訶具漏比売/迦具漏比売 (かぐろひめ)

20150322

『古事記』の「景行天皇」の巻の「1.后妃と御子」の段によれば、
景行天皇は、針間之伊那毘能大郎女、八坂之入比売命、二人のある妻妾、日向之美波迦斯毘売、伊那毘能若郎女、訶具漏比売を娶って生んだ子が21人、そのほかに、59人おられ、合わせて80人の子をなしたという。ただ80というのはヤソ=多くの意味であるという。
80人のうち、若帯日子命と倭建命と五百木之入日子命は太子の名を負い、そのほかの77人は国々の国造等に任命・分封されたという。

今回述べているのは、「倭建命の曽孫・須売伊呂大中日子王の娘・訶具漏比売を娶って、大枝王を生んだ。」という部分である。
ここで系統を書いてみると:
景行天皇-日本武尊-若建王-須売伊呂大中日子-訶具漏比売
となり、自分の五代目の子孫と結婚して子を設けたということになる。
先に出てきたように、80人もの子を設けた精力絶倫な人物だったとしても、これは可能か?
『古事記』の「景行天皇」の巻の最後に、景行天皇は137歳で亡くなったとあるが、それでもありうるのか?

実は『古事記』の「応神天皇」の巻の「1.后妃と御子」の段に「かぐろひめ」が応神天皇の妃として再登場しています。字は「迦具漏比売」としていますが。
通説では、日本書紀の応神紀では紹介されていないので、「迦具漏比売」は否定されがちです。
ただ系統は:
景行天皇-日本武尊-仲哀天王-応神天皇
となるので、年齢的なことでいうと、応神天皇の妃と考えた方が相応しいと思います。



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コメント

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四季歩さん、こんにちは

景行天皇ですが、以前に結果的に2回に分けて「山辺の道」を歩いた時、崇神天皇稜を過ぎて、しばらく進んだ所が「景行天皇稜」でした。崇神天皇稜も堀で囲まれていて大きかったですが、こちらも同様に大きかったです。この辺り、ほかにも色々と稜がありましたが、この2つが二大天皇陵と言うべきもので、権力が非常に大きかったと思わせるものでした。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
景行天皇の御代に、日本武尊によって、北九州、東国が
平定されたのですからね。
それらの国に対して、威力を見せ付ける必要があった、
ということでしょうか。
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写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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