毛呂氏ゆかりの史跡を訪ねる

20150130

これは、歴史クラブの行事で1月23日(金)に催行されました。私は参加できなかったので写真は例によって池田さんが撮ってきたものです。
コースは、東毛呂駅⇒出雲伊波比神社⇒長栄寺(毛呂氏館跡)⇒榎堂⇒妙玄寺⇒山根城跡⇒斉藤氏館跡⇒東毛呂駅でした。
150130moro01.jpg


【出雲伊波比神社】
所在地:埼玉県入間郡毛呂山町岩井西5丁目17-1

入っていくと猫と狛犬がお出迎え。
150130moro02.jpg


ここから先は、私が以前「武蔵国式内社めぐり」で行った際の記事でどうぞ。

その記事を読む


1月23日訪問時は、橘が実っていました。日本最北限の橘です。
150130moro03.jpg


150130moro04.jpg


毛呂山聖霊教会の前を通りました。
150130moro05.jpg


エリザベト・アプタン女史によって創立された本教会は、1934年その伝道の歴史をスタートさせた。毛呂駅からほど近くも緑が深く残る景観は、落着いた木造の礼拝堂とよく調和している。教会と敷地続きにある毛呂山愛仕幼稚園は、アプタン女史の愛仕精神を反映した保育を行っており、地域に根差した幼児教育の一環を担っている。

【長栄寺(毛呂氏館跡)】
入り口
150130moro06.jpg


例によって「不許葷酒入山門」の碑があるが、酒の字が面白い。
150130moro07.jpg


右側面に慶長とあるが、そんなに古くないと左側面を見ると文化二年とあり。
150130moro08.jpg


参道途中左手に滝と不動明王、二童子。
150130moro09.jpg


150130moro10.jpg


山門
150130moro11.jpg


150130moro12.jpg


長栄寺は、曹洞宗、大永5年(1525)に毛呂顕繁によって開かれた。
毛呂氏の墓、供養塔がある。
寺の裏に、毛呂氏館跡(曲輪・土塁・空堀)がある。
〈県選定重要遺跡〉

山門を入ると、毛呂氏館跡の表示が。
150130moro13.jpg


150130moro14.jpg


毛呂氏の歴史で最初に登場するのが、毛呂季光だが源頼朝の傍に常に控えた、どちかという文系の武将。
頼朝亡きあと、北条氏が権力を確立する過程で、梶原氏、畠山氏、比企氏、河越氏などことごとく滅んでいったが、毛呂氏はしぶとく生き延び、戦国時代も生き延び、徳川幕府にも仕えたという、稀有稀な存在である。
また、毛呂山町教育委員会発行の「源頼朝重臣 毛呂季光」という資料に系図が載っているが、「天御中主神」から書き出され藤原鎌足、藤原不比等、を経由している系図で、こんな系図は初めて見た。

本堂
昭和46年焼失、同49年再建。
150130moro15.jpg


鐘楼
本堂と同時に消失。鐘は平成のもの。
150130moro16.jpg


寺の下にある溜め池。
150130moro17.jpg


毛呂氏一族の墓の一つ。
150130moro18.jpg


150130moro19.jpg


左-慧倫禅門、中央-一田幻世、右-以三妙玄夫妻
150130moro20.jpg


14~15世紀の典型的な関東型宝篋印塔だが、種子が金剛界胎蔵界の何れでもなし。
應永二年建立。同年阿弥陀一尊板碑が館跡から出土している。
150130moro21.jpg


裏山の毛呂氏館跡に向かいます。
150130moro22.jpg


虎口
150130moro23.jpg


本廓跡
150130moro24.jpg


【不動堂】
長栄寺参道からの不動堂。
150130moro25.jpg


鰐口が不釣り合いに大きい。
150130moro26.jpg


慶應三年のもの
150130moro27.jpg


本尊は絵姿であった。本堂消失の為か。
150130moro28.jpg


堂脇の木製宝剣
150130moro29.jpg


脇に稲荷社がある。
150130moro30.jpg


県道30号線、毛呂本郷に明和7年造立のお地蔵様が。
150130moro31.jpg


【権田直助生地】
毛呂本郷の米屋さんの前に、生地の記念碑が建てられている。生家はこの米屋さんの奥にあったとのこと。
150130moro32.jpg


150130moro33.jpg


【毛呂山流鏑馬・的宿(本陣)】
所在地:毛呂本郷
150130moro34.jpg


150130moro35.jpg


【榎堂】
所在地:埼玉県入間郡毛呂山町毛呂本郷上宿
毛呂氏当初の屋敷跡(最初に居を構えたところとも)。
甲子大黒天のお堂と榎がある。
流鏑馬の祭馬は、この榎をまわってから、神社へ向かう。
150130moro36.jpg


