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武蔵野七福神

20150108

7日(水)に廻ってきました。
武蔵野七福神は、埼玉県で最も古い七福神札所です。昭和6年の発足、13年よりお参りが始まりました。
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飯能市、入間市、所沢市にまたがり、広い範囲です。
車で廻ることにして、朝9時に家を出て、最後の山口観音が済んだのが15時ちょっと前でした。

円泉寺⇒飯能恵比寿神社⇒観音寺⇒浄心寺⇒円照寺⇒長泉寺⇒山口観音の順で廻りました。

【円泉寺/福禄寿】
所在地:埼玉県飯能市平松367
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真言宗智山派に属し、総本山は京都市東山七条の智積院です。
当寺は弘法大師が巡錫のおり開いたと縁起にありますが、江戸末期の火災のためか詳細は不明です。かろうじて読める江戸初期の住職の石塔がありますが、それ以前は残念ながら摩耗して読めません。

門を入って山門の前に、宝暦6年(1756)建立の「陀羅尼塔」がある。
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○本堂
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本堂の中に「福禄寿」は安置されていました。

☆福禄寿
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言い伝えによれば、天明(1781~ 1787)年間飢饉の際に、川越城主大和守の御用度係が五穀豊穣を祈念して福禄寿(ふくろくじゅ)様を勧請し、住職が引退後に入る寺、福泉寺に祀りました。後に円泉寺に合祀したと伝えられています。

本尊の不動明王はご住職の意向で撮れませんでしたが、他の仏像については色々と親切に説明してくださりました。
「弁財天十五童子」
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別々に集められた七福神
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「七福神図」
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○阿弥陀堂
「阿弥陀如来」
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ここに置かれている阿弥陀様の光背には、和鏡(頭部の丸い部分)が使用されおり、裏の文様の中に「日本一」の文字があります。
日本一の文字は、織田信長が経済振興のため、優れた製品に許可しました。後に勝手に使われるようになり、江戸初期には禁止されるようになりました。
おそらくこの御尊像はその当時に造られたと思われますが、光背だけ修復のため作り替えられたとすれば、もっと古い可能性もあるようです。室町時代ではと言う人もいます。

「不動明王像」
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不動明王像は、かつて山形県・出羽三山の月山別当・日月寺(現・岩根沢三山神社)門前の宿坊・少貳坊に祀られていました。少貳坊は戦前まであったそうです。

「八臂弁天像」
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通常は怖いお顔の像が多いが、これは柔和なお顔をされているのが良いとのご住職さんの説明でした。

○妙見堂
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当所・綿貫家の伝承では、平将門公(延喜3年・903年?~天慶三年・940年)が在京中、妙見菩薩に危難を救われ、御尊像を奉受 し、守り本尊として持ち帰ったと伝えられています。天慶の乱で敗れた将門公配下の武将・綿貫豊八は隠れ住み、この御尊像を密かに祀り守護してきました。
弘化五年(1847・永元年)平松出身の分限者・綿貫伊助の尽力により、実家の妙見菩薩像を京都神祇官統領伯王殿公文所より円泉寺境内にお祀りすることが 許可され、(実際には、その十年前に円泉寺に祀られるようになっていた)現在のように土を村民総出で高く盛り上げて、お堂を建立し祀りました。
現在の本尊様は二代目です。妙見菩薩は北極星、北斗七星の神格化された姿であり、その信仰は奈良・平安時代かなり盛んになったようです。

「妙見菩薩像」
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「馬頭観音」
妙見堂の麓に、宝暦5年(1755)造立の場堂観音があった。風化が少なく綺麗な像だ。
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「山守大神」社
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「天神社」と「八坂神社」
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【飯能恵比寿神社/恵比寿】
所在地:埼玉県飯能市飯能263

諏訪八幡神社の境内社です。

○諏訪八幡神社
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創祀は永正13年(1516年)初春11日。加治菊房丸(中山氏)、平重清(畠山氏)などが建御名方命(諏訪神)を勧請して「諏訪神社」と号し、後に信州から八幡神(誉田別命)を勧請して「諏訪八幡神社」となった。その後天正12年(1584年)に加治勘解由左衛門吉範、智観寺住僧法印慶賢が再建した。

石段を上がって境内に入ると、まず境内社の丹生(たんしょう)神社があります。
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丹生神社は、正一位丹生大明神とも称され、享保雛を神体に埴山姫命、罔象女命を祀る。神社の境内には、この神社の名から丹生樹がある。
武蔵七党丹党は、古くは水銀、銅、砂金、産鉄・製鉄など金属資源に深くかかわりのある集団でした。

