狭山市の新編武蔵風土記稿を訪ねる/旧澤村・田中村・峰村(2)

20141216

12月9日に実施した「新編武蔵風土記稿を訪ねる」の続編です。
旧澤村から歩いてきて、西武線の踏切を渡ると旧田中村に入ります。

<旧田中村>

「新編武蔵風土記稿」
141216tanaka01.jpg


ここは、右側が須釜電機(ケーブルテレビ)の三叉路です。
141216tanaka02.jpg


明治14年測量の「フランス式測量地図」で③のところ。
141216tanaka03.jpg


昭和28年の地図で「3」のところ。
141216tanaka04.jpg


現在の地図で③のところ。
141216tanaka05.jpg


ここにあった、「みちしるべ」が後述の田中共同墓地入り口にあります。

【安穏寺跡】
「新編武蔵風土記稿」
141216tanaka06.jpg


澤村に領地を賜った小笠原安勝が陣地を置いたと伝わる。
明治になり廃寺となったが、先述の昭和28年の地図には載っている。
(天岑寺入り口に八角堂が建てられ、安穏寺という名前が出ている。聞けば天岑寺住職の次男が再興したとのこと。)

旧安穏寺の北限。右側は「狭山東京線」、交差点は国道16号線。
141216tanaka07.jpg


旧安穏寺の印の塔
141216tanaka08.jpg


「清水濱臣の墓」と一緒に旧安穏寺住職の卵塔が並んでいる。
141216tanaka09.jpg


ついでに「清水濱臣の墓」を。
141216tanaka10.jpg


この道が、旧安穏寺の参道。
141216tanaka11.jpg


【田中の稲荷神社】
141216tanaka12.jpg


 小笠原家の奉納と思われ、安穏寺の守護神として建立されたと推定される。
本殿:本殿の中に厨子があり稲穂をかついで手に鎌を持つ老翁の立像が神像として伝わっている。
瑞光寺の僧が奉納。
この神像を、まだ見たことがない。
141216tanaka13.jpg


141216tanaka14.jpg


本殿正面の扉は小笠原家の副紋「五七桐」。
141216tanaka15.jpg


覆殿:屋根の棟に小笠原家の家紋である三階菱紋がある。
141216tanaka16.jpg


梁上の暮股に、切り抜きで「寛延庚午」とあり、寛延3年(1750)の建立と思われる。荻野高次郎義勝の作。

田中稲荷神社の境内社:
○塩竃社
昭和13年5月21日建立。安産祈願にご利益があると伝わる。
141216tanaka17.jpg


141216tanaka18.jpg


○牛頭天王社
141216tanaka19.jpg


○富士浅間宮(石碑)
神社の裏側に小高く土盛りがしてあり、段を登ると頂上に石碑が建っている。
141216tanaka20.jpg


田中村の人たちが、天下泰平を祈って、村中の助力で富士山が見える場所に富士塚をつくり信仰し
ていたと思える。
現在もよく晴れた日には塚の前方、(市民会館の屋根ごしに)はるか遠くに霊峰富士山がよく見える。

横の道に降りて、登ってみた。
141216tanaka21.jpg


途中「小御嶽神社」の碑がある。
「小御嶽大権現 石尊 小天狗 大天狗」と彫ってある。
141216tanaka22.jpg


141216tanaka23.jpg


つづれ折れの参道を登ると、頂上に「富士浅間宮」の碑。
141216tanaka24.jpg


141216tanaka25.jpg


【田中共同墓地】
入り口に、道しるべのついた観音碑がある。
この記事の最初の三叉路に立っていた道しるべである。
左右に貞享元年甲子(1684)造立、道師瑞光寺○○と彫られている。
右側に「しんがし」、左側に「かわごへ」とある。
141216tanaka26.jpg


141216tanaka27.jpg


共同墓地入り口の広場は、昔阿弥陀堂があった場所である。
141216tanaka28.jpg


○宝篋印塔
141216tanaka29.jpg


先生役の池田さんは、歴史講座研究コースの時のテーマが市内宝篋印塔であり、ここの宝篋印塔についても詳細な説明資料が配布された。
ここでは、特徴を簡単に述べておく。

・正面を北西に向ける。 台石を含めると、四メートル近く有る狭山市域屈指の宝筐印塔である。
・江戸時代中期以降の塔に共通の、隅飾りが大きく外に開く特徴を持つ。
・江戸時代に関東で造立された宝筐印塔の全ての要素を今に保持している塔。

種子シツチリアと掲頌(基礎正面)
141216tanaka30.jpg


荘厳体のシツチリアは、狭山市内では柏原円光寺境内の宝筐印塔(明智ハ年1766)にも見られるが、数が少ない。
掲頌は大日経(空海が久米寺の東塔で発見し、入唐を決意させた経典と伝わる)の-部で、「自己に目覚めるということは、 あるがままの自分の心を知ることである」という意味がある。

右側面の掲頒と左側面の掲頒
141216tanaka31.jpg


141216tanaka32.jpg


右側面の掲頒は、「一切如来心秘密全身舎利葺筐印陀羅尼経」の「功徳芦の「閑地獄之門」という節に有ることが判った。
左側面の「=口道」で終わる掲頒は、廻向文と呼ばれるもので、浄土門以外の諸宗が用いるとされている。

