狭山市の新編武蔵風土記稿を訪ねる/上廣瀬村・下廣瀬村(1)

20150320

3月10日に実施した「新編武蔵風土記稿を訪ねる」です。
「新編武蔵風土記稿」に載っている地元狭山市に関する記述を読み解き、現地を訪ねて現在の姿と比較しようという活動です。併せて、歴史講座の史跡巡りの際に訪れなかった史跡も訪ねています。
今回の説明役は岸野さんと山畑さん。

朝9:30に廣瀬神社境内に集合。まず廣瀬神社からスタートしました。
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【廣瀬神社】
「新編武蔵風土記稿」の記述
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この記述と現在の対比
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廣瀬神社については、既に「武蔵国式内社めぐり」で記事にしています。

その記事を読む


この日の、樹齢1000年の大欅
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社殿の位置が昔と現在とでは異なっていて、現在は鳥居が東にあり、社殿は東を向いているが、昔は社殿が大欅の北側にあり南を向いていた。
現在鳥居の東の地域が「宮の脇」だが、これは昔は宮の横側だったから。宮前という地名も昔の社殿の向きに従って南側にある。

現在南側の入り口は横からの入り口の感じになっているが、これが昔からの参道、門となる。
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旧社殿跡地
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境内社のうち、「稲荷社」、「八幡社」は以前の記事にて掲載してあるが、「神明宮」については載せてなかったので、今回掲載。
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「新編武蔵風土記稿」の記事どおり、正覺学院持ちだったことがわかる。
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「普門品読誦供養塔」に向かって歩いていると、「石橋供養塔」があり。
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【普門品読誦供養塔】
慶應2年(1866)造立。
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「廣瀬村は加治領霞郷に属す・・・・・」とあるが、「霞郷」と刻まれている。
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横の、文化12年(1815)造立の馬頭観音碑
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【日暮らし馬頭観音】
下広瀬の広瀬橋付近にあり、文政13年(1830)造立のもの。
元は、旧上広瀬交差点近く(ヤオコー交差点の団子屋のところ)にあったが、県道の拡幅で現在地に移転。
現在地は両墓制の捨て墓であるが、火葬になって以降埋葬は無いとのこと。
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狭山市の伝説で「日暮らしの馬頭さま」がありますが、それは次のお話。
むかしのお話です。下広瀬しもひろせの街道ぞいの、入間川の近くに「馬頭観世音ばとうかんぜおん」の石碑せきひがたっておりました。ある日、その石碑の前に一人の旅人が立ち止まり、しきりに感心しながら、碑の文字を見ておりました。やがて、石碑の前にどっかりとすわりこんでしまいまして「うーむ、これはすばらしい、なんともはやみごとな文字じゃ、じつにうまい」。なんどもくり返し、ほめっぱなしでありました。
 そこへ、村の人たちが通りかかりました。旅人が、馬頭観音の文字を見て、しきりに感心していましたので、日ごろはあまり目にとめていませんでしたその文字をジッと見ましたところ、「なるほど、今まで気にもとめなかったが、こりゃーなんと、うめえ文字だんべえ」。あとからやって来ます村の人も旅の人たちも、立ち止まりまして「うむうむ、何度ながめていても、やっぱりいい文字だべえ」などと口々にいいながら、見入っておりました。
 そうしまして、みんながああだ、こうだといって感心していますうちに、太陽も西に傾きまして、やがて一番星がチカチカ輝きはじめました。それでも人々は、馬頭観音の碑の文字を見つづけ、感心しつづけました。そして、とうとう月が出るまで立ち去りませんでした。
 文字が立派で、いくら見てもあきないこの馬頭観音、だれいうとなく「日暮らしの馬頭さん」と、呼ばれるようになりました。
 この評判は、パッと広がりまして、いつも二、三人の人が、長いあいだながめていたそうです。
 これは、この石碑の文字が、あまりにもみごとなできばえでしたので、こういう呼び名がついたのだそうです。

台座には「高麗郡加治領霞之郷両廣瀬村」とある。
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隣に「馬頭観音證文塚」の碑がある。
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昔、入間川が氾濫したとき、境界が不明になることから塚をたて証拠にしたものといわれている。「蕪榎かぶらえのき」と「馬頭観音」、「赤稲荷」の3ヵ所がその名残りで、入間川と並行して築かれている。

入間川の堤防を行きます。
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目的地に、近道しようと畑の畦道を行く(笑)
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【松森稲荷社】
「新編武蔵風土記稿」の記述
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前述の證文塚のうち「赤稲荷」が該当する。
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この日は内部は見られなかったが、2013年11月に見学会で見たときの写真を挿入しておく。
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去りながらのショット。このように田んぼの中にポツンとあり。
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【禅龍寺】
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「新編武蔵風土記稿」の記述
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ご住職の話では、鎌倉時代千石というのは誤記で、実際は八千石。

本堂
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ご住職が本堂に上げてくださり、ご本尊、四天などを拝観することができた。

観音堂には、市文化財指定の「木造千手観世音菩薩坐像」がある。
室町時代末期から江戸時代初期の制作と推定。
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続きは次回

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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

廣瀬神社って、確か、コノハズクだったか、小さなフクロウが巣を作る場所ですよね。

それにしても、この辺り、都会とは異なり、田圃や畑がまだまだ沢山残っているせいか、色々なものが残っていますね!

matsumoさん

コメントありがとうございます。
アオバズクです。
今年も楽しみにしています。

お陰様で、まだまだ田舎なので、自然が残っていますね。

古いものも、それなりに大切にしていこうという
気運が感じられるのは嬉しいですね。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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