泣沢女神 (なきさわめのかみ)/日本の神々の話

20150226

『古事記』では泣沢女神、『日本書紀』では啼沢女命と表記され、哭沢女命とも書かれる。
伊邪那美神の死後、伊邪那岐神のみより生まれた神々の一柱。
最愛の妻・伊邪那美神に死別された伊邪那岐神は、その遺体の御枕辺にはらばい、御足方にはらばい、泣かれた。そのとき、涙から生まれたのがこの神である。神名は、さめざめと泣く神という意味である。

『古事記』の記述(読みくだし文):
火之迦具土神を生んで伊邪那美神は亡くなってしまい、それに続く記述である。

「かれここに、伊邪那岐命詔りたまはく、「愛しき我が汝妹の命を、子の一つ木に易(か)へむと謂(おも)へや」とのりたまひて、すなはち御枕方に匍匐(はらば)ひ、御足方に匍匐ひて哭きし時に、御涙に成りし神は、香山(かぐやま)の畝尾の木の本に坐す、名は泣沢女神。かれ、その神避りましし伊邪那美神は、出雲国と伯伎国との堺の比婆の山に葬りまつりき。(以下省略)」

香(具)山の畝尾の木の下に坐す神としている。畝はうねうねしているところ、尾は鳥獣の尾のように山が裾を長く引いている所をさし、畝尾は山の裾のことをいう。ゆえに、香具山(大和三山の一つ)の麓にある畝尾ということになる。
『延書式』神名帳にも、畝尾都多本(うねびつたもと)神社(通称「哭沢神社」)があり、啼沢女命が祀られている。

また『万葉集』巻二(国歌大観番号二〇二)の、「哭沢の杜に三輪すえ祈れども我が王は高日知らしぬ」(柿本人麻呂の作とも作者不詳ともいう)の歌は名高い。

 この神名から考えると、大昔は泣女が葬式に加わったものと思われる。雇い泣きの風習は朝鮮・中国のものが有名であるが、日本にも離島や海辺の村に泣女の伝承地があり、石川・福井県地方の泣女は謝礼の米の量により一升泣き・三升泣きなどの名称を残しているので、泣き方にも区別のあったことがわかる。肉親の葬式に泣くのは人情であるが、以上のような泣女の付随する葬式は、儀礼の一つと考えてよかろう。
(日本の神様読み解き事典)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

なるほど、日本にも泣き女の風習があった地方があるのですか。全く知りませんでした。

この泣き女と言う風習、大昔、「世界残酷物語」と言う映画を観て、そのような風習が中国だったか朝鮮だったかにあるの、初めて知りました。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
中国だったか、韓国だったかのドラマで
出てきますよね。
涙もろくなっている私は、泣き女がいたら、
一緒に泣いてしまうでしょうね。
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Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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