稲村神社(延喜式内論社)/常陸太田市

20141209

所在地:茨城県常陸太田市天神林町3228

この記事も写真は池田さん撮影です。
11月28日の関八州式内社めぐりの行事で、「静神社」に続き訪れたのが「稲村神社」です。
この記事を書いた後、幹事さんから前総代さんからいただいた資料のコピーの配布がありました。貴重な情報がありましたので、靑字で追記しておきます。(12月11日)

社号標
式内社論社で、旧社格は郷社。
旧名の「郷社」の文字は埋められています。
141209ine01.jpg


説明板
141209ine02.jpg


創建:
『国造本紀』(『先代旧事本紀』第10巻)久自国造条には、成務天皇の御世に物部直の祖である伊香色雄命の三世孫・船瀬足尼命が初代久自国造に任命されたという記載がある。社伝では、この任命の際に船瀬足尼命が大祖・饒速日命を祀ったといい、「天神」とも、また7面の神鏡が祀られていたので「七代天神」とも称したという。また、日本武尊が東征の際、この地に天神七代の霊を祀ったともいう。
当地周辺は久自国造の本拠地と見られ、当社の南西にはその関係性が指摘される梵天山古墳群が残っている。古墳群の主墳・梵天山古墳は茨城県第2位の大きさを誇る前方後円墳で、船瀬足尼命の墓と伝えられている。
国史では『続日本後紀』嘉祥2年(849年)に「稲村神」が官社に預かったという記事が見え、水旱に霊験を表したと記される。その後、「稲村神」には神階が従五位上まで昇叙された。『延喜式神名帳』には「常陸国久慈郡 稲村神社」と記載され、式内社に列している。ただし、これらの「稲村神」には他の論社もある。
『新編常陸国誌』によると、元禄4年(1691年)徳川光圀が天神林村を通った際、天神七社の所在を質し、当時「七代天神」と称していた7塚を巡見した。そしてこれらを1社とするよう諭したので、元禄6年(1693年)に現在地に社殿を造営して合祀したという。また、光圀は鳥居に「七代天神宮」の扁額をかけさせ、神器を奉納した。江戸時代には社領として6石5斗余、除地として9石9斗3升を有した。
明治に入って式内社・稲村神社に比定され、「七代天神宮」から社名を改めた。また近代社格制度では郷社に列した。

 古墳時代の中期(5世紀)に東国は、物部氏を中心とする大和政権の遠征軍によって征服され、稲村神社の祭神は久慈国造に物部連の祖伊香色雄命三世の孫、船瀬足尼が任命された時、物部氏の祖先神である餞速日尊(にぎはやひのみこと)と、皇室の祖先神である国常立尊(くにのとこたちみこと)以下11神を祀っている。
 これらの神は、いずれも天神なので、神社は古くから天神社と呼ばれ、物部氏族二十五部の中に狭竹物部があり、居住によって佐竹郷の起原となり、後に久慈郡佐竹郷と呼ばれる行政区域となり、天神林は天神社と共に稲木と合わせて佐竹郷稲木村となった。
 平安時代になると天神社は、村の名をとって稲木神社と呼ばれたらしいが、神社名は「稲材神社」と書かれた様であり、字数が似ているので稲村神社と書かれるようになり(新編常陸国誌)、中央政府(平安朝)にも伝えられたと言われている。


「稲材いなき」は「高材比売(たかきひめ)」と同じく「材き」の用例であり、木と材の用例の違いを調べたいと思っている。

 稲村神社の盛衰
 天承元年(1131)、源新羅三郎義光の孫昌義が久慈郡佐竹郷稲木村(現天神林町)に土着し、観音寺(現佐竹寺)に入り2年後の長承2年(1133)、馬坂(現天神林町字間坂)に館を築き、郷名をとり佐竹氏を称し、鎌倉から八幡社を歓請すると、稲村神社の信仰は衰え、後に一族の稲木氏、天神林氏が馬坂城に入ったが、稲村神社への信仰は戻らなかった。
 慶長7年(1602)、佐竹氏秋田へ移封後徳川氏の支配下となるが、天神林の鎮守は八幡宮であり、稲村神社の復活は無かった。
 寛文3年(1663)、水戸藩2代藩主徳川光圀は、領内の鎮守・寺院・山伏等を調査して開基帳を作成し、寺社改革を開始し八幡潰しを断行し、天神林の鎮守八幡社は潰され、稲村神社が天神林の鎮守とされた。
 元禄4年(1694)、隠居した光圀公は、七代天神(天神七塚とも言う)を稲村神社に合祀したと言う。


参道
141209ine03.jpg


参道入り口には市指定の大欅がある。
141209ine04.jpg


前総代さんが案内説明をしてくださった。

一の鳥居
141209ine05.jpg


参道の紅葉が素晴らしかった。
141209ine06.jpg


141209ine07.jpg


二の鳥居付近は工事中だった。
階段上に神門があります。
141209ine08.jpg


手水舎
141209ine09.jpg


神門をくぐって社殿前広場に出ると、左側にズラッと石祠が並んでいる。
141209ine10.jpg


拝殿前の参道
141209ine11.jpg


狛犬
141209ine12.jpg


141209ine13.jpg


拝殿
141209ine14.jpg


本殿
141209ine15.jpg


141209ine16.jpg


御祭神は饒速日尊
配祀は神世七代の神々ということで、國常立尊、國狹槌尊、豊斟渟尊、泥土煮尊、沙土煮尊、大戸之道尊、大苫邊尊、面足尊、惶根尊、伊弉諾尊、伊弉册尊となります。

七代天神の言われ(伝承)
12代景行天皇の皇子日本武尊は、東国の蝦夷征伐で此の地を通り掛かった時に、暗雲がたちこめ行く手の山坂に妖気が漂っていた。
その妖気を取り除き勝機を得ようと七代天神を七ヶ所の地に祀り、景行天皇40年(110)に七ヶ所の嗣に神宝を奉宣したと言う。
 日本武尊は、東国鎮定の帰途近江息吹山の神を征そうとして病になり、伊勢の能褒野の地で没したと言われている。
七代天神とは・‥・‥独化神(一柱の神)三代と偶生神(夫婦二柱の神)四代を言う
独化神三代
1・一代 国常立命(くにのとこたちのみこと):天神山(天神森とも言い稲村神社が鎮座している所)
2・二代 国狭槌命(くにのさつちのみこと):馬坂城内(西城物見跡の円墳上)
3・三代 豊魁渟命(とよくむぬのみこと):小芝原(現佐竹寺後(押葉平)南側台地)
偶生神四代
4・-代 泥土煮命・沙土煮命(ういじのにみこと・すいじにのみこと):権現山(馬坂城本郭跡谷を隔てた北側‥熊野神社と相並ぶ)
5・二代 大戸道命・大苫辺命(おおとのじみこと・おおとまべのみこと):井の手浮橋山(天神林町字猪手尾根南側)
6・三代 面足命・憧根命(おもだるのみこと かしこねみこと):富士山(佐竹南台団地入口道路北側の山‥富士権現と相並ぶ)
7・四代 伊弊諾命・伊弊冊命(いざなぎみこと・いざなみみこと):厳戸山(馬坂城址西側尾根の突端部‥別名石堂山)


祭神の「饒速日尊」という神は複雑な神です。
詳しくは、別に記載している「日本の神々」で集まった話を一挙にアップするつもりですが、けっこうあります。
ここでは簡単に書いておきます。
『日本書紀』などの記述によれば、神武東征に先立ち、アマテラスから十種の神宝を授かり天磐船に乗って河内国(大阪府交野市)の河上の地に天降り、その後大和国(奈良県)に移ったとされている。これらは、ニニギの天孫降臨説話とは別系統の説話と考えられる。また、有力な氏族、特に祭祀を司どる物部氏の祖神とされていること、神武天皇より先に大和に鎮座していることが神話に明記されていることなど、ニギハヤヒの存在には多くの重要な問題が含まれている。大和地方に神武天皇の前に出雲系の王権が存在したことを示すとする説や、大和地方に存在した何らかの勢力と物部氏に結びつきがあったとする説などもある。

私が今読んでいる本によると、先に大和に居ついた種族が、吉備地方からの、そして出雲地方からの種族を受け入れて鉄などの技術を基に強力な覇権を手に入れた。
すると吉備や出雲の地方が本家面をするのが疎ましくなり、吉備系とか出雲系という事実(伝説、神話)を抹殺していってしまう。
「饒速日尊」もそういった口で、記紀を編纂した大和朝廷により抹殺された神のようである。
当初強力だった物部氏が滅亡していったこととも関連がある。

神紋は「三つ葉葵」。徳川光圀が作り上げた神社だからでしょう。
他のサイトを見ると、拝殿の棟の神紋がはっきりとしているが、今回訪ねた時にはかなり錆ていてよくわからない。
辛うじて拝殿前の水盤の紋がはっきりしていた。
141209ine17.jpg


神楽殿
141209ine18.jpg


境内社
旧鎮守の八幡社を潰された村人は、稲村神社の境内に末社として八幡社を建立し、新鎮守と同じく崇拝したという。年3回の鎮守の祭りのうち、8月の祭りとしたと言う。
(現在稲村神社拝殿の右側の大きい木材の社が八幡神社と云われている)。

141209ine19.jpg


「御岩神社」碑
141209ine20.jpg


境内社の石祠が並びます。一つひとつの社が何であるかはわかりませんが、前総代さんからの資料には内訳が載せられていました。
境内社:
八幡神社(誉田別命)、素鷲神社(素蓋鳴命)、稲荷神社(豊宇気比売命)、富士神社(木花咲耶姫命)、羽黒神社(大山砥命)、秋葉神社(火遇槌命)、大杉神社(猿田彦命)、加波山神社(伊弊諾尊、伊弊冊尊)、天満宮(菅原道真)、雷神社(別雷命)、金比羅神社(金山命)、春日神社(天児屋根命、姫大神)、鷺森神社(月読命、大巳貴命、少彦名命)、御岩神社(明治27年旧7月、天津講中)

141209ine21.jpg


141209ine22.jpg


傍に旧宮司邸の廃屋がありました。
141209ine23.jpg


141209ine24.jpg


これで、ここの参拝は終了。続いて「天志良波神社」に向かいました。


歴史クラブ行事一覧に飛ぶ



スポンサーサイト

コメント

非公開コメント
プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード

Pagetop