四千万歩の男(一)/井上ひさし

20150201

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会社勤めを辞めて、第二の人生として歴史三昧の日々を過ごしているが、歴史には地図が欠かせない。
そうなると嫌でも伊能忠敬という存在に突き当たる。
彼も50才で隠居してから、それまで己に封印していた学問の道を第二の人生として追求した。
ところがその業績たるや、とても第二の人生となぞ呼べないような度外れた超弩級の成果なのである。
佐原の「伊能忠敬記念館」で、彼が作成した「伊能大図」の前に立つと、呆然としてしまう。
50才からの余生で、どうしてこんなものが作れたのか。
それまであったものを更に詳しくしました、そんなレベルではないのだ。
それまであった「赤水図」をみればわかるが、本当に「無」の状態のところに、あのような地図を出現させたのだ。

俄然、伊能忠敬のことを知りたくなり、まずは入門編の一冊を読んで、こんどは何を?
と探していたら、この本に出くわした。
いま第一巻を読み終わったところだが、すこぶる面白い。
作者がまえがきで云っているように、視点は常に忠敬の右肩にある。
そして忠敬の日常生活を出来るだけ掬い取ろうと、密着細密描写を心掛けた。

忠敬は実直な男で、きちんと日誌をつけている。
その日誌は、読むとおもしろくもなんともない、天候と各地間の距離、観測の事実だけを述べたものである。
それに井上ひさしが「付け足し」をしている。
これがめっぽう面白い。
そして、この作者はしつこい(笑)

第一巻が663ページである。
これが5巻あるという。
こういうふうに長いと、私も嬉しくなってしまうのである(笑)

第一巻の目次
お読みいただく前に/井上ひさし
○星学者たち
○佐原行
○海路と陸路
○乾の風
○最初の一歩
○白河まで
○お捨
○奥州仙台札の辻
○三河の低馬
○盛岡八景
○帆待十日

第一巻では、少年の頃の記憶を随所にちりばめながら、深川黒江町(現江東区門前仲町)で若い内妻のお栄とともに江戸で隠居生活が始まったところから書き出されている。
隠居生活の目的はもちろん星学で、幕府天文方の高橋至時(たかはし・よしとき、1764-1804)に師事し、一から始めた忠敬はついに寛政十二年(1800)、第一回の測量の旅に出発する。
江戸から奥羽街道を北上し、津軽・三厩から蝦夷に渡り、東蝦夷を測量する旅である。さまざまな観測機器を使ったが、なにしろ少人数(出発時には忠敬を含めて6人)であり、大きな観測機器は持っていけない。
結局いちばん頼りになるのは忠敬自身の2歩で1間という歩測である。

江戸を離れると蝦夷地に到着する前から忠敬一行はさまざまな陰謀に巻き込まれるのである。
結果として伊能忠敬は弱者を救い、権力の横暴や陰謀を挫折させるのである。
測量といいながら、幕府のスパイなのでは?という地方の人の憶測が彼を強い人間にしてしまう。
そういうところは水戸黄門的である。

なにしろ、あきれるほど同時代の文化人や政治家たちがする。
星学者仲間を除いても、松平定信、山東京伝、時計職人大野弥五郎・弥三郎親子、少年時代の鷹見泉石、三河低馬、木喰などが、この巻で助け助けられ、時には敵対したりもする人たちである。ほとんどが作者の創作であると思うが、これらの人たちがいきいきと描かれているのも作者ならではである。

第一巻では、津軽半島の北端の三厩(みんまや)に着いて、そこで「帆待ち」をしているあいだにまた一事件があってようやく船出するところで終わる。
だけどこの調子で、日本列島全部書けるのかなと思って調べてみたら、井上ひさしは当初伊能忠敬のすべての旅を書こうという構想を持っていたらしいのだが、蝦夷篇で三巻、(四)(五)で伊豆篇だけで終わっている。
実に残念だ。
今頃になって、井上ひさし氏が亡くなられたのを極めて残念に思う。

私にとって、すごく参考になったのはこの巻の最後、三厩で座頭たちがうたう奥浄瑠璃に謳いこまれた全国の神仏習合時代の神仏である。
まず伊勢は神明天照皇大神宮、外宮四十末社、内宮八十末社、両官合わせて百二十末社の御神に、若殿のご快復、祈願あそばしある。
ついで、伊賀の国の一宮大明神、熊野に三つのお山、新宮は薬師、本官は阿弥陀、那智は飛滝の大権現、神の倉の竜蔵権現、湯の峰の虚空蔵さま、天の川の弁才天、大峰の八大金剛、高野山の弘法大師、吉野の蔵王権現、多武の峰の大織冠、初瀬の十一面観音、三輪の明神、布留の六社の牛頭天王、奈良は七堂の大伽藍、春日は四社の大明神、木津の天神、宇治の神明、藤の森の牛頭天王、八幡は正八幡大菩薩、梅の官、松の尾の大明神、北野の天神、鞍馬の大悲多聞天、祇園は三社の牛頭天王、比叡のお山の伝教大師、根本中堂の薬師如来、麓の坂本山王二十一社、打下しの自髭大明神、琵琶湖の竹生島弁才天、近江国にはやらせたもうお多賀の明神、美濃国の長屋の天王、尾張国の津島の祇園、熱田の大明神、三河国の矢作の天王、遠江の牛頭天王、駿河国の富士権現、信濃国の諏訪明神、戸隠の大明神、甲斐国の一宮大明神、伊豆国の三島権現、相模国の箱根権現、関東の鹿島、香取、浮洲の大明神、出羽国の羽黒権現、奥州は塩竃六社の大明神、越後国の蔵王権現、越中立山大権現、能登は伊須流岐大明神、加賀に白山権現、越前は御霊の宮、若狭小浜の八幡宮、丹後は切戸の文殊さま、但馬の一の宮の大明神、丹波に大原の八王子、摂津に降り神の天神さま、西宮の若夷、河内は恩地の大明神、和泉堺の三村の大明神、紀伊の淡島権現さま。
四国に入りて、阿波に剣ケ峰の大明神、土佐に石船の大明神、伊予に榊の森の大明神、讃岐は志度の大道場……


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コメント

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四季歩さん、こんにちは

歩測ですか。私は高校生の時に「地学部」に入っていて、地質の測定のために、歩測をやりました。すなわち、確か、20mを16歩で歩く訓練をしました。そして、夏休みの時に先生に連れられて、確か、群馬県の武尊山の山麓に行き、道を進みながら、露岩を採取するとやり方でした。そして、道を進むときは磁石で方角を調べ、歩測で距離を測り記録し、勿論、露岩の採取地点も記録すると言うやり方です。

学校に戻ってから、その記録を元に、地図上のどの地点の露岩を採取したか、記録し、露岩から、その辺りの地層を推測すると言うものでした。

今ならば、GPSで簡単にその地点を決めることができますね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
なるほど。
地質学というのは歩測もつきものだったのですね。
一番大変なのは歩測だったのではないですか(笑)
20mを16歩なんですね。
これを確実にするのに、訓練が必要ですよね。
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Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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