甲子大黒天のお堂
150130moro37.jpg


榎は二代目
150130moro38.jpg


【妙玄寺】
所在地:埼玉県入間郡毛呂山町毛呂本郷244
150130moro39.jpg


曹洞宗
毛呂顕繁夫人(法名:以三妙玄大姉)が天文2年(1533)に開いた。
毛呂堀の内(館)のすぐ北西側に位置し、毛呂氏一族の供養塔が多数建てられていることから、古くから毛呂氏の墓所であったと想定される。
毛呂氏供養塔、俳人・川村硫布(1750-1843)の墓・句碑、国学者・権田直助の墓がある。

本堂
150130moro40.jpg


中を覗くと、本尊は聖観音ということだが、これは違いますね。聖観音は秘仏なのかな。
150130moro41.jpg


毛呂氏供養塔
150130moro42.jpg


150130moro43.jpg


應永21年造立の本空禅尼の供養塔
150130moro44.jpg


権田直助の墓
150130moro45.jpg


150130moro46.jpg


【山根城跡】
所在地:埼玉県入間郡毛呂山町毛呂本郷244
毛呂氏館(毛呂堀の内)跡、現在は石碑のみあり。
150130moro47.jpg


堀の内から出雲伊波比神社を望む。
150130moro48.jpg


【斉藤氏館跡】
現在は斎藤家の屋敷になっている。一重の堀と土塁を巡らした方形館。東西130m、南北80m。堀と土塁が残る。
斎藤家については、斉藤美濃守冨長がこの地、平山に来住し、毛呂氏女鶴を妻とし、永禄元年(1558)に没したと伝わる。
東隣に村田和泉守館跡があり、一重の堀と土塁が方形に残る。村田氏については、「御討入の後、上野国より来住」と伝わる。

斎藤家向かって左正面土塁
150130moro49.jpg


斎藤家向かって左側面土塁
150130moro50.jpg


斎藤家向かって左後方土塁
150130moro51.jpg


斎藤家正面
150130moro52.jpg


これで、今回の予定を全て廻り、東毛呂駅から帰途につきました。

(了)


歴史クラブ行事一覧に飛ぶ



スポンサーサイト

コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

以前にも書いたような気がしますが、大昔、会社の用で東毛呂駅には10回以上、多分、20回は行ったことがあります。その時は、駅前に停まっているタクシーに乗って目的地に行き、帰りは駅まで歩きました。今はどうだかわかりませんが、その頃は駅前のタクシーは1台のみで、いない場合は待っていなければなりませんでした。このため、一度だけですが、行く場所が同じだったので、待っていた人と同じタクシーに乗ったこともあります。あ、お金の方は、私が払いましたが、勿論、後で、交通費として請求できますので。

No title

四季歩さん こんばんは
斎藤氏館跡の写真を見てびっくりしました。この斎藤さんのお庭はガーデン雑誌でいつも紹介される有名なバラ園なんです。
私は毎年訪れています。中のカフェでケーキと飲み物をいただきながらすばらしいガーデンを満喫します。
駐車場のところに変な土手があるなと思っていたのですが、歴史のある土塁だったのですね(^^)

コメントありがとうございます

matsumoさん
まあ、そうでしょうね(笑)
東毛呂駅というのは、あまり乗り降りする人が
多くないですよね。
matsumoさんが、どんな用事であの辺に行ったのか、
の方が気になりますね(笑)

Jさん
いつも読んでいただいているようで、ありがとうございます。
ご無沙汰しています。
そういえば、薔薇の話をしていて、斎藤さんの名前を聞いた
ような気がします。
でも、名前だけじゃ結びつきませんよね。
一般の人も自由に薔薇を見に入れるのでしょうか。

非公開コメント
プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード

Pagetop