高瀬大神(たかせおおかみ)/日本の神々の話

20150222

この神名は、大正9年に埼玉県神職會編纂の「諸社祭神御事歴」に載っている。
「高瀬大神とは、延喜式の神名帖に越中國砺波郡高瀬神社と載せたる、高瀬社にいはひ祭れる大神にして、この社は高瀬大明神とも稱して、當國の一宮して遠近の崇敬浅からざりし社なりとす。祭神につきては、諸説ありて明らかならざるも、恐らくは大己貴系の神をまつれるならむ」とある。

現在の高瀬神社のホームページを見ると、主祭神は大国主命(大己貴命)、配祀神として天活玉命と五十猛命となっている。
これは、後世に祀られた神であって、当初は「高瀬の地」にまします「高瀬大神」ではなかったかと思う。

秩父神社境内に「天神地祇社」というのがあり、そこに全国の一之宮の祭神を祀ってあるが、それには「高瀬大神」となっている。
150222takase.jpg


五十猛命が祀られているのは高瀬の大神が高麗から渡来してきたからとの説がある。
確かに富山には高麗社、高来社があってやはり祭神は五十猛命である。
速須佐之男命が追放された後、その御子五十猛神を伴って新羅に渡り、 曾戸茂梨に居られたが、この地に住むことを嫌い、 埴土の舟に乗って、出雲国簸の川上にある鳥上の峯に到り、八俣大蛇を斬って神剣を得た。

五十猛神は新羅に渡る時、多くの樹木の種を持って降られたが、それを韓国に植えず、 すべて我が国土に植えたので大八洲はどこも青々と繁茂した山々をみることができたといわれ、木の神、有功之神とも呼ばれている。

能登町に伊夜比神社「大屋津媛命(五十猛神の妹神)」が鎮座している。異国からの渡来者はまず半島の小島に拠点を設け、それから列島内部に入ってきたはずであり、対馬-筑紫、壱岐-出雲のような関係が能登ー砺波にもあったのではないか、と推測される。

高瀬神社は、私の郷里の家から車で15分ほどのところにあり、娘二人のお宮参りとかで我が家では産土神の存在となっています。
現在住んでいる埼玉の家の神棚にも、天照大御神、その地の産土神「白髭大明神」に続き、我が家の崇敬神として「高瀬大神」のお札を祀っています。

高瀬神社については記事にしています。

その記事を読む



日本の神々記事一覧に飛ぶ



スポンサーサイト

コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

この日本の神々シリーズ、ずっと、読ませていただいておりますが、祭神が変わる神社って結構、多いですね。普通に考えると、例えば、浄土真宗が日蓮宗に変わるより大きな変化だと思うのですが、当時の人々って、何も思わなかったのでしょうかねえ。まあ、日本は多神教で、キリストも神様の1人だと思っているだけですから、神様の名前が変わっただけだと思っているのかもしれませんが。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
変わる理由は、領主が変わって押し付けられるとか、
明治に入って国家の管理とされて、伊勢神道の管理によるとか、
色々とあるみたいですね。
その神社を守る人たちにとっては、唯一神ではなくて、
色々なところ、ものに神が宿っていて(境内社が多いように)、
器用に変えてしまう面もあるでしょうね。
非公開コメント
プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード

Pagetop