柿本人麻呂 (かきのもと の ひとまろ)/日本の神々の話

20141124

大正元年に発行された「埼玉縣下 諸社祭神御事厯」という本に載っていて、柿本人麻呂は神なの? 
と思ったが、川越氷川神社掲内にわりと大きな柿本人麻呂神社があることを思いだした。
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直系の子孫である、綾部家が戦国時代に川越に移住してきたことから祀られるようになったようです。
学問・歌道の神様だけでなく、安産・火防の神様としても古くから信仰を集めているそうです。

以下はWikpediaによります。
斉明天皇6年(660年)頃 - 養老4年(720年)頃)、飛鳥時代の歌人。名は「人麿」とも表記される。後世、山部赤人とともに歌聖と呼ばれ、称えられている。また三十六歌仙の一人で、平安時代からは「人丸」と表記されることが多い。
柿本氏は、孝昭天皇後裔を称する春日氏の庶流に当たる。人麻呂の出自については、父を柿本大庭、兄を柿本猨(佐留)とする後世の文献がある。また、同文献では人麻呂の子に柿本蓑麿(母は依羅衣屋娘子)を挙げており、人麻呂以降子孫は石見国美乃郡司として土着、鎌倉時代以降益田氏を称して石見国人となったとされる。いずれにしても、同時代史料には拠るべきものがなく、確実なことは不明とみるほかない。
経歴:
彼の経歴は『続日本紀』等の史書にも書かれていないことから定かではなく、『万葉集』の詠歌とそれに附随する題詞・左注などが唯一の資料である。一般には天武天皇9年(680年)には出仕していたとみられ、天武朝から歌人としての活動をはじめ、持統朝に花開いたとみられることが多い。ただし、近江朝に仕えた宮女の死を悼む挽歌を詠んでいることから、近江朝にも出仕していたとする見解もある。
賀茂真淵によって草壁皇子に舎人として仕えたとされ、この見解は支持されることも多いが、決定的な根拠があるわけではない。複数の皇子・皇女(弓削皇子・舎人親王・新田部親王など)に歌を奉っているので、特定の皇子に仕えていたのではないだろうとも思われる。近時は宮廷歌人であったと目されることが多いが、宮廷歌人という職掌が持統朝にあったわけではなく、結局は不明というほかない。ただし、確実に年代の判明している人麻呂の歌は持統天皇の即位からその崩御にほぼ重なっており、この女帝の存在が人麻呂の活動の原動力であったとみるのは不当ではないと思われる。後世の俗書では、持統天皇の愛人であったとみるような曲解も現れてくるが、これはもとより創作の世界の話である。
『万葉集』巻2に讃岐で死人を嘆く歌が残り、また石見国は鴨山での辞世歌と、彼の死を哀悼する挽歌が残されているため、官人となって各地を転々とし最後に石見国で亡くなったとみられることも多いが、この辞世歌については、人麻呂が自身の死を演じた歌謡劇であるとの理解や、後人の仮託であるとの見解も有力である。また、文武天皇4年(700年)に薨去した明日香皇女への挽歌が残されていることからみて、草壁皇子の薨去後も都にとどまっていたことは間違いない。藤原京時代の後半や、平城京遷都後の確実な作品が残らないことから、平城京遷都前には死去したものと思われる。
歌風:
彼は『万葉集』第一の歌人といわれ、長歌19首・短歌75首が掲載されている。その歌風は枕詞、序詞、押韻などを駆使して格調高い歌風である。
また、「敷島の 大和の国は 言霊の 助くる国ぞ まさきくありこそ」という言霊信仰に関する歌も詠んでいる。長歌では複雑で多様な対句を用い、長歌の完成者とまで呼ばれるほどであった。また短歌では140種あまりの枕詞を使ったが、そのうち半数は人麻呂以前には見られないものである点が彼の独創性を表している。
人麻呂の歌は、讃歌と挽歌、そして恋歌に特徴がある。賛歌・挽歌については、「大君は 神にしませば」「神ながら 神さびせすと」「高照らす 日の皇子」のような天皇即神の表現などをもって高らかに賛美、事績を表現する。この天皇即神の表現については、『記紀』の歌謡などにもわずかながら例がないわけではないが、人麻呂の作に圧倒的に多く、この歌人こそが第一人者である。また人麻呂以降には急速に衰えていく表現で、天武朝から持統朝という律令国家制定期におけるエネルギーの生み出した、時代に規制される表現であるといえる。
恋歌に関しては、複数の女性への長歌を残しており、かつては多くの妻妾を抱えていたものと思われていたが(たとえば斎藤茂吉)、近時は恋物語を詠んだもので、人麻呂の実体験を歌にしたものではないとの理解が大勢である。ただし、人麻呂の恋歌的表現は共寝をはじめ非常に性的な表現が少なくなく、窪田空穂が人麻呂は夫婦生活というものを重視した人であるとの旨を述べている(『万葉集評釈』)のは、歌の内容が事実・虚構であることの有無を別にして、人麻呂の表現のありかたをとらえたものである。

柿本人麻呂像
宗像大社辺津宮内陣「三十六歌仙図扁額」のうちから。
奉納:福岡藩第三代藩主黒田光之
絵:狩野安信
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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

柿本人麿呂と言えば、藤村由加著「人麻呂の暗号」、梅原猛「水底の歌 -柿本人麿論」が有名ですね。と言っても、私はいずれも読んだことはありませんが、前者は「万葉集は朝鮮語で読み解ける」、後者は「柿本人麻呂は持統天皇により流罪に処せられ刑死した」と言う内容らしいので、中々、ユニークだと思っています。

三十六歌仙と言えば、先日、西本願寺の飛雲閣を見ました。ご存じの通り、あそこの外側の板絵に6歌仙が描かれていますので。

matsumo さん

コメントありがとうございます。
梅原猛「水底の歌 -柿本人麿論」は、私も読みたいと思っていて、
まだ読んでいません。
梅原猛氏の本は、どれも面白いので、期待しています。

飛雲閣は、まだ見ていないので、行きたいところの
一つです。
京都に行けなくなってしまいましたね。
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写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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