高麗神社

20141228

12月17日(水)に、歴史クラブ行事で訪ねました。

高麗神社入り口
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社号標
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高麗神社の主祭神は、かつて朝鮮半島北部に栄えた高句麗からの渡来人高麗王若光(こまのこきしじゃっこう・「王」は 他に「こしき」「こにしき」「こにきし」などとも読む)です。
最盛期は5世紀の「広開土王(こうかいどおう)」、「長寿王(ちょうじゅおう)」治世の100年間で、中華人民共和国吉林省集安県にある「広開土王碑」から、そのころの高句麗の強勢ぶりをうかがうことができます。
若光が渡来した年代についての社伝はありませんが『日本書紀』天智天皇称制5年(666年)10月高句麗から派遣された使節の中に「若光」の名があります。
『続日本紀』文武天皇大宝3年(703年)に「従五位下高麗若光に王の姓を賜う」と記されており、高句麗が668年に唐と新羅によって滅ぼされてしまったことを考えると、『日本書紀』にある「若光」と当社の御祭神である「高麗王若光」は同一人物と思われます。
若光は元正天皇霊亀2年(716年)武蔵国に新設された高麗郡の首長として当地に赴任してきました。当時の高麗郡は未開の原野であったといわれ、若光は、駿河(静岡)甲斐(山梨)相模(神奈川)上総・下総(千葉)常陸(茨城)下野(栃木)の各地から移り住んだ高麗人(高句麗人)1799人とともに当地の開拓に当たりました。若光が当地で没した後、高麗郡民はその徳を偲び、御霊を「高麗明神」として祀りました。これが当社創建の経緯です。

一の鳥居
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扁額には「大宮大明神」とあります。
神仏習合の時代には高麗家は修験者として別当を勤めていた。また、高麗大宮大明神、大宮大明神、白髭大明神と称されていた社号は、明治以降は高麗神社と称されるようになった。
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参道を、ちょうど氏子の方々が清掃をされていました。
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駐車場からの参道には、将軍標(しょうぐんひょう・チャンスン)があります。
チャンスンは朝鮮半島の古い風習で、村の入り口に魔除けのために建てられました。将軍標は平成4年に大韓民国民団埼玉県地方本部によって奉納されたものです。
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二の鳥居
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扁額
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今年6月の大祓に参拝したときの写真です。
茅が二の鳥居に設けられていました。
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二の鳥居脇に「参拝諸名士芳名額」があります。
数奇な運命の「川島芳子」の名が
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ここの社殿を設計した、当時の建築設計の代表者「伊東忠太」、「幸田露伴」など。
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現宮司「高麗文康」さんが案内をしてくださいましたが、高麗神社は、高麗王若光の子孫が代々宮司を務め、60代目になります。
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手水舎で手水の取り方まで説明してくださり、とても熱心な案内をしていただきました。
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手水舎
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「洗心」の額がよかった。
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立派な楠です。
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李王朝最後の「李王垠・方子」両殿下が昭和17年に植樹された杉の木。
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「出世明神」の由来
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「恩知学校跡」の説明
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狛犬(2011年4月撮影)
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神門
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ここに掲げられている扁額には、高麗神社の高と麗のあいだに、小さく「句」の字が書かれている。
李氏朝鮮末期から大韓帝国期の政治家「趙重応」の書である。
宮司さんの説明は「句」を入れても間違いではないが、句を小さくするのは間違いである(笑)
と仰っていた。
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神門を入った左側に、いかにも朝鮮の風俗らしい千羽鶴が下がっている。
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社殿
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社額
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主祭神は、高麗王若光・猿田彦命・武内宿禰命。

神紋は、ほぼ「鶴ノ丸」だが細部に違いがある。何と呼ぶのだろうか。
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この日は、「高麗家住宅」は残念ながら工事中で見られなかった。

これは2011年4月に、脇に咲いている樹齢400年の枝垂れ桜を撮りに行った時のもの。
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その記事はこちら


この枝垂れ桜と社殿前のヒガン桜が咲いている時に「さくら祭り」が開催される。
今年、そのときに「巫女舞」と「獅子舞」をやるというので見に行った。

その時、社殿前では、氏子の皆さんが終日餅つきをしていて、お餅をふるまっていた。
美味しかった。(今年4月撮影)
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齋館に立つ巫女さん
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神楽殿の前で、巫女舞の前に、社殿に向かって、一礼。
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このときの巫女舞は動画を撮ってきたので、見てください。

その動画を見る



来年の4月には、歴史クラブの行事として「さくら祭り」での「巫女舞」と「獅子舞」を見に行くことになっています。

最後に、釈迢空(折口信夫)の歌碑を。(2011年4月撮影)
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「山かげに獅子笛おこるしし笛は高麗の昔を思えとぞひびく」


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

高麗家住宅、やはり、枝垂れ桜の時に行きたいですね。

巫女舞の動画、観させていただきました。この手のもので、歌が入っているの、初めて見ました。これ、催馬楽の一種でしょうか。私はこの手のものに弱いもので。先日、upしたように、八坂神社で浦安の舞の一部を見ましたが、扇で顔を隠して出入りするところ、同じだと思いました。

matsumo さん

コメントありがとうございます。
高麗神社の巫女舞は「浦安の舞」です。
八坂神社のと同じ舞です。
神社によって、ちょっと違ってきますからね。
ちなみに歌が入る場合は、歌は昭和天皇御製の歌で、
「天地(あめつち)の神にぞ祈る朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を」
が神楽の歌詞となっています。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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