夷針(いはり)神社(延喜式内社)/茨城県東茨城郡茨城町

20150412

鎮座地:茨城県東茨城郡茨城町大戸1768

3月27日(金)の歴史クラブ行事「関八州式内社めぐり」で参拝しました。
私は所用で参加できず、例によって池田さんが撮ってきてくれた写真で記事にしています。

南向きに一の鳥居が建っています。
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社号標
式内社 常陸國茨城郡 夷針神社、 旧村社
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そこから400m程の参道が北へ延びる。
参道の中ほどを車道が横切り、そこにニの鳥居がある。
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更に進みます。
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手水舎
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震災の傷跡がいまだに。
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神木のスダジイ
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「武隈大明神」縁起碑
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由 緒:
創建は聖武天皇の代・神亀2年(了25年)9月29日。夷針の神はいわゆる竈(かまど)の神で、霊巌あらたか、守護安泰を司る神の由。よって古<より庶民の信仰を集めたと云われる。昔はカマドは大切にされ、火を扱う台所に神聖な神が宿ると云われ、神棚を示巳つたり、お札を貼ったりしていた.従って、天皇の祖先を祀った神社の神様に比べると、夷針の神は庶民の神様と云えよう。
応永33年(1426年)6月に、水戸城落城の時、兵火を避ける為、城の鎮守・「武隈大明神」を大戸の夷針神社に合祀したという。
江戸時代になると「武隈明神社」、「両社大明神」と称された。

拝殿
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御祭神:奥津彦命(=興津日子命=おきつひこのかみ)と奥津姫命(=興津比売命=おきつひめのかみ)
配祀:武三熊之大人(たけみ<まのうし)と興玉命(おきたまのかみ)

後方に本殿がある。
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本殿は葦葺き屋根であり、風情がある。風雨除けの為にトタン屋根で覆われているが損傷が激しい。
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神紋は「右三つ巴」
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境内社です。

素鷲神社(そがじんじや) ご祭神:建速須佐之男命
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あと、三つの境内社がありました。
そのうち一社は疱瘡神社なのは資料によりあきらかですが、それがどれかわからず。
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有名な「大戸の桜」
参道の東、民家の近くに、昭和了年(1932)指定の天然記念物「大戸(おおど)の桜」がある。この桜は、赤芽のヤマザワラの老大木で、樹齢500年を数える。根元周囲約10.4m、高さ約15mと云われたが、現在はだいぶ小ぶりになってしまった(根元周囲了m)。大正時代の頃には、約1,000r庁(紺300坪)の範囲に枝を広げていたという。徳川光圀公もこの桜を鑑賞したと伝えられる。
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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

昨今は、やはり、神社等の維持管理って金銭的に難しいのでしょうね。昔だったら、無料奉仕で修理なんて言うこともできたでしょうが、今は、やはり、専門家に頼むことになるでしょうし。

そう言えば、家の近所の神社は、そばにマンションが建つ時に、境内を貸したためか、木造だった神社は鉄筋コンクリート製になり、また、社務所もビルに建て直されました。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
神社が衰退したのは、戦争に負けてGHQに
目の敵にされたからです。
その前に、明治になって神国日本などと云って、
神社を全て国の管理にしてしまったから。
それで地域とのつながりが変になってしまいました。
もともとは鎮守の神様がほとんどだったのですが。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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