相武国造(さがむのくにのみやつこ)/日本の神々の話

20150326

Wikipediaによれば、相武国造は、相模国東部を支配した国造。武相国造と表記される場合もある。
伊勢津彦(出雲神の子で、一説によると建御名方命の別名とされる)の3世孫の弟武彦命が、成務朝期に相武国造に任じられたという。『古事記』に相武国造が倭建命を焼き殺そうとして逆に攻め滅ぼされた記述がある。
この『古事記』に書かれている話は有名である。
倭建命はこの相武国造に騙されて、小野という野原で火攻めにされた。命は叔母の倭比賣命から賜った草薙剣で、あたりの草をなぎ払い、火打石で火を放ち向かい火にして逆に相武国造を滅ぼした、という話である。

神奈川県の寒川神社を調べていると、違った話も見えてくる。
ここの祭神は以下の2柱で、寒川大明神と総称される。2柱とも記紀には記載がなく、詳細は不明である。
寒川比古命 (さむかわひこのみこと)
寒川比女命 (さむかわひめのみこと)

紀元600~700年の飛鳥時代、ヤマト王権は地方支配のため全国に「国造」(くにのみやつこ)という現地雇用の役人を配置した。
当時の相模国は相武(さがむ)国と磯長(しなが)国に分かれており、寒川神社一帯の相模川流域は相武国造の支配下であった。
古事記には景行天皇の御代、東国征伐に赴いた倭建命を相武国造が罠に嵌めて暗殺しようとしたとある。
しかし、すんでのところで難を逃れた倭建命は相武国造一族を成敗し、この一帯を焼き払ったとある。
この相武国造こそ寒川比古命であり、その妻が寒川比女命ではないか? という説がある。
確かに倭建命に歯向かった人物が記紀に登場するはずはない。
それでも相模国では寒川大明神として崇められ続け、鎌倉に鶴岡八幡宮という日本政府そのもののような一之宮が誕生しても廃れることがなかったという事実は、よほど地元の人々から慕われていたとみえる。
相武国造は、ヤマト王権に歯向かったため単に歴史上から抹殺されただけで、実は傑出した人物だったのかも知れない。


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

まあ、普通に考えれば、九州にしろ、関東にしろ、征伐するのであれば、軍隊を出して征伐というのを、単にヤマトタケルを派遣する上、九州では騙し討ちでようやく勝つと言う状態ですので、関東の話もどこまで本当かわからないと思っています。まあ、負けてしまった大国主が出雲大社に祭られているように、寒川大明神も負けて寒川神社に祭られたと言う可能性もありますが、古事記には嘘が書かれていて、実際はヤマトタケルが負けたと言う可能性もありますよね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
中世を考えてみても、東国は中央(朝廷)には
そんなに従っていませんし。
古代だったら、なおのことと思います。
祭神から推測すると、関東は、圧倒的に出雲族が
多いようですね。
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写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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