槁根津彦(さおねつひこ)・椎根津彦(しいねつひこ)/日本の神々の話

20141127

『古事記』では槁根津彦(さおねつひこ)、『日本書紀』では椎根津彦(しいねつひこ)、または珍彦(うずひこ)で登場する国つ神。神武東征において登場する。倭国造(倭直部)の祖。

『古事記』 「神武天皇-東遷の段」
(読み下し文)
神倭伊波礼毘古命(神武天皇)、そのいろ兄五瀬命と二柱、高千穂宮に坐して議りて云りたまはく、「何れの地に坐さば、平らけく天の下の政を聞しめさむ。なほ東に行かむと思ふ」とのりたまひて、即ち日向より発ちて筑紫に幸行でましき。かれ、豊国の宇沙(うさ)に到りましし時、その土人、名は字沙都比古・字沙都比売の二人、足一騰宮を作りて大御饗献りき。其地より遷移りまして、筑紫の岡田宮に一年坐しき。またその国より上がり幸でまして、阿岐国の多祁理宮に七年坐しき。またその国より遷り上り幸でまして、吉備の高島宮に八年坐しき。
 かれ、その国より上り幸でましし時、亀の甲に乗りて釣りしつつ打ち羽ふり来る人、速吸門に遇ひき。ここに喚びよせて、「汝は誰ぞ」と問ひたまへば、「僕は国つ神なり」と答へ曰しき。また「汝は海つ道を知れりや」と問ひたまへば、「よく知れり」と答へ曰しき。また「従ひて仕へ奉らむや」と間ひたまへば、「仕へ奉らむ」と答へ曰しき。かれここに、槁機(さを)をさし渡し、その御船に引き入れて、即ち名を賜ひて槁根津日子と号(なず)けたまひき。こは倭国造等の祖なり。
(以下略すが、この直後那賀須泥毘古(長脛彦)との闘いに苦戦し、兄の五瀬命が亡くなり、熊野に転進する。)

神武天皇が東征において速吸門で出会った国つ神で、船路の先導者となる。このとき、『書記』では天皇が勅で椎の棹を授けて、名を珍彦(うづひこ)から椎根津彦に改めさせたとあり、『古事記』では亀の甲羅の上に乗っていたのを、棹をさし渡し御船に引き入れて槁根津彦の名を賜ったという。

速吸門については諸説ある。『日本書紀』では豊予海峡を指すと考えられており、大分県大分市佐賀関には、椎根津彦を祀る椎根津彦神社がある。『古事記』では吉備国の児島湾口を指すと考えられる。岡山県岡山市東区水門町には、珍彦(宇豆毘古命、うづひこのみこと)の乗った大亀の化身とされる亀岩を祀る亀石神社(かめいわじんじゃ)がある。
また、椎根津彦命を祭神とする神社には、兵庫県神戸市東灘区本山町の保久良神社がある。保久良神社由緒書によると「社名の起因も、椎根津彦命の子孫たる倉人水守等が祖先を祭祀し奉る、三韓役の戦利武器を収蔵するより」とあり、神武東征時速吸之門(明石海峡)に現れて軍勢を先導したとある。

椎根津彦命は保久良神社の南に位置する神戸市東灘区の青木(おうぎ)の浜に青亀(おうぎ)の背にのってこの浜に漂着したという伝承があり、それが青木(おうぎ)の地名の由来となった。

吉井良隆は保久良神社について「椎根津彦命は大阪湾北側を支配する海部の首長であったとされ、西宮夷(兵庫県西宮市西宮神社)の奥夷社の元宮」と推測している。

『先代旧事本紀』には、天津日高日子穂穂手見命の孫とある。 同じく『先代旧事本紀』に、彦火火出見損尊の御子で、鵜葺草葺不合命の次の武位起命が、大和国造の祖とあるが、 武位起命の御子だろうか。

私事だが、私のカミさんの母親の家は神戸市東灘区の青木にあったので、その地が話に出てきてビックリした。第二次大戦で焼け出されカミさんの母親が嫁いだ富山県の家にカミさんの祖母が移ってきてそのまま。
私は結婚してから、一度連れていってもらったことがある。


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