薩都(さと)神社(延喜式内社)/茨城県常陸太田市

20141223

所在地:茨城県常陸太田市里野宮町1052

11月28日の「関八州式内社めぐり」で「天志良波神社」、「西山の里」に続いて参拝しました。

今回も写真は池田さんが撮ってきてくれたものを使用しています。

社号標
「郷社」と共に「式内」も埋められています。
式内社 常陸國久慈郡 薩都神社、旧郷社
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まず、『常陸国風土記』より
此より北に薩都の里あり。古、國栖(くず)あり。名を土雲(つちぐも)といふ。ここに、兎上命(うなかみのみこと)、兵を發して誅ひ滅しき。時に、能く殺して、「福(さち)なるかも」と言へりき。因りて佐都(さつ)と名づく。北の山に有らゆる白土は、畫に塗るべし。

東の大き山を、賀毘禮の高峯と謂ふ。即ち天つ神有す。名を立速男命と稱ふ。一名を速経和気命なり。
本、天より降りて、即ち松澤の松の樹の八俣の上に坐しき。神の祟、甚だ厳しく、人あり、向きて大小便を行る時は、災を示し、疾苦を到さしめければ、近く側に居む人、毎に甚く辛苦みて、状を具べて朝に請ひましき。
片岡の大連を遣はして、敬ひ祭らしむるに、祈みてまをししく、「今、此處に坐せば、百姓近く家して、朝夕に穢臭はし。理、坐すべからず。
宜、避り移りて、高山の浄き境に鎮まりますべし」とまをしき。是に、神、祷告を聴きて、遂に賀毘禮の峯に登りましき。其の社は、石を以ちて垣と為し・・・
(以上『常陸国風土記』)

古事記では、吉野近辺の山奥の岩屋に、尾が生えている「国巣」と「土雲」が出てきます。「国巣」は朝廷に従い、「土雲」は反抗して討たれますが、両者は同族と思われます。
ここでは國栖を「従わない者」の意味に使い、族名を「土雲」としていますね。
「土雲」を土蜘蛛とも記述されますが、舞台は九州ですね。

立連日男命は、松沢(現在の瑞竜町)の松の木に降臨されたが、そのあたりは人家に近く、不浄であったため、神は村人に厳しく崇り、一方里人はその厳しい崇りを畏れ、延暦7年(788)に社を建てて祀った。
朝廷は片岡の大連を派遣し、高い山の清浄なところに移るよう奏上したところ、神はその願いをお聞き入れになり、延暦19年(800)、賀毘礼(かびれ)の峰(現在の日立市入四間町)にお移りになった。
しかし、賀毘礼の峰は険しく、参拝するのが困難なため、大同元年(806)に、現在の鎮座地の近くに遷座された。永正年間(1500年ごろ)以降、里川沿岸の佐都郷給33か村の総鎮守として広く信仰され、大永2年(1522)に現在地に移された。(社伝)延書式内常陸国28社の一つ、久慈都7座のうちのこの宮と称えられ、明治6年郷社に列格された。昭和27年6月14日、宗教法人設立。


立派な松があります。祭神の降臨も松の木ですからね。
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神橋
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参道
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情報では一の鳥居は震災で倒壊し、この両部鳥居は本来二の鳥居とのこと。
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境内
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神楽殿
此方の神楽殿は社殿と同じ頃の造営とされています。
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狛犬
嘉永6年(1853)生まれの人が、90歳記念に昭和17年に奉納したもの。
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拝殿は元文二年(1737)の建築の入母屋造。
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神紋は「右三つ巴」
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社額
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拝殿内部
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幣殿
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三十六歌仙、計42枚あり明治時代に氏子から奉納されたと思われる。
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「これは三十六歌仙なのかな?」という声あり。
奉納者の名前だけがはっきりしているせいもある。

写真を拡大してみた。ほとんどははっきりしないが、かろうじて読み取れるものあり、やはり三十六歌仙だった。

藤原敏行
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柿本人麻呂
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本殿は宝永二年(1705)建築の入母屋流造。
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木鼻や頭貫の彫刻が見事
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祭神は立連日男命(たちはやひをのみこと)(別名速経和気命 はやふわけのみこと))
御岩山中の、<薩都神社>について、『常陸国風土記』久慈郡の条に記された「賀毘礼の高峰」(現在の御岩山)に坐す神は、立連日命(タチハヤヒノミコト)といい、雷神の性格があるとみられている。
この山の神をまつる里宮が延書式内社の「薩都神社」(常陸太田市星野宮町)である。御岩山中の<薩都神社>は山宮にあたるわけである。その関係は、春の稲作が始まるころに田の神(祖霊・雷神)として里へ降り、稲作が終わった後に山に昇るという農耕儀礼を意味する。

境内社はほとんどが、どれがどれか不明ですが、多賀神社、息栖神社、富士神社、雷神社、春日神社、鷺森神社、愛宕神社、稲荷神社、八雷神社、鹿島神社、香取神社、素鵞神社という情報です。

鹿嶋神社
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香取神社
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愛宕神社
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稲荷神社
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以下不明です。
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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

三十六歌仙図と言えば、西本願寺・飛雲閣の板絵が有名ですが、自分の和歌作成がうまくなるのを祈って、神社に三十六歌仙図の額を奉納するのが流行ったようですね。多分、薩都神社のもそうなのではと思います。

matsumo さん

私は、今年東京で開催された「宗像大社展」で、
黒田家第三代藩主が宗像神社に奉納した三十六歌仙額を
全部見ました。
あれは圧巻でしたね。
今回のは、氏子の皆さんがそれぞれ奉納したものなので、
これはこれで大変立派だと思います。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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