高倉下命(たかくらじのみこと)/日本の神々の話

20150112

神武天皇の東征の折に出会った神々の一柱。
邇藝速日命(にぎはやひのみこと)の御子神。
尾張連らの祖。

どういう神か、『古事記』によってみましょう。
東征に出発して、難波にて那賀須泥毘古(ながすねびこ)との闘いで、兄神の五瀬命(いつせのみこと)が亡くなり、「日の神の御子なのに、日に向かいて戦ったのがよくない」として転進し、熊野に上陸してからの話である。

 (現代語訳〉
 さて、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト 神武天皇)は、そこから南に回って行かれ、熊野村に到着されたとき、大きな熊がちらりと見え隠れして、やがて姿を消した。すると神倭伊波礼毘古命は、にわかに正気を失われ、また兵士たちもみな気を失って倒れた。このとき、熊野の高倉下(タカクラジ)という者が、一ふりの大刀を持って、天つ神の御子(神武天皇)の臥しておられる所にやって釆て、その大刀を献ると、天つ神の御子は、即座に正気をとりもどして起き上がり、「長い間寝ていたなあ」と仰せになった。そしてその大刀をお受け取りなさると同時に、その熊野の山の荒ぶる神は、自然にみな切り倒されてしまった。そしてその気を失って倒れていた兵士たちも、みな正気をとりもどして起き上がった。
 そこで天つ神の御子が、その大刀を手に入れたわけをお尋ねになると、高倉下が答えて申すには、「私が夢に見ましたことは、天照大御神と高木神の二柱の神の御命令で、建御雷神(タケミカヅチノカミ)を呼び寄せて仰せられるには、葦原中国はひどく騒然としているようだ。わが御子たちは病み悩んでいるらしい。その葦原中国は、もっぱらあなたが服従させた国である。だから、そなた建御雷神が降って行きなさい』と仰せになりました。これに答えて建御雷神が申すには、『私が降らなくても、もっぱらその国を平定した大刀がありますから、この大刀を降しましょう』 と申しあげました。この大刀の名は佐士布都神(サジフツノカミ)といい、またの名は甕布都神(ミカフツノカミ)といい、またの名は布都御魂(フツノミタマ)という。この大刀は石上神宮に鎮座しておられる。そして建御雷神は、この大刀を降す方法は、高倉下の倉の棟を穿って、その穴から落し入れることにしよう。だから、おまえは朝目覚めて、縁起のよい大刀を見つけて、それを天つ神の御子(神武天皇) に献上しなさい』 と仰せになりました。そこで夢のお告げのとおりに、翌朝私の倉の中を見ると、はたして大刀がありました。それでこの大刀を献上するしだいです」と申しあげた。
(以下略)

高倉下とは神を祀る高い庫(ほくら)(秀倉(ほくら)、「ほ」は火や穂のごとく、秀でて貴いという意)の主という意であろう。
『旧事本紀』によると、高倉下は物部氏の祖神・邇藝速日命の子となっている。また鎮魂歌に石上の布都の太刀を歌っているのをみると、宮廷の鎮魂祭儀に物部氏が参与していたと推察される。
この神話は石上神社の神剣をもって神武天皇の御魂鎮(みたましずめ)を図ったものと思われるし、鎮魂儀礼を表現したものであるといえよう。
(日本の神様読み解き事典より)


石上神宮で、伝承通り境内の禁足地から剣が発掘されました(2点)。
鉄剣(布都御魂剣? 重文)
150112isonokami01.jpg


七支刀(国宝)
150112isonokami02.jpg


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

七支刀って、本当に刀なのでしょうか。ちょっと見には槍の先のように見えます。その上、全体に渡って、文字が彫られているそうですし。おそらく、象徴的なものなのでしょうね。

それにしても、形が奇怪だったからでしょうが、よくぞ鉄剣が腐らずに残っていたものです。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
身内に不幸があったせいで、ずいぶんと返答が遅れて
申し訳ありませんでした。
直刀のほうは、内製のようですが、
七支刀は渡来もののようですね。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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