手水舎
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狛犬
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拝殿
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本殿
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本殿の彫刻が立派
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祭神は、武御名方命、誉田別命、豊受姫命、奥津姫命、奥津彦命、火産霊命、大山咋命、白山姫命、木花姫咲耶姫命、保食命、猿田彦命、天宇受売姫命、埴安姫命、崇徳天皇、武内宿禰、大日孁貴命、菅原道真、大己貴命、少彦名命、天児屋根命。
多いですね、

神紋は、諏訪神社ならではの「立ち梶の葉」。加治氏が信仰したのも、この梶繋がりか。
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☆恵比寿神社
七福神の恵比寿さまです。
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ここの神紋が「亀甲角に右三つ巴」
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社殿後ろに境内社が並びます。
愛宕神社、山祇神社、荒神神社、御嶽神社、琴平神社、加納神社、白山神社、稲荷神社、がありました。
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神楽殿
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丹生樹
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吉良蘇月の句碑。
「稲架とれて野に幻想の獅子の笛」
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【観音寺/寿老人】所在地:埼玉県飯能市山手町5番地17号
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般若山 長寿院 観音寺は埼玉県飯能市の真言宗智山派の寺院である。
1867年(慶応4年)の飯能戦争で、智観寺・心応寺などともに、幕府軍(振武軍)が立てこもった寺の1つである。
本尊は如意輪観世音菩薩・不動明王ほか。

不動堂
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☆寿老人
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向拝に未の切り絵が貼られていた。
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本堂の前の紅梅がほころびていた。
今年の「初梅」でした。
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本堂内
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天井に、左右一対の白馬が飾られていた。珍しい。
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鐘撞き堂には、戦争中、鐘が供出され鐘がないが、張り子の白象像がおかれている。
公式サイトでは、檀家の提供によるとされ、白象にまつわるいくつかの仏教説話が紹介されているものの、具体的ないわれは説かれていない。
白象はお釈迦さまの生母、マーヤ夫人の夢に現れてお釈迦さまの誕生を予言したといわれています。
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○鬼子母神堂
鬼子母神像は、鬼形ではなく、羽衣・櫻洛をつけ、吉祥果を持ち幼児を抱いた菩薩形の美しいお姿をしているので、とくに角(つの)のつかない鬼の字を用い尊称しているそうです。
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松尾芭蕉の句碑
「枯れ枝に鴉のとまりけり秋の暮 はせを」
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水原秋櫻子の句碑
「むさしのの空真靑なる落ち葉かな」
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【浄心寺/毘沙門天】
所在地:埼玉県飯能市矢颪222

この日、縁日だったので沢山の屋台が出て、大変混雑していました。
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○本堂
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当山は明応~文亀年間(1500頃)の草創といわれ、本尊に阿弥陀三尊を安置している。当初は瑞林院と号したともいわれる。開山の聚栄常福和尚は永正8年(1511)に示寂。武蔵野三十三観音霊場第23番浄心寺のち慶長12年(1607)市内飯能の本寺能仁寺5世吉州伊豚和尚を中興開山として再興され、現住まで17世に至る。開基は当地の土豪岩沢氏、瑞林院殿月叟浄心居士(没年不詳)で現寺号はこれによっている。現在も檀中に子孫が続いている。

○毘沙門天堂
六世梁観禅棟和尚は若年江戸駒込吉祥寺に遊学し、学業成就を寺中の毘沙門天に祈願、見事首席となった。帰郷後報恩の為に附近の堤家より伝来の毘沙門天像を譲り受け安置した。以来学業成就、商売繁昌の信仰が高まり明治初年より1月7日の大祭は信徒数万人が群集し、だるま市が開かれるようになった。

参拝者の行列がすごい。
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☆毘沙門天
お堂の奥に安置されていて、見えない。賽銭箱の奥に写真が掲示してあったので、それを撮ってきました。
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○観音堂
霊場本尊の十一面観世音は附近の本明院の本尊であったが廃寺となった為当山へ武蔵野三十三観音霊場第23番浄心寺移されたもの。身代わり観音といわれ災難除けの信仰がある。
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参拝を終えて帰ろうとしたら、勤行を終えたお坊さんたちの列の後ろになった。
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そしたら途中で「散華」をして、幸運にも一枚を拾う事ができた。今年は良い年になりそうだ(嬉)
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【円照寺/弁財天】
所在地:埼玉県入間市野田158  
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ここには以前歴史クラブの行事で訪れています。

