中臣烏財津使主 (なかとみのいかつおみ) /日本の神々の話

20141214

滋賀県長浜市木之本町の「伊香具神社」に参拝し、祭神の伊香津臣命に着いて調べると、「近江国風土記逸文」に、「中臣烏賊津使主」とも書くとあるので、その情報を追加しておく。
伊香津臣命の記事は下記にあり。

その記事を読む

以下は、当初の記事。
この神は「日本の神様読み解き事典」に載っている神。
 第十四代仲哀天皇が筑紫の橿日宮に崩じられたとき、神功皇后から、四大夫として宮中を守るよう命じられた一人。また、新羅を征伐せよとの、神功皇后への神託を神に問うため審神者(さにわ)となったという。
「続日本紀」によれば,中臣氏の祖先とされる。
また、第十九代允恭(いんぎょう)天皇の舎人で、近江国坂田より衣通姫(日本三大美人の一人)を迎えるために遣わされ、隠し持っていた糒(ほしい)で命を繋ぎながらも、七日後にようやく使命を果たしたという人物。

前半の、四大夫とか審神者という話は置いといて、後半の衣通姫についてここで取り上げておきたい。
記紀ともに衣通姫は、衣を通して美しい膚の色がすけて光りはえているところからつけた名という、なにしろ日本において文献に現れた最初の美人なのである。
日本三大美人の一人と讃えられている。

問題は同名の美人がふたり居ることになってしまっていることだ。
日本書紀においては、実の姉たる皇后と允恭(いんぎょう)天皇の寵を競っている。
古事記では允恭(いんぎょう)天皇の娘で、同母兄と禁断の恋に死すのである。

今回ここでは、主役の「中臣烏財津使主」が古事記には登場しないので、古事記のほうを簡単に先に述べて置く。
<古事記> 允恭(いんぎょう)天皇の世
子に木梨之軽王(きなしのかるのみこ)と軽大郎女(かるのおおいらつめ)亦の名を衣通郎女(そとほりのいらつめ)がいた。
允恭天皇が崩御された時、木梨之軽王は皇位を継ぐことに決まっていたが、同母妹の軽大郎女(衣通郎女)と密通していたため、人心は別の皇子・穴穂王(あなほのみこ、これも同母である)に傾いたため、これと争い負けて、軽大郎女と心中してしまう。
二人の話には、恋を歌い上げる歌がちりばめられていて、とても美しい話になっている。
そのため、衣通郎女は和歌の神様とされている。

「中臣烏財津使主」が登場する日本書紀のほうを以下に載せる。

<日本書紀の巻十三> 允恭(いんぎょう)天皇の世
【書下し文】
七年冬師走壬戌朔、新室に宴す。天皇親しく琴を撫し、皇后起ちて舞ふ。舞、既に終れども礼事(ゐやのこと)申さず。当時の風俗、宴会にて舞ふ者、舞終りて則ち座の長に自ら対して曰く「娘子を奉る」と。時に天皇、皇后に謂うて曰く「何ぞ常礼を失するや」と。皇后惶れてまた起ちて舞ふ。舞竟(おは)りて言ふ「娘子奉る」と。天皇ただちに皇后に問ふて曰く「奉るところの娘子は誰ぞ、姓字を知らんと欲す」と。已むことえざると、皇后奏して言ふ「妾が妹、名は弟姫」と。弟姫、容姿絶妙にして無比、その艶色衣を徹して晃れり。ここを以て時の人、号して衣通郎姫となす。天皇の志は衣通郎姫に存するが故、強いて皇后に進めさせしむ。皇后これを知りて、たやすく礼事を言わざりき。ここに天皇歓喜して、則ち明る日、使者を遣わして弟姫を喚す。
時に弟姫、母に随って近江坂田に在り。弟姫、皇后の情を畏みて参向せず。又重ねて七たび喚す、なほ固辞して以て至らず。天皇悅ばず、また一の舍人中臣烏賦津使主(なかとみのいかつおみ)に勅して曰く「皇后進むる所の娘子、弟姬。喚(よ)べども来ず。汝自ら之に往きて、弟姫を以て召しゆきて来よ。必ず敦く賞せん」と。ここに烏賦津使主、命を承って退き、糒(ほしい)を裀(みごろ)うちに包んで坂田に到る。弟姫の庭中に伏して言ふ「天皇これを召すことを以て命ず」と。弟姫対へて曰く「豈(あに)天皇の命を懼(おそ)れざらんことあらんや。ただ皇后の志を傷むるを欲せざるのみ。妾が身を亡くせしと雖(いえど)も、参り赴かず」と。
時に烏賊津使主、対へて言ふ「臣、既に必ず召し率て来よとの、天皇の命を被る。若し将来せざれば、必ずこれを罪する、とも。故に返りて極刑を被るより、寧ろ庭に伏して死なんのみ」と。よりて庭中に伏して七日を経、飲食与ふれど食はず、密かに懐中の糒を食ふ。ここに於て弟姫、以爲(おも)へらく、妾、皇后の嫉に因て、既に天皇の命を拒む、かつ君の忠臣を亡くすは、これまた妾が罪なり。則ち烏賊津使主に従ひて来る。倭の春日に到りて、檪井(いちひゐ)の上にて食とす。弟姫、親しく酒を使主に賜ひ、その意を慰む。使主、弟姫を倭直吾子籠(やまとのあたひわごこ)の家に留め、即日京に至って天皇に復命す。天皇、大いに歓びて、烏賊津使主を美(ほ)め、敦く寵(めぐ)む。