入間川村の枝村、田中の人々が、天下泰平、日月清明、国家安穏、万民豊餃(と盛り沢山)を願い、惣村の力をかけて江戸時代後期の安永十年に造立したもの。
141216tanaka33.jpg


赤間川支流に沿って歩いていきます。
141216tanaka34.jpg


【清水下公園】
清水がわいている。
141216tanaka35.jpg


141216tanaka36.jpg


この湧水池から観音様が出て、今は瑞光寺の観音堂の観音様の胎内仏になっているそうだ。

それで、この坂を「観音坂」という。
141216tanaka37.jpg


もうちょっと赤間川の支流沿いに歩いてから、「醤油屋坂」を上がります。
途中の家に、屋根からニョキツと突き出た木が(笑)
141216tanaka38.jpg


【旧東西寺跡】
旧東西寺の跡です。
141216tanaka39.jpg


新編武蔵風土記
141216tanaka40.jpg


下図で、ギザギザがあり峰側に出っ張っている、「7」のところ。
141216tanaka41.jpg


天岑寺末
第9世衛(道)一如月(明和6年〈1769〉 寂)が宝暦年間(1751~64)に開山。
・中島家 本家と分家の争い⇒分家が開基と言われている
・住職の金隆が不身持⇒明治4年10月頃より廃寺
・天岑寺住職現瑞が天琴寺との合併願いを明治5年(1872)に出している。

入間県への願書写しが残っている。
141216tanaka42.jpg


141216tanaka43.jpg


墓地入り口
141216tanaka44.jpg


墓地に旧東西寺の住職の卵塔が並んでいる。
141216tanaka45.jpg


141216tanaka46.jpg


この墓地にあるのが「亀に乗る石碑」です。
○亀に乗る石碑
141216tanaka47.jpg


上野石碑には2300文字で、指月和尚の「行業記碑」が書かれているが、これについてはここでは説明を省略しておく。

問題は亀の姿をした台座です。
141216tanaka48.jpg


141216tanaka49.jpg


これは亀扶(きふ)といい、一般的な判断として長寿のシンボルとされる亀の甲羅に石碑を乗せることでその永続を願ったものと考えられます。
この亀のような生物は「贔屓」といいます。
贔屓(ひいき)は、中国における伝説上の生物。中国の伝説によると、贔屓は龍が生んだ9頭の神獣・竜生九子のひとつで、その姿は亀に似ている。重きを負うことを好むといわれ、そのため古来石柱や石碑の土台の装飾に用いられることが多かった。
日本の諺「贔屓の引き倒し」とは、まさにこの姿を見れば一目瞭然。「土台である贔屓を引っぱると石柱が倒れるからに他ならない。

<旧峰村>

【東峰霊園】
ここには、薬師堂と岩船地蔵堂が並んでいる。
141216tanaka50.jpg


薬師堂
もともとは、霊園の中にあった。(新しいお墓ができているところ)
141216tanaka51.jpg


岩船地蔵堂
141216tanaka52.jpg


岩船地蔵信仰は、享保4年(1719)に流行した。
141216tanaka53.jpg


各地の岩船地蔵造立のデータ。
川越市、桶川市に見られないのは、川越藩で取り締まったから。
この辺は旗本の不在領主だったから、取り締まりが無かった。
141216tanaka54.jpg


峰の愛宕神社のすぐ近くのお店。
「峰」を強調してますね(笑)
141216tanaka55.jpg


【峰の愛宕神社】
141216tanaka56.jpg


141216tanaka57.jpg


141216tanaka58.jpg


141216tanaka59.jpg


本殿
141216tanaka60.jpg


棟の部分に宝暦7年(1757)の年号が書かれている。
141216tanaka61.jpg


合祀の牛頭天王社
141216tanaka62.jpg


境内社・蚕影神社
141216tanaka63.jpg


一応、これで今回計画した史跡は全て終了。
帰り道は、先ほどの「醤油屋坂」から「旧東西寺跡」の前を通る道の延長を歩いた。

黒い屋根の家二つの間を、「醤油屋坂」からの道が来ている。
西武線に阻まれ、今はガードのあるところを迂回して、ここに来る。
141216tanaka64.jpg


行く手には、「武蔵野学院狭山の森」が道の右側にある。
141216tanaka65.jpg


道路わきに「木賊」が大量に生えていて吃驚した。
141216tanaka66.jpg


森の中に入り、気持ち良し。
141216tanaka67.jpg


「武蔵野学院自然観察園」の横を通ります。
141216tanaka68.jpg


坂を上りきって、東中の横から、ベルク駐車場に出て、解散。
お疲れ様でした。

(了)


歴史クラブ行事一覧に飛ぶ



スポンサーサイト

コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

田中稲荷神社の境内には富士塚があるのですか。その上、頂上から富士山が見えるとは!! 今の都区内の富士塚からは富士山が見える所はないと思います。それにしても、講碑が無いところをみると、講はできていなかったが、村人あるいは稲荷神社を信仰している人達が作ったのでしょうね。

matsumo さん

コメントありがとうございます。
そうですね。
私も注意して探しましたが、講碑は在りませんでした。
講じゃない人でも、富士を拝みたい気持ちは
皆あったんでしょうね。
非公開コメント
プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード

Pagetop