酒折宮翁(さかおりのみやのおきな)/日本の神々の話

20150218

 倭建命の東征のおりに登場する神々の一柱。
倭建命が足柄峠の頂上で、弟橋比売を思い起こし、「吾妻はや」と長歎息したという話の前後のことである。
 命は足柄山の坂本というところに到着した。ここは東海道の古道で、のちにいう足柄道の宿場であり、現在は神奈川県南足柄市関本にあたる。一行がここで食事をしていると、一匹の白鹿が寄ってきた。命はそばにまつわる白鹿を、食べかけていた山蒜の片端で打ちつけた。これが白鹿の目にあたり、その場で死んだが、実はこの白鹿は足柄山の神(坂の神と『古事記』には善かれている)の化身であった……と『古事記』も『日本書紀』も書いている。
足柄山の神とは、おそらくこの地方の酋長のことであろう。
 命は、この地を発って甲斐国に向かった。そして酒折宮で泊まったときのことである。
 命はいささかの疲れと寂莫を感じつつ、
「新治筑波を過ぎて 幾夜か寝つる」
と詠われた。そのとき、篝火を焚いて夜警に任じていた一人の翁が、
「かがなべて 夜には九夜 日には十日を」
と即座に次いだ。
*これが連歌の起源であるといわれている。

命はこの美事な対応をことのほか歓び、翁を東国造にした、と『古事記』にある。
『日本書紀』では「厚く賞し給ひ」という表現をしている。
この翁を酒折宮翁という。
 酒折宮は倭建命の蝦夷東征のときの行宮で、その遺址は山梨県東山梨郡里垣村大字酒折にあり、現在、日本武尊を奉祀する酒折神社の所在地である。ただし、現社地はのちに移したもので、もとは山の中段にあり、古天神と称する場所が宮址であるという。
(日本の神様読み解き事典から)

なお、酒折宮HPを見ると、
“日本武尊が酒折宮を発つときに「吾行末ここに御霊を留め鎮まり坐すべし」と言われ、自身の身を救った「火打嚢(ひうちぶくろ)」を塩海足尼(しおのみのすくね)に授けました。 日本武尊の御命を奉戴した塩海足尼がこの「火打嚢」を御神体として御鎮祭したと伝えられています。
* ここにいう「火打嚢」は、日本武尊が東夷征伐に向かわれる前に参った伊勢神宮で叔母の倭姫命より「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」とともに授けられたものです。駿河の国で国造に欺かれて野火攻めに遭ったとき、これを用いて難を免れたといいます。(古事記による)“
とあった。

そして調べているうちに、「酒折宮」境内に本居宣長の「酒折宮寿詞(ほぎごと)碑」があることがわかった。
これは、近いうちに訪ねなければならない。


小堀鞆音画「酒折宮連歌図」
150218sakaori.jpg



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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

10年程前に甲府に泊まって、色々と歩いた時に、甲斐善光寺に行き、更にその周囲も歩いた筈だと思ってチェックしてみたのですが、残念ながら酒折宮には行っていませんでした。と言うか、酒折と言う駅は知っていたのですが、酒折宮があるなんて知らなかったですし。

それにしても、無造作に殺された鹿は可哀想ですね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
私も、甲府にはずいぶんと行ってるのですが、
以前は神様とか神社も、あまり関心なかったので、
酒折宮を知りませんでした。
近いうちに訪ねようと思っています。

昔は、殺し合いも身近に起こっているし、
狩りもあたりまえにしていましたからね。
現在とは、まったく感覚が違うのでしょう。
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Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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