その記事を読む


池の中にある「弁天堂」の扉が開いています。
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喜んで飛んで行くと、なんと!
弁天さまが入っている厨子は開かれていません。
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ご朱印をもらいながら尋ねると、12年に一度巳年でないとご開帳はないとのことでした。
なので、弁財天のご尊像のお札をいただいてきました。

☆弁財天のご尊像
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円照寺には国指定重要文化財の板碑がありますが、通常公開されていません。
それが1/20~1/26の期間公開されるので、このときにまた訪れる予定です。


【長泉寺/大黒天】
所在地:埼玉県入間市豊岡2丁目2−8
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山門に繭玉が飾られていたむ。
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長泉寺は今から約四百年前の、永禄年間(1558-1570)開基鉢形城主の三上山城守に よって建立された古刹です。
約二百年前の明和4年(1767年)に類焼にあい、諸堂伽藍が全焼したが、 明和6年に再建された。また、江戸時代末期から寺子屋として子供たちの教育に当たり、 明治初期にはしばらく小学校の仮校舎となりました。
現在の堂宇は昭和40年代のものです。 当寺は、武蔵野七福神神の一つ「大黒様(大黒天)」が祀られており、 明治35年に上野寛永寺より勧請されたもで、 開運をもたらす「豊岡のキノエネ(甲子)様」として親しまれています。
年 6 回の甲子の日には、 甲子大黒天祭が行われ、特に1年の最初の甲子の日と、 納めの甲子の日には露店が並び多くに人でにぎわいます。

曹洞宗なので、道元禅師の像があった。
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手水舎には蓮の花が水が出ている。
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本堂
本尊は釈迦三尊佛
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☆大黒天
本堂外陣に、“触り大黒”の像が新たに設置されてありました。本尊“甲子大黒”の祀られる本堂内陣には入れないので、その代わりなのでしょう。

「触り大黒」
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大国さんと恵比寿さんのセットの木像も、
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「甲子大黒」の尊像図があったので、いただいてきました。
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【山口観音/布袋尊】
所在地:埼玉県所沢市上山口2203

金乗院(こんじょういん)といいます。真言宗豊山派に属し、山号は吾庵山、寺号は放光寺。本尊は千手観音で山口観音とも称される。
この寺は、古くから観音信仰の霊場として知られ、観音像や観音堂は寺伝によれば奈良時代の僧行基によって弘仁年間(810年~824年)に開かれたと伝えられ、この寺はその別当寺であった。鎌倉時代末期新田義貞が鎌倉を攻めた際には、この寺に祈願したといいます。

ここにも、以前歴史クラブ行事でお参りしています。

その記事を読む


広い軽打のこと故、布袋尊が祀られているところに直行しました。
右が七福神「布袋堂」の建物、左が「ぽっくりさん」の建物。
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☆布袋堂
極彩色の賑やかな建物です。
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布袋像が窮屈そうに納まっているので、全身は見ることができません。
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そして、更に周りに七福神像が並びます。

寿老人と弁財天
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毘沙門天、布袋尊と福禄寿
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大黒天と恵比寿
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「ぽっくりさん」
高野山の「引導地蔵」を招来したもの。弘法大師が入定したとき、振り返って見送られた姿をしている。
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本堂に、享和年間に鶴寿が描いた七福神の絵馬が掛かっていました。
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最後に寄ったのが「六時の鐘」
朝夕6時に自動的に撞いているが、喜捨すれば自由に撞けるとあり、天井の絵が狭山市在住の水村昭二画伯による、とあったので拝見し、鐘を撞きました。
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すぐ近くに、山口靑邨の句碑があった。
「鵜は翔てり月の面にとどかざる」
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ご朱印が揃いました。
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これで、武蔵野七福神詣では完了しました。
朝9時に家を出て、車はスムーズに移動できましたが、完了したのが15時ちょっと前でした。
かなり沢山の収穫があったので、充実した気持ちで帰途につきました。


(了)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

おっ、頑張っていらっしゃいますね。私は昨年と同様に、東覚寺の裏庭の七福神だけで終わってしまいました。

武蔵野七福神は大昔、西武線を使って、飯能駅から西武球場前駅まで途中に何回か下車して1日でまわりました。上記、読ませていただくと、四季歩さん、さすがですね! お寺等が詳細に描かれているのに感心しました。

それにしても、もう紅梅が咲き始めているのですね!

matsumo さん

コメントありがとうございます。
matsumoさんは、普段でも七福神に関心を持っておられるので、
私に参考になる記事を書いてくださってます。
どうしても、詳しく書こうとしてしまい、それはそれで
大変なので困っています(笑)

昨年も、山手七福神で廻ったときに紅梅を見ましたね。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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