文京シビック・こんにゃくえんま

20150217

15日(日)に牛天神に梅を見に行く前に、後楽園駅を出て最初に向かったのは「文京シビック」でした。
お目当ては、25階の展望フロアです。無料です(嬉)
天気が良かったので、富士山を期待したのですが、見えませんでした。
筑波山も見えなかったので、全体に霞がかかっていたのでしょう。

スカイツリー
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足元に後楽園遊園地のジェットコースター。
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新宿の高層ビル群
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足元の小石川後楽園
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このフロアにあった椿山荘のレストランのメニューが美味しそうだったので、牛天神に参拝した後また戻ったのですが、待ち記入リストを見たらかなり待つみたいなので泣く泣くあきらめ、近くで適当にランチしました。

そのあと、「こんにゃくえんま」に行くことにして、行く途中からの「文京シビック」
展望台のせり出しがすごい。
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源覚寺(こんにゃくえんま)の入り口から、正面に閻魔堂が見える。
本堂は、その後ろ。
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このお寺は、寛永元年(1624年) に定誉随波上人(後に増上寺第18世)によって創建された。本尊は阿弥陀三尊(阿弥陀如来、勢至菩薩、観音菩薩)。特に徳川秀忠、徳川家光から信仰を得ていた。江戸時代には四度ほど大火に見舞われ、特に天保15年(1848年)の大火では本堂などがほとんど焼失したといわれている。しかし、こんにゃくえんま像や本尊は難を逃れた。再建は明治時代になったが、その後は、関東大震災や第二次世界大戦からの災害からも免れられた。しかし老朽化が進み現在の本堂は1979年に再建されたものである。また当寺院は小石川七福神のひとつで毘沙門天も祀っている。また例年7月にはほおずき市が開かれ多くのものが訪れる。(近隣の伝通院の朝顔市とともに知られる)

入り口に貼ってあった。
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嘉永5年(1852)造立のお百度石
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閻魔堂
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当寺院の別称にもなっている『こんにゃくえんま像』は、鎌倉時代の作といわれ、像内から寛文12年(1672年)に修復された記録が発見されている100.4センチの木造の閻魔大王の坐像である。運慶派の仏師が造立した仏像として文京区指定有形文化財にもなっており、文京区内にある仏像でも古いものに属する。閻魔像の右側の眼が黄色く濁っているのが特徴。(本田不二雄『東京近郊仏像めぐり』学研、2009) 右側の目が濁っている原因として、伝説が伝わっている。それによると、宝暦年間(1751年-1764年)に一人の老婆が眼病を患いこの閻魔大王像に日々祈願していたところ、老婆の夢の中に閻魔大王が現れ、「満願成就の暁には私の片方の眼をあなたにあげて、治してあげよう」と告げたという。その後、老婆の眼はたちまちに治り、以来この老婆は感謝のしるしとして自身の好物である「こんにゃく」を断って、ずっと閻魔大王に供え続けたといわれている言い伝えによるものである。以来この閻魔大王像は「こんにゃくえんま」「身代わり閻魔」の名で人々から信仰を集めている。現在でも眼病治癒などのご利益を求め、閻魔像にこんにゃくを供える人が多い。また毎年1月と7月には閻魔例大祭が行われる。

左右に侍る獅子
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えんま様
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右目が濁っていますね。
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夏目漱石の「こころ」に、「こんにゃく閻魔」は登場します。
【「十一月の寒い雨の降る日の事でした。私は外套を濡らして例の通り蒟蒻閻魔を抜けて細い坂道を上って宅へ帰りました。〜】
                      <夏目漱石「こころ」より>

塩地蔵尊
2体で1組のお地蔵さまです。お地蔵さまの体に塩をつけてお祈りすると、体の同じ部分の病気が治るといわれています。「塩」ということで、お相撲さんもお参りに来るそうです。
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源覚寺の毘沙門天
「小石川七福神」のひとつで、参道正面の閻魔堂の右側奥のあるお堂の中に祀られています。
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汎太平洋の鐘
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この鐘は元禄3年1690年に完成し、元々当寺院所有のものであったが、昭和12年(1937年)に当時日本領だったサイパンの南洋寺に搬出され、サイパンの人々に時を告げる鐘として使われていた。しかし、第二次世界大戦が勃発し、サイパンは戦禍に飲み込まれ、この鐘も行方不明になっていた。しかし戦後の1965年に米国・テキサス州にてこの鐘が発見される。その後、1974年になって当寺院に返還された。その返還の模様はマスコミにも取り上げられ話題となった。現在では除夜の鐘として大晦日に突かれている。

南洋群島物故者慰霊像
第二次世界大戦でサイパンなど南洋群島で犠牲になった人たちを追悼する菩薩像。
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南方艦隊の写真
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南洋の貝やサンゴが供えられている。
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サイパンの歌碑
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近くにあった、住職の歌碑
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社務所の前にあった古瓦と水仙。
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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

富士山、見えなくて残念でしたね。富士山は3枚目の写真の左のビルと新宿の高層ビルの間に見えますが、やはり、12月か1月の青空の日が一番だと思います。と言っても、私でも、まともに撮れるのは3回に1回位ですが。

外側からご覧の通り、ガラスが下に向けて斜めになっているので、普通の窓とは異なり、室内のライト等が反射せずに、外の景色が撮れることがいいですね。都庁の展望台では、ガラスが結構、光ってしまって写しにくいです。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
たしかにそうですね。
都庁で撮ったときには、ガラスにぴったりレンズを
くっつけないと写り込むので苦労したのを
思い出しました。

富士山は、いつでも見えるわけではないので、
撮れたときには、嬉しいですよね。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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