「東国武士団と鎌倉幕府」/動乱の東国史

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東国に関する中世全体の歴史をおさらいしようと、全7巻からなる「動乱の東国史」を読み進めることにして、その第二巻である。

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目次:
変わる東国武士像-プロローグ
Ⅰ 治承の挙兵
1 中世東国へのまなざし
2 東西交通の展開
3 三つの挙兵
コラム 頼朝の伝説と史跡
Ⅱ 天下三分の克服
1 ひろがる戦火
2 反乱軍の拡張
3 東山道をめぐる対決
4 京都での抗争
コラム 斎藤実盛の子孫たち
Ⅲ 東国の軍事制圧
   1 南関東から北陸へ
   2 源平合戦
   3 奥州への道
   4 奥羽合戦
   コラム 板額御前の半生
Ⅳ 東国のかたち
1 鎌倉からのびる道
2 北条氏の成長
3 承久の乱
4 執権政治
コラム 東国に残る運慶作のブランド仏
都市鎌倉と東国-エピローグ

鎌倉幕府が樹立される少し前の源平の戦いから、頼朝直系の三代が滅びて北条の執権政治までの期間だから、いわゆる東国の武士団が確立する話なので、極めて濃密な話が続く。

ここでは、断片的に私が関心が高かった部分だけ載せておきます。

源義賢が大蔵館で源義平に討たれたのは、東山道と東海道の抗争の結果だと説明されて納得した。
東山道をめぐり有力武士団のせめぎあう状況を反映するなか、源為義は西上野の多胡郡を所領とした。西上野には国府があり東信濃と接続する枢要の地である。次子の義賢は、秩父平氏の秩父重隆や武蔵七党の児玉覚と提携して多胡郡に入り(川合康氏による)、さらに古代東山道の一部をなす武蔵路(上野~武蔵問)に沿うように、十二世紀半ばまでには北武蔵へ進出していく。
父為義の意向で少年期に上総国で養育されて「上総御曹司」と呼ばれ、おもに東海道諸国に足跡を色濃く残す義朝。いっぽう、為義を嗣いで東山道の西上野から南下をはじめた義賢。この二人の勢力が、東山道と東海道の関東平野における触媒ともいうべき武蔵国で、ついに接触したのである。そこに秩父平氏ら在地武士団の競合が絡み合うことで、在京する父義朝にかわって鎌倉に陣取る源義平の軍事行動を誘発してしまった。
 摂関家に従う義賢と院権力の武力たる義朝という政治的立ち位置の違いもさることながら、東国世界における二人の利害は平衡から対立に大きく傾いていた。
義賢の館となった大蔵館(現在の埼玉県嵐山町)を久寿二年(一一五五)に源義朝の長男義平が鎌倉から急襲して、義賢を殺害してしまう。


源氏が平家を滅ぼす過程の大きな流れが、この本で明確にわかった。
治承四年の以仁王・源頼政挙兵の際に諸国の源氏に挙兵を命じるために以仁王が発した「以仁王の令旨」に反応して実際に軍事行動を起こした集団については、私は信濃の木曽(源)義仲と伊豆の源頼朝しか知らなかったが、実際はもう二つあり、四つの集団が挙兵している。
三つめは甲斐源氏で、源義光の庶流が甲斐に定着したもので、武田信義が大将となっている。
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源平の最初の大きな合戦は「富士川の戦い」だが、この時頼朝軍は手前の黄瀬川に退陣して動かず、平家方は富士川を東に進んだ際に、富士川沿いに南下してきた甲斐源氏に背後を襲われて惨敗する。
その後の頼朝の動きが何とも政治的なものだ。
富士川で平家方が敗れると、頼朝は西に向かうのでなく東に戻るのである。まだ常陸の佐竹氏が動向を明らかにしていないため、東国を完全に手中に納めたいとの意向からだ。
相模で、頼朝は大々的に恩賞沙汰を行い、源氏の総領だとアピールする。

甲斐源氏は駿河、遠江を占拠していたが、頼朝方が義仲を撃ったあと、清水義高に加担した勢力を掃討するとの名目で甲斐から信濃方面に出兵。甲斐源氏は武田信義が病死することで従来の勢力は衰退、頼朝に通じていた石和信光と加々美遠光の系列となり、石和信光が武田を、加々美遠光が小笠原を称するようになった。

四つ目は、近江源氏で柏木義兼と山本義経の兄弟である。
近江源氏は近江一国を占領したが、都に近いのが災いして早々に平氏に鎮圧されてしまう。

新田とか足利の名前も既に出てくるし、東国の武士団の去就の話も実に面白い。

頼朝の乳母比企尼の婚姻ネットワークもすごいものだ。
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河越重頼、伊東佑清、佐久の平賀、島津の名も見える。
源範頼、にも。河越は娘を義経に嫁がせたため没落の運命に。

鎌倉街道上道(かみつみち)だが、これは頼朝が鎌倉に幕府を建ててから、最初の大きなイベント「信濃三原野の巻狩り」を実行する際に確立された。
このときに「入間川宿」は設置された。

私が住んでいる辺は、比企氏の残像がいたるところに残っているところだが、「比企氏の乱」と呼ばれる、二代目頼家の後継者争いの推移、比企能員と北条政子の争いの話はとても面白かった。
比企氏の遺産は、上野、信濃、越後、越中の守護というから、今更ながら比企氏というのはすごかった。

したたかに生き残っていた畠山重忠もついに北条氏によって滅ぼされる。

この本の中で、当初は活躍した河越氏、比企氏、畠山氏が滅ぼされていくのが悲しかった。

(了)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

ううん、この辺りは学校の授業では教えてくれなかったことですね。と言っても、今から何十年も前の話で、今は変わったのかもしれませんが。

それにしても、この辺りの話、どのような歴史書に書かれているのでしょうね。あるいは、日記みたいのが沢山あって、それを纏めたとか。

No title

コメントありがとうございます。
私は、高校、大学と機械科で、世界史だけ
取って、日本史は受けていません。
日本史は自然と身に着くだろうと(笑)

この本の巻末に載っている参考文献は100を越えます。
それから市史、県史も軒並みですね。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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