道しるべ、道饗祭のお札など

20150204

今日のウォーキングは、狭山市と川越市の境に沿って歩いてみた。
家を出て、1Kmにも達しないところで面白いものを発見した。
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「道饗祭(みちあえのまつり)」のお札だ。
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竹に挟まれてよく字が読めないので、竹を広げてなんとか読んだ。
「道饗祭祝調御璽」と書いてあった。
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はて、ここに立ってるのは、どこのお宮の道饗祭なのだろう?

その脇に小さな「馬頭観音」の石碑があった。
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左側面には「是より左 的場道」とあって、「これより左に行けば的場ですよ」と道しるべである。
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右側面は、奥には安政3年(1856)とあり造立年はわかる。手前にも何か彫ってあったらしいがよくわからない。
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誰か土地の人が居ないかなと思い探したら、近くの家の庭で作業していた35才くらいの若い男性が居た。
聞いてみたら、この人が色々と教えてくれた(嬉)

道饗祭のお札は、安比奈新田(川越市)の八幡さまの祭りのものだった。
近くに県道が通っているので、「この道しるべはあっちから移されたものですか?」と聞いた。
そういう例に頻繁に出くわしているので。
答えは「いや、昔からここですよ」と。
「昔の道は、あっちからこう来て、あっちに行っていましたから」と。

地図を引っ張り出して説明すると、こういうことです。
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柏原(狭山市)と安比奈新田(川越市)の境界は茶色の一点鎖線。
黄色の道路が、今の県道。
それに対し昔(江戸時代、明治の頃)の、柏原から的場⇒川越に行く道はピンクの道だということが分かりました。
分岐点で、真っ直ぐ行くとたぶん当時も入間川の河原に降りてしまう。
左折していくと的場に行ける。
というわけです。

そして、安比奈新田の地区から見たら、道しるべの所は、外(柏原)から入ってくる道。
なので、道饗祭の際にここにお札を立てて結界し、外から悪いものが入ってこないようにする地点だったわけです。

下の写真で、カメラは柏原側にあり、分岐点を左に曲がれば的場道なのです。
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左折して進むと、突き当たりで県道と交差するところに用水が流れています。
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小さい橋です。
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説明してくれた方が、こういうことも教えてくれました。
「あの橋をこの辺の人は『瞽女橋』と呼んでいます。昔、あの橋のところで瞽女さんが行き倒れになったそうです。」
この辺にも瞽女さんが来ていたんですね。

あとで、その橋の表示をみると、そこの地名から「上宿橋」とありました。


追記:
この記事をアップした翌日、メールにて、ある方から情報を頂きました。
旧家と古老の話によると、
・馬頭観音前からの左の道は安比奈新田の八幡様(地図の八坂神社)へ行く。右の道は安比奈の下をとおり的場上に出る元々の道で、昔からの墓地と江戸時代前期の石佛(確かにあります)がある。左の道は新しく、右の道は古い。
・この辺り(安比奈公民館がある県道260号線北側)の人たちは元禄以前、もっと下に住んでいた。洪水があり、残った人はこっちに移った。
・八幡様も洪水前は下にあった。県道の下にあるこんもりした林あたりが元の場所だ。
・馬頭観音左右の道を明治地図で見ると、八幡様に行く左の道に橋が無く、右の道に橋の印が有る。これが本来の「ごぜ橋」と思われる(但し、どの資料を見ても現在の橋を言っている)。

以上のような情報でした。
道というのは、時代によって変化するので難しいですね。
特に入間川沿いというのは、柏原もそうですが、洪水で住む場所を変えています。それで道も変わる。
今は、江戸時代の柏原について調べている最中なので、それが落ち着いたら、せっかくだからこの件について整理してみたいと思っています。


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コメント

No title

四季歩さん
いいですねー こうゆうの(^^)
なんてことない風景の中に、こんな面白いものがあって・・・
普通の人だったらきっと気がつかないのに、さすが四季歩さんです。

教えてくれた人はお若いのによく知っていましたね。

No title

四季歩さん、こんにちは

「道饗祭」、「道警祭」と読んでしまいました(笑)。すなわち、えっ、警察まで神仏にお祈りしているの、それにしても、道警と言えば北海道警察だがと思ってよく観ると、饗応の「饗」の字だったのですね。

以前、私が住んでいる場所近くの石仏を調べていて、もしかして、図書館に区で調べた資料があるのではと思って中央図書館に行ったら、区内の石仏等(勿論、道路あるい道路に面した所にあるものです)の地図がありました。もしかして、狭山市でもその手のものがあるかもしれませんね。

コメントありがとうございます

Jさん
家に帰って、その話をしたら、カミさんが云うには、
以前犬を飼っていましたが、犬の散歩をしていると、
そのお宅のおばあさんに野菜や柿などを、よくいただいたそうです。
それで住宅の修理に、その家のお父さんに来てもらったことがあり、
その時に、その息子さん(今回私が教わった人)は木工で
全国コンクールに出るほどの腕だと嬉しそうに話していたそうです。

matsumoさん
もちろん、狭山市の石仏の地図はあります。
戦後に作られたものなので、江戸時代と道が違っていたり、
場所を移されたりで、江戸時代の地図が無いので
大変ですね。
東京も大地震や空襲などで、ずいぶん変化していますから、
大変ですよね。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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