泉神社(天速玉姫命神社 延喜式内論社)/茨城県日立市

20141225

所在地:茨城県日立市水木町2-22-1

11月28日の「関八州式内社めぐり」で「長幡部神社」に続き、最後の参拝社です。
今回は池田さんと井上さんが撮って来てくれた写真を使用しています。

まず注意を曳いたのは、参道わきにあった明治三十九年建立の日露戦争出征軍馬記念碑です。
珍しい。
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社号標
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式内社 常陸國久慈郡 天速玉姫命神社、旧郷社

日立市水木町に所在し、日立地方で最も古い神社と云われている。
こんもりと生い茂った常緑樹に囲まれた区域を「泉が森」と呼び、この神社の境内一帯が茨城県指定文化財史跡になっている。
湧水の出る透き通った池(茨城百景の-つ)があることから、「泉神社」と呼ばれている。

由緒:
常陸国久慈郡の式内社天速玉姫命神社の論社。 他の論社は常陸太田市春友町の鹿島神社である。
泉神社は泉が湧いており、常陸国風土記記載の里に鎮座していることが論拠。
社伝:
人皇第10代崇神天皇の御代(宇治49年(BC49)実際は3~4世紀)の創建。 -説には、天武天皇2年(672)とする。
以下、泉神社の神社紹介ページから
『泉神社は、人皇第十代崇神天皇の御代、宇治49年(BC42)にこの地方に鎮祀されたと伝えられている。延喜式内社の由緒深い旧郷社である。
久自国造船瀬宿禰(くじのみやつこ ふなせのすくね)の奏講により、大臣伊香色雄(いかがしこおのみこと)が勅命を受けて、久自の国に至り、天速玉姫命を祭示巳して、久自の国の総鎮守としたことが泉神社の創立である。
 社記に「上古霊玉此地に天降り 霊水湧騰して泉をなす 号けて泉川と云ひ霊玉を以て神体とする」とある。ご祭神はこの霊玉を神格化した天速玉姫命をお祀りしている。
 「東夷の荒賊を平討する」最前線基地としての地域性を反映し、古くから多くの武将が祈祷に参拝している。特に、後奈良天皇の御代、享禄三年(1530)9月に書かれた棟礼には、佐竹家第16代の佐竹義篤が泉神社を崇敬し社殿を修造したと記録されている。残念なことに、享和2年(1802年)社殿が焼失し、旧記録を始め宝物などが散逸してしまった。
現在の社殿は氏子らの浄財により昭和58年(1983年)5月に再建されたものである。』

一の鳥居と参道
すごい幟の数である。しかもこの日は赤い幟だったが、ネットでいろいろな記事を見ると黄色、靑とか緑のときもあるようだ。
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一の鳥居脇に「太子堂」があります。屋根にずいぶん木が生えているが大丈夫か?
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境内社の三峰神社(伊弊藷神・伊井再神)
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旧ご神木
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桜の樹を杉の木が抱えている姿にはびっくりした。往古はどういう感じだったのだろうか。
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手水舎
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「泉が森」の案内、碑
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「密筑(みつき)の大井」の説明
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「常陸国風土記」では、「此より東北のかた二里に密筑(みつき)の里あり。村の中に淨泉(いずみ)あり。俗(くにひと)、大井と謂う。夏は冷かにして冬は温かなり。湧き流れて川となれり。夏の暑き時、おちこちの郷里(むらさと)より酒と肴をもちきて、男女会集(つど)いて、休(いこ)い遊び飲(さけの)み楽しめり」と書かれた。
密筑の里は、いまの水木の呼称で、淨泉・大井とは、神社の北側に湧出している泉のこと。周囲が50メートルほどある泉のほぼ中央部からは、今も青白い砂を吹き上げながら、絶え間なく清水が湧き出している。水温は夏冬ともに約13度で、「風土記」に記されているとおり、「夏冷冬温」。
泉神社は、古くは天速玉姫命神社、さらには泉大明神とも呼ばれていた。
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ものすごい量が湧き出ている。
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厳島神社(市杵島比売命(弁財天))
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水木ささら(茨城県指定無形民族文化財)の説明
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また、3月第2土曜日と日曜日には、古くから伝わる當屋祭の行事が執り行われる。
この當屋祭には、神社がまだ無かった頃、御神体を当番制で個人の家にお祭りして無病息災を祈願したことがその始まりと言われている。社殿が造営された後も、天速玉姫命の御分霊を町内持ち回りで各自の家にお祭りし、家内安全と無病息災を祈願しつつ現在も続いている。


歌碑/新編常陸國誌より
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先の碑にもはいっているが、栗田寛の歌碑
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社殿地に上がる石段脇に左右に二頭ずつの狛犬が。
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拝殿
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拝殿向拝部
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社額
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神紋は「三つ葉葵」
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祭神は、天速玉姫命。
清和天皇、陽成天皇、光孝天皇の3代30年間(858~887)を扱った日本三代実録(延喜元年(901)完成)によれば、「貞観八年(866)五月二十七日庚午常陸国正六位上天之速玉神」とある。
泉神社の由緒では、霊玉の神霊であるという。
また、天速玉姫命は天棚機姫命(あめのたなばたひめのみこと)の娘で、天太玉命(あまのふとだまのみこと)の后神、天比理刀咩命(あめのひりのめのみこと)ともいうとある。
霊玉の女神とする説のほかに、その名から速玉男命と同神とする説、
「速」も「豊」 も美称であるとして豊玉姫と同神とする説。
玉=瀧で、速い滝の神とする説などがある。

ちなみに、天比理刀咩命は安房一之宮・洲崎神社および品川神社の祭神である。

本殿
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最後に脇参道に「馬力碑」というのがあった。
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最初に載せたのが「出征軍馬記念碑」である。
馬で始まり、馬で終わった(笑)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

松本市内は泉が多いのですが、泉神社と同様に境内に泉がある神社では「(木+規)井泉神社」があります。ただし、ここの境内は家1軒分も無い狭い所ですが。

馬の守護神の「馬力神」と言うのがあるそうですね。人間の活動の手伝いをしてくれる馬への感謝を象徴しているみたいですが、これと馬力碑とは関係あるような気がしました。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
「馬力神」について、ちょっと落としていたので
調べてみたら、特に栃木県に多いようですね。
今回は茨城県だから、変形なのか、それとももともとこういう
碑もあるのか。
ヒントをいただいてありがとうございました。
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Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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