の板本尊があったが、長年所在不明になっていた。それが、日敬の時代に、本堂の修理を行ったところ、棟木の上から発見されたという。この板本尊は片面に「南無妙法蓮華経」の題目と法華経薬王品の要文、片面には右手に剣を持った帝釈天像を表したもので、これが発見されたのが安永8年(1779年)の庚申の日であったことから、60日に一度の庚申の日が縁日となった。それから4年ほど経った天明3年(1783年)、日敬は自ら板本尊を背負って江戸の町を歩き、天明の大飢饉に苦しむ人々に拝ませたところ、不思誰な効験があったため、柴又帝釈天への信仰が広まっていったという。柴又帝釈天が著名になり、門前町が形成されるのもこの時代からと思われる。近隣に数軒ある川魚料理の老舗もおおむねこの頃(18世紀末)の創業を伝えている。

○ニ天門
明治2今年(1約6年)の建立。入母屋造瓦葺の楼門(2階建て門)で、屋根には唐破風と千鳥破風を付す。桂上の貫などには浮き彫りの装飾彫刻を施す。初層左右には四天王のうちの増長天および広目天の二天を安置し、門の名はこれに由来する。ニ天像は平安時代の作とされ、門の建立時に同じ日蓮宗の妙国寺(大阪府堺市)から寄贈されたものである。
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扉には、龍虎の彫刻が。
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通路正面の彫刻
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内側
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各所に見事な彫刻が。
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○大鐘楼堂
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寺男の源ちゃん(佐藤我次郎さん)が鐘をついていた場所ですね。
昭和30年に完成した全てケヤキで造られております。
鐘楼堂建築としては、関東では比べるものが無いほどの造り。 音響は雅楽黄鐘調と言われ、梵鐘研究の権威である青木理学博士から「昭和の銘鐘」と太鼓判を押されたほどのものです。
寅さんの映画でも必ずこの大鐘楼の効果音が挿入されています。

ちょうど12時に鐘をついているのに出くわしました。実にラッキー(嬉)
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この鐘楼の彫刻も、見ごたえがありました。
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帝釈天でしょうか。
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日蓮の法難が彫られています。
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庚申の日に縁があるということで、猿の彫刻も多い。
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境内に戻ります。
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○水かけ観音
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○帝釈堂
手前の拝殿と奥の内殿から成り、ともに入母屋造瓦葺で、拝殿屋根には唐破風と大ぶりの千鳥破風を付す。内殿は大正4年(1915年)、拝殿は昭和4年(1929年)の完成。内殿には帝釈天の板本尊を安置し、左右に四天王のうちの持国天と多聞天(昆沙門天)を安置する(四天王の残り2体は二天門に安置)。内殿外側には全面に浮き彫りの装飾彫刻が施されている。
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拝殿千鳥破風懸魚には鶴に乗った仙人(?)
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唐破風懸魚には迦陵頻伽が。
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向拝欄間には龍の彫刻。
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拝殿入り口
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左右の扉
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拝殿と内殿の間から庭園に通じる渡り廊下。
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内殿は、彫刻を保護するため建物ごとガラスの壁で覆われています。
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○彫刻ギャラリー
帝釈堂内殿の外部は東・北・西の全面が装飾彫刻で覆われており、中でも胴羽目板の法華経説話の浮き彫り10面が著名である。これは法華経に説かれる代表的な説話10話を選び視覚化したもので、大正11年(1922年)から昭和9年(1934年)にかけて、加藤寅之助ら10人の彫刻師が1面ずつ分担制作した。この羽目板の上方には十二支と天人、下方には千羽鶴が表され、高欄(縁)より下の部分には花鳥および亀を浮き彫りで表す。これらの彫刻を保護するため、内殿は建物ごとガラスの壁で覆われ、見学者用の通路を設け、「彫刻ギャラリー」と称して一般公開している(「彫刻ギャラリー」と大客殿、庭園の見学は有料)。

素晴らしい彫刻で、圧倒され、魅力に惹きこまれました。
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縁の下の龍の彫刻も迫力がありました。
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残念なのは、胴羽目板の法華経説話の浮き彫りに圧倒され、羽目板の上方の十二支と天人等ををちゃんと撮らなかったこと。
再訪を期します。

次回は、帝釈天境内からとします。


続き、柴又周辺散策(2)を読む


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

柴又ですか、何回か、行ったことがありますが、最後に行ってから随分、経っています。その上、行っても、参道、帝釈天、そして、江戸川までで、他は行ったことがありません。

帝釈天は本尊では無かったのですか! 知りませんでした。ううん、巣鴨のとげ抜き地蔵と似た感じですね。こちらは洗い観音が本尊みたく思われていますし。

帝釈天の彫刻、量がすごくて、圧倒的ですよね。帝釈天と言えば、昔はここの境内で、東京写真連盟主催のモデル撮影会がよく行われていて、私も偶然、その最中にお参りしたことがあります。

matsumo さん

コメントありがとうございます。
ほんとに、彫刻は圧倒的でした。内殿だけでなく、
二天門、鐘楼も彫刻がすごかったのには、驚きました。

モデル撮影会は、matsumoさんは熱心に
参加されていますよね。
それには、いつも感服しています。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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