(現代語文)
允恭天皇七年の冬十一月、天皇より新宮造成の賜宴があった。皇后である忍坂大中姫が起って舞われたが、終わってからお礼のご挨拶をなさらなかった。当時の習俗では舞い人は舞い終えてのち、宴を賜ったお礼の挨拶として「をみなごを奉ります」と申し上げることになっていたので、帝は「(挨拶を申し上げる)つねの礼を失するはなぜか?」と質された。そこで后は再度起って舞われ、終えてから「をみなごを奉ります」と奏上した。すると重ねて、「奉りますというのなら、をみなの名はなんと言うのか?」とのお訊ね。唇をかんで押し黙られた后は、再三の督促にやむをえず声を絞って、「奉るをみなは私の妹です、名は乙姫と申します」と答えられた。

この乙姫は顔かたちにからだつきなど容色きわまって世に比べるものとてなく、そのからだのあまりの麗しさは衣を透かして光り輝いて眩しいほどであったので、世の人々は衣(そ)通しの姫様と称えていたのであった。帝はその話をお聞きになって以来、この姫にご執心となられ、なんとか手に入れたいものと思われていたから、后を策略にはめてもと心はやられたのである。それを后も承知されていらっしゃったからこそ、舞われた後もお礼のご挨拶を言上されなかったのだったが…。帝は「やった!」と勇躍する思いで、翌早朝にはお召しの使いを発せられた。

このとき乙姫は母とともに近江国坂田郡にいたが、后である姉の気持ちを思って参内しなかった。帝は繰り返し使いを遣わされて七度びに及んだが、それでも姫は固辞して召しに応じない。帝は怏々として悦ばれない。身の回りに近侍する舎人の中臣烏賦津使主(なかとみのいかつおみ)を呼んで、「后から進上された乙姫というをみなご、いくら呼んでも来ない。お前が行って、乙姫を召しつれて来てくれ。褒美は重畳だぞ」と、お命じになった。烏賦津使主は承って御前を退き、干し飯を着物のみごろの中に包んで坂田に行った。乙姫の邸の庭に入って、ひたすら平伏して待つ。乙姫が訊ねると、伏したままで「おおみことによって、姫様を召されることを命ぜられました」と申し上げる。「わらわが勅命を畏まらないことがありましょうか。ただ、お后様の御心を傷つけたくはないことだけが願いなのです。わらわの身罷ろうとも、後宮に上ることはありえません」と、姫はすがるように答えた。

烏賊津使主は面をあげて姫を見つめ、「臣はすでに“必ず召し連れて来よ”の勅命を蒙っています。もしご同道いただけなければ、必ずお仕置きに遭うでありましょう。返って死を賜るよりは、いっそこの庭に伏したまま死にましょう」と申し上げたのだった。使主は庭に伏したままで七日を数えた。邸から飲食物を供与するが、いっこうに手を付けない。実は着物に隠し持った干し飯を食べていたのである。だが、乙姫の心は揺れた。わらわはお妃の嫉みを思って、すでに御召の御諚に背いている。これで帝の近臣を死なすこととなれば、また罪を重ねることとなる。それは耐え難い、と思ったのである。ついに烏賊津使主に伴われて出立した。大和の春日に行き、檪井(いちひゐ)のほとりで食事を摂った。乙姫はもう、使主に親しく酒を賜い労苦を慰謝するようになった。使主は、弟姫を倭直吾子籠(やまとのあたひわごこ)の家に留めて、そのまま朝に上って帝に首尾を報告した。天皇は大いに歓んで、烏賊津使主を嘉賞し厚遇したのだった。

和歌三神とは和歌を守護する3柱の神のことで、普通には、住吉明神・玉津島明神・柿本人麻呂。その他、衣通姫(そとおりひめ)・柿本人麻呂・山部赤人とするなど諸説があるそうです。
この絵は、住吉明神、柿本人麻呂、玉津島明神(衣通姫)と推察される。
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錦絵 鳥文斎栄之《略三幅対 女三之宮 衣通姫 小野小町》
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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

衣通姫の話、古事記の方の話は読んだことがありますが、日本書記の方の話は初めて知りました。今、「戦国美女は幸せだったか」と言う本を読んでいますが、そこに「日本には中国や朝鮮半島にみられた族外婚規制、氏族内部の男女の婚姻をタブーとする厳格さが古来より無かった、父系にせよ、母系にしても、あるいは、兄妹や従兄妹同士、叔父に姪、叔母と甥と言った結婚も、決して少なくなかった。近親婚のルーズなサマは、古代中世日本の一つの特徴と言える」と書かれています。兄妹でも母親が異なっていれば問題なかったので、信長とお市との話なんて言うのも残っていますね。

そう言えば、源氏物語でも「頭中将/内大臣」は娘を弘徽殿女御にしているのに、更に、娘の玉鬘を更に入内させよとしていますよね。

matsumo さん

コメントありがとうございます。
近親婚がルーズであったのか、どうだったかは、
私には記憶が無いほど、そういうことを考えることは
無かったですね。
若いころ、姉が欲しいと思っていたのは、
あれは何だったのでしょうか(笑)
